氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

十能

2012-11-12 10:39:49 | 懐かしい品物
「十能」って謂う言葉も、もう死語に成りかかっています・・・
意味は炭や石炭を掬う小さなスコップの様な物で昔は何処の家庭にも有りました。
火鉢や手あぶりにおこした炭を入れる時には欠かせません。

小学校の暖房は石炭のダルマストーブでした。
ストーブ当番が石炭バケツに「十能」を入れ貯蔵庫まで取りに行きます。

「十能」は懐かしい品物でした。

五徳

2012-11-10 10:42:15 | 懐かしい品物
頃日、火鉢(手あぶり)で暖を取っていますが炭をおこすのがとても面倒です。
それに火鉢に合うサイズの「五徳」が無い為に鉄瓶も掛けられません。
荒物屋、ホームセンターで捜すのですがなかなかちょうど良いのが見つからない・・・
従業員に聞けどもそもそも「五徳」をご存じない。

「五徳」の意味は、火鉢の中に置く、鉄または瀬戸物の3本か4本足の輪型の物、薬缶や鉄瓶を掛ける必需品。

此の冬が来るまでには何とか捜して入手したい。
大型や中型は見かけるが小型が見つかりません。

アセチレンランプ

2007-07-11 23:31:54 | 懐かしい品物
昔の縁日や夜店の露店では照明に「アセチレンランプ」という照明器具を使っ
ていました。
昭和30年代には電力事情が改善され仮設の電燈がつけられています。
「アセチレンランプ」を見たのは昭和20年代の後半だったのだろうか?

「アセチレンランプ」は金属製のポットのような照明器具でその筒先にバーナー
が有り青白い光のガスが燃えるガス燈です。
ガスの燃焼する臭いが生臭くて閉口しました。

照明器具の中に水が入っていてそこにカーバイトを入れると反応してアセチレン
ガスが発生する仕組みです。
簡単で安価な照明器具でしたが今はもう見ることは出来ません。

余談ですが「手塚治虫」先生の初期の漫画には脇役で「アセチレンランプ」が
登場していました。
これも時代を感じさせる命名で懐かしい思い出です。

粉薬

2006-12-30 00:09:49 | 懐かしい品物
最近は粉薬を見かけなくなった。
売薬では太田胃酸か龍角散くらいしかない。

昭和30年代は医者や病院から貰う薬は粉薬でした。
医院の薬局で薬を調剤し一つ毎に薬包に入れて有る。
乳鉢で薬を混ぜていた事を思い出します。

子供の私には粉薬を飲む為にオブラートが欠かせませんでした。
飲むのに失敗して上顎や喉にオブラート包みの粉薬がひっつくと
苦くて苦くてえらい目に遭います。
医は仁術だった頃の思い出でした。

粉シャンプー

2006-12-29 00:26:50 | 懐かしい品物
昭和30年代の初め頃まで洗髪は石鹸でしていました。
そしてシャンプーが売り出されます。
しかしシャンプーは粉でした。
一回分が袋に入った粉シャンプーです。

粉シャンプーで洗髪すると良い匂いの泡が沢山出て気持ちが良かった。
リンスなんかはまだ知りません・・・
髪の毛がキシキシして油気が取れて爽快でした。

液体のシャンプーが売り出される前の懐かしい品物の思い出です。

練り歯磨

2006-12-28 00:12:23 | 懐かしい品物
昭和30年代後半に粉歯磨からチューブ入り練り歯磨きに進化します。
しかし金属製の鉛のようなチューブに練り歯磨は入っていました。
ゴツゴツした金属製のチューブは硬くて使い難い不便な容器です。
チューブが途中でパンクして横から練り歯磨が出て来てしまう・・・

冬場には金属が硬化してひび割れる。
チューブが凸凹に成り練り歯磨を最後まで使い切れない。
キャップがねじ込み式で廻すのが面倒くさい。

でも缶や瓶に入っていた粉歯磨よりは新鮮な感覚でした。
些細な事ですが新製品を使う事で日常生活が進歩したようで嬉しかったのです。

歯磨粉

2006-12-27 00:18:01 | 懐かしい品物
昭和30年代の中頃まで歯磨は缶か瓶入りの粉でした。
我が家ではサンスターかライオンを使っていた記憶が有る。

歯ブラシを水に濡らして「歯磨粉」を付けます。
子供にはハッカの辛さと刺激が強烈でした。
練り歯磨のような軟弱さは一欠けらも無い質実剛健です。

昭和30年代後半に子供歯磨きが売り出された時は驚きました。
バナナ味にイチゴ味の子供歯磨・・・年下の従兄弟が使っているのを見て信じ
られない思いをした事を今も覚えています。

この頃から日本の高度成長が本格的に成り大量消費時代が始まる。
日本中が元気で未来に希望が持てたあの時代が懐かしい・・・

スクールリング

2006-08-25 00:17:42 | 懐かしい品物
メンズクラブのIVYに嵌っていた昭和30年代の後半の事です。
アメリカ学生は「スクールリング」をしている事を知る・・・
そう言えばアメリカ兵などの外人もよく指輪をしていました。
欲しかったが本物は売っていない・・・

昭和40年代の中頃に憧れの「スクールリング」に廻り合う。
それは海兵隊の基地が有る岩国市川下の質屋のショーウインドに飾って有りました。
米金(10K)台の青いシンセチック(合成)サファイアのハイスクールの卒業リングです。
卒業年度が彫りこんである素敵な指輪で有り金を叩いて買いました。

値段は値切り倒して10000円(当時としては高価でした)!
マリンコープ(海兵隊)の指輪も有りましたが気に入りません。

何処の誰だか知らないアメリカ人の「スクールリング」でしたが不思議な縁で
私の指にはまっている・・・
質流れに成るくらいだから幸せな持ち主では無かったろうが今は私の宝物。

その「スクールリング」も数年後に友人にねだられて売りました。
ロレックスのサブマリーナを買う足しにした事を覚えています。

スニーカー

2006-08-12 00:05:07 | 懐かしい品物
昭和30年代の後半に「メンズクラブ」の広告で「VAN」の「スニーカー」を
見て虜に成った。
従来の「バスケット・シューズ」とは似ても似つかぬナイスなデザインです。
黒と白そしてハイカットとローカットの4種類が売り出された。

私が虜に成ったのは黒のハイカットのスニーカーです。
黒い生地に白のステッチと紐・・・白いソールに赤の細いライン。
踝のあたりに「VAN」のロゴ。

当時の価格が1800円位したのかな・・・?
中学生には大金でした。
なにしろラーメンが50円位の貨幣価値だったのです・・・

母親におねだりして漸く買って貰った時は嬉しくて枕元に置いて寝ました。

ホンコンシャツ

2006-08-08 07:59:23 | 懐かしい品物
昭和31年に「帝人」から「ホンコンシャツ」と言うポリエステル繊維の半袖
シャツが売り出された。
名付け親はあの「石津謙介」さんです。

未だオフイスや通勤電車にエアコンなどは有りません・・・
精々が扇風機で扇子は必需品でした。

化学繊維の半袖シャツが何故に「ホンコンシャツ」なのか?
訳の判らないネーミングですが大流行しました。

命名者の「石津謙介」さんはあの[VAN」の創業者です。