氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

「停留所」

2013-08-20 10:00:14 | 懐かしい言葉
「停留所」も死語ですね・・・
「路面電車」の止まる駅を「停留所」と謂いました。
「堺筋」や「千日前通」の道路の真ん中に「路面電車」の「軌道」が有り「停留所」は
ブロック一枚位の高さが有る島状のプラットホームでした。
車列の流れに逆らう孤島の様な「停留所」から車線を横断し歩道まで辿り着くのは恐怖です。
その島の前後には安全の為の壁があり「停留所名」を表示した「電飾看板」が備えられていました。

2車線対面道路の中央両側に軌道や「停留所」が有ると車の交通の妨げには成りました。
「路面電車」はモーターリゼイションの発展と共に邪魔にされ最後には廃止の憂き目に遭う・・・

ところで「バス停」は「バス停留所」なのか?「バス停車場」なのか?

「電車道(でんしゃみち)」

2013-08-19 10:15:13 | 懐かしい言葉
「電車道(でんしゃみち)」この言葉も死語に成りました・・・
私が産まれたのは大阪市南区(現中央区)の高津4番町で千日前通りと松屋町筋の交差点の西北です。
当時の千日前通りには大阪市交通局の「市電(路面電車)」が走っていました。
生家はその市電の「下寺町停留所」の真前です。

市電の通る通りや筋を「電車道(でんしゃみち)」と謂っていました。
大都市から路面電車が消えて凡そ半世紀・・・なんとも懐かしい言葉です。

面舵~

2012-07-22 12:56:16 | 懐かしい言葉
「面舵(右方向、三時の方向)」の掛け声で船は右旋回します。
「取り舵(左方向、九時の方向)」の掛け声で左旋回します。
日本海軍の創設期(江戸末期~明治初年)には時計の文字盤は十二支(子~亥)で表示されていました。

艦のキール(竜骨)線を基準に十二支を円周上にあてる。
進行方向を「子(12時)」にすると右へ転舵は「卯(3時)」で「卯の舵」となりますが訛って「おも舵」と成りました。
左へ転舵は「酉舵(9時)」でそのまま「取り舵」となります。

時計の文字盤を古い時計店主や職人さんは「干支盤(えとばん)」と呼んでいました。
懐かしい言葉です。

輜重兵

2012-07-21 10:17:02 | 懐かしい言葉
旧陸軍では「輜重兵」と謂い旧海軍では「主計兵」と呼びました。
どちらも軍隊を自己完結させる大事な「兵站」を受け持つ中枢です。
しかし残念ながら旧軍には戦闘力に重きを置いて「兵站」は二の次三の次でした。
諸外国の軍隊での「兵站(logistics)」は最重要課題で戦略を立案する時に補給線が延びたり拡がる
事を極端に嫌います。

我が国は日清、日露の戦争から「兵站」を無視した作戦を立て戦術は有るが戦略の無い戦争を経て来ました。
大東亜戦争は「戦術」に勝利(開戦当時)し「兵站」に破れたと言える。
アメリカとの生産力の大差は埋まる事無く大消耗戦に敗れたのです。

「兵站」を軽視した旧陸軍の通話が有ります。
「蝶~蝶 トンボが~飛行機ならば 輜重輸卒も兵のうち」
軍歌にも「泥水すすり~草を食み・・・」なんてとんでもない歌詞も有ります。
精神力では勝てません。    

陸軍の通話

2012-07-20 10:36:55 | 懐かしい言葉
旧陸軍には色々な通話が有りました。
「一に通信、二にラッパ。三は看護のマル遊び、死(四)んでしまおかデッチンコ(蹄鉄工)」
これは勤務の楽な(スカせる)順番だと謂われています。
このほかにも「工兵」「銃工兵」「縫工兵」「輜重兵」「騎兵」「砲兵」「擲弾兵」など様々な兵科が有りました。
なかでも騎兵の蹄鉄工が一番辛い勤務だったのか?
私には軍務の経験が無く理解出来ませんが軍隊に入営する事だけでもたいへんだろうと思います。

海兵団

2012-07-19 10:03:46 | 懐かしい言葉
旧海軍鎮守府には志願兵や徴兵された新兵に初期教育を行う「海兵団」と言う教育機関が有りました。
徴兵の新兵は一月に入団し五月に終わる五ヶ月、志願兵は六月に入り十一月に終わる六ヶ月と各県から
集まった新兵が教育され各部隊や艦隊に配属されていきます。
海軍の新兵は三つの鎮守府にある「海兵団」で集団教育を受けるので同期の結束は固かった。

旧陸軍は各地の連隊区や師団に徴兵され営内での初期教育を受けます。
二年間の徴兵で同じ連隊や師団で過ごし満期除隊しました。


鎮守府

2012-07-17 10:26:48 | 懐かしい言葉
旧日本海軍は海軍省傘下の「横須賀鎮守府」「呉鎮守府」「佐世保鎮守府」の三鎮守府と実戦部隊の「連合艦隊」
によって統括されていました。
それぞれに最高指揮者である司令長官がいます。
その任に当たる階級は中将の古参か大将でありました。

日本全国を三つの鎮守府に分けて所管します。
「横須賀鎮守府」静岡県、長野県、新潟県を境にしそれ以東。
「呉鎮守府」愛知県、岐阜県、富山県を境にしそれ以西、山口県まで。
「佐世保鎮守府」四国、九州、沖縄、朝鮮、台湾、中国大陸。

その後敗戦直前に「舞鶴鎮守府」ができて山形県、新潟県、富山県、福井県など裏日本を所管します。
それぞれの鎮守府には「海兵団」という徴兵、志願兵の教育機関が置かれた。

バッター 精神棒

2012-07-16 09:31:35 | 懐かしい言葉
旧海軍での「バッター」とは樫の木製の長さ約二尺(60cm)直径一寸五分(5cm)の棒で「海軍精神注入棒」
とも謂われた制裁道具です。
夕食後の整列は下士官の小言の後で旧兵からの「ケツバット」がクライマックスでした。
お尻は紫色に腫れ上がり誰もが泣いたそうです。

我々が中学生の頃(昭和三十年代)の体育教師は復員軍人上がりや予科練帰りが多く体罰や制裁は日常茶飯事でした。
野球部なんかは「ケツバット」が伝統的で泣いています。
オケツの保護の為にスライディングパンツに綿を追加しプロテクトしていました。

今の中学や高校でこんな制裁は無いのだろう?
しかし同級生でのイジメや制裁はエスカレートするばかりでどうなる事やら・・・

ジョンベラ

2012-07-15 08:50:15 | 懐かしい言葉
水兵服の襟を「ジョンベラ」と謂います。
正式な名称は「中着襟」で軍服に合うようにボタンホールが有り軍服のボタンを掛ければ完成。
水兵服は「セーラー服」でほぼ世界の海軍は同じ軍服です。

旧日本海軍では水兵服の通称を「ジョンベラ」と謂いました。
下士官に任官すれば詰襟の軍服で「ジョンベラ」からは卒業です。
懐かしい言葉でした。

ペンネント

2012-07-14 10:15:58 | 懐かしい言葉
ツバの無い海軍の水兵帽は夏冬兼用で夏は白い帽子カバーを付ける。
帽子の周りに濃紺地に金文字で「大日本帝国海軍」と描いてある布を巻き両端を後ろに垂らした布を
「ペンネント」と謂いました。
大東亜戦争以前は「ペンネント」に「海軍砲術学校」とか「大日本軍艦霧島」「第一潜水隊」など一目で所属
が解りました。
平時には此れで良かったのでしょうが戦時下では防諜の為に所属を秘匿する必要が有り「大日本帝国海軍」に
統一されたらしい。
後ろに錨が付いた「ペンネント」は陸軍の帽子に比べてお洒落な感じがします。