氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

夢の話

2006-02-18 10:38:49 | 懐かし商店街
ブログで懐かしい話や昔の話ばかり書いているので変な夢をよくみる。
もう15年位昔の話だが休日になれば従兄弟と車で古い模型屋と玩具屋を探して和歌山県や大阪府下へ探索のドライブに出かけた。
余り掘り出し物には出会わないが偶には素晴らしい玩具や模型に出会います。
その興奮が忘れられず車で彼方此方と彷徨いました。

其の夢は何処とも判らない地方都市の裏町が舞台です。
横町を曲がる度に古臭い建物が残る地域へと進む・・・
頭の中の掘り出し物に出会うアンテナは先程からアラームを鳴らしまくる。

これは夢だけでは無く現実に何度も体験している事実で古い玩具や模型の波長を捉えるのが敏感なのです。

街角を曲がると古ぼけた玩具屋が有りました。
店の奥の棚にはロボットや自動車が飾って有ります。
「アトミックロボット」に「ロビー」が有りました。
定価は昔の儘です・・・
「マルサン」の「キャデラック」に「バンダイ」の「赤箱」もシリーズで有る。
喉がカラカラに渇き心臓の鼓動はバクバクし汗がダラダラ流れます。

店主のオジサンは「みーんな売れ残りだから・・・安くします」と嬉しい事を言ってくれる。
目ぼしい物をダンボール箱に入れてもらい御勘定をして貰います。
なんと全部で2000円足らず。
喜んで10000円札を払うとオジサンは怪訝な顔をして「10000円札なんて!こんな玩具の御札は通用しませんよ!ご冗談はお止め下さい」と受け取りません。
千円札を出しても「こんな1000円は見た事が無い」と言って受け取りません。
500円玉も100円玉も駄目でした。
かろうじて10円玉だけが通用します。

私は奇怪で不思議な話だと悩みふと帳場のカレンダーを見ると・・・
なんと昭和33年では有りませんか
何時の間にかタイムスリップしていたのです。
現在のお金が通用するはずは有りません。
其の頃から変わらないのは10円玉と5円玉だけです。
欲しかった玩具は手に入らずガッカリした処で夢から覚めるのでした。

たとえ夢の中と雖も懐かしい商店街に出かけられて幸せです。

赤外線いか焼

2006-02-17 10:16:09 | 懐かし商店街
「赤外線いか焼」の暖簾や幟が商店街に翻る・・・
昭和30年代の半ばに「赤外線いか焼機」が開発発売され大阪の商店街にお店が開店した。
「たこ焼屋」や「回転焼(今川焼)屋」さんが兼業する店が多かった。

「赤外線いか焼」は従来の鉄板とは異なり上下両面の鉄板にガスバーナーが仕込んで有る画期的な優れ物です。
いかの切り身と溶いたメリケン粉を鉄板に置き卵を1個入れ上の鉄板ではさむ。
上下の鉄板の先にはテコが有り其の先を金具で留める。
両面から押さえ込まれた「いか焼」は「ジュ~ッキュッキュッ~キュ~ッ」と美味しそうな音をたてて香ばしく直ぐに焼き揚がります。

「赤外線いか焼」は卵入りで一枚30円位でした。
ソースと相性は抜群で大フアンです。
今でも大阪のデパ地下では行列するくらいの人気商品に成りました。

何処が「赤外線」なのか良く判りません・・・
あの頃に「赤外線コタツ」が人気商品に成ったので名前をパクッたのが所以か?
「赤外線いか焼」は大阪の懐かしい長寿商品です。


いか焼

2006-02-16 10:14:48 | 懐かしの食品
「いか焼」と言えば大阪以外の地方では何を想像します?
多分串に刺した「いかの姿焼」を想像されるのでは・・・

大阪で「いか焼」と言えば「いか」の切り身にメリケン粉を溶いて二枚の鉄板で両面を焼いた食べ物です。
「お好み焼」の野菜抜きのような食べ物でソースを付けて食べます。
今は卵入りが普通ですが昔(昭和30年代初め頃)は卵無しが10円でした。

最初は露店商がお祭りや夜店の屋台で「いか焼」を売っていました。
香ばしい匂いが堪りません・・・
大きなヤットコの先に鉄板が有り「いか焼」を一枚ずつ焼いていました。
屋台の焜炉の上に何枚も並べて手際良く「いか焼」が出来上がる。
大きな刷毛でベッタリとソースを塗りつけて経木の船に「いか焼」を乗せてくれました。

露店で大人気の「いか焼」はやがて常店の「赤外線いか焼」に進化します。
あの経木の船に入った「いか焼」がなんとも懐かしい・・・

東京コロッケ

2006-02-15 10:15:48 | 懐かしの食品
「東京コロッケ」はお祭りや夜店の露天でテキヤの兄ちゃんが売っていました。
大阪のローカルな食べ物だと思います。
他所では見かけた事は有りませんでした。

昭和30年代の中頃に良く食べました。
「東京コロッケ」はビー玉位の大きさのコロッケで熱々の揚げたてを串に刺してウスターソースに浸して食べます。(美味しかった
じゃが芋を丸めたコロッケに衣を付けて大きな鍋で片っ端から揚げる。
揚がったコロッケは大きなバットに次から次へと掬い上げます。
ラードとソースの匂いが食欲をそそる・・・

「東京コロッケ」の屋台はコロッケを揚げる香ばしい匂いをあたりに振りまき子供達が群がる・・・
大きなパチンコ台が置いてあり10円を払うと串を一本くれます。
パチンコ玉を1個弾いてコロッケの数を決める。
揚げたての「東京コロッケ」を貰った串に当たりの数だけ刺す。
大きなバットのソースに浸して齧り付く。

スカは有りません。
最低はコロッケ5個位でした。
最高は10個位貰えます。

射幸心を煽るギャンブル性と揚げたての熱々の「東京コロッケ」に大きなバットに入ったソースの匂い・・・堪りません。
バットのソースは勿論「二度漬け厳禁」でした。

大阪の子供は幼い時から「串カツ」のソースを付ける作法を学ぶのです。

他人丼

2006-02-14 10:02:10 | 懐かしの食品
大阪には「他人丼」というメニューが有ります。
牛肉と玉葱や葱を玉子でとじた「肉玉丼」を謂う。
牛と卵は他人関係だから「他人丼」です。

鶏と卵は親子関係だから「親子丼」から命名したのだと思う。
「他人丼」は言わば「牛丼の玉子とじ丼」ですが面白い名前です。

大阪のメニューには何処か洒落言葉や地口が有る物が多い。
古いうどん屋では御飯の事を「シマ」と言います。
小御飯は「小シマ」です。
今の若い人や新しいうどん屋では言いませんし知りません。

江戸時代に堂島に米相場が立つ市場が有りました。
その堂島が米を表し「シマ」に成ったのです。

「他人丼」や「シマ」と謂うメニューが貼り出して有る古いうどん屋が懐かしい。

ソースカツ丼

2006-02-13 10:14:18 | 懐かしの食品
今から30数年昔の事ですが初めて「ソースカツ丼」と遭遇しました。
長野県北安曇郡神城のとあるスキー場近くの食堂です。
其の頃私はスキー場を開発して運営する会社の大阪案内所に勤務していたのです。

冬に成ると度々現地へ出張します。
その時に食堂へ入り「カツ丼」を注文しました。
すると出てきた「カッ丼」が・・・
刻みキャベツの上にカツが乗っていてソースがかけて有りました。
それまで私は「ソースカツ丼」なる物が存在する事を知りません。
吃驚して周りを見渡しても誰も不思議な顔はしていませんでした。

カツライスを丼に入れた物と思って食べましたが驚きました。
隣駅の白馬大池の食堂では普通の「カツ丼」です。
同じ白馬村なのに・・・何故に「カツ丼」が異なるのか?
悩みは尽きませんでした。

時は遷り「B級グルメ」や「レトロブーム」で各地に「ソースカツ丼」が有り雑誌で紹介されます。
岡山の「ドミグラスソースカツ丼」や福井や会津の「ソースカツ丼」はどれも美味しそうです。
しかし初体験で突然闇討ちされた白馬村の「ソースカツ丼」が一番懐かしい。

木の葉丼

2006-02-12 10:44:40 | 懐かしの食品
小学生の頃(昭和30年代初め)店屋物を食べる時に「木の葉丼」がお気に入りでした。
「木の葉丼」は細切りの蒲鉾や椎茸と長葱を甘辛く煮て卵で綴じた丼です。
大阪では今も蕎麦屋さんやうどん屋さんのメニューに有る。
しかし関西以外では見かけた事は有りません。

昔は「蒲鉾」が御馳走でした。
遠足のお弁当には蒲鉾を甘辛く煮た物が定番です。
それに「玉子焼」

卵の価格は昭和30年代とほとんど変わっていません。
昔は本当に卵は高価で貴重な物でした。

遠足や運動会などのお弁当や「おやつ」の王様です。
「煮ぬき玉子」や「玉子焼」が光輝いていたあの頃が懐かしい。

たぬき

2006-02-11 10:47:57 | 懐かしの食品
「たぬき」と言えば関西では「蕎麦」に「油揚の甘煮」が乗っています。
初めて東京に行って蕎麦屋で「たぬき」を注文しました。
暫くして出て来たのは・・・大阪で謂う「ハイカラ蕎麦」です。
またもや異文化に触れてショック

大阪の「ハイカラ」は東京の「たぬき」でした。
どちらも「テンカス(揚げ玉)」がタネとして「うどん」や「蕎麦」に乗っている。

では大阪の「たぬき」を東京で注文するには?
なんと「きつね蕎麦」と謂うらしい。
所変われば品変わるで本当にややこしい

地方色豊かな異文化に触れるのも最近は楽しく成りました。

きぼう号

2006-02-10 10:12:41 | 懐かしい思い出
昭和30年代の後半に中学校の修学旅行で東京方面へ行きました。
国鉄(現在のJR)で大阪駅から修学旅行専用列車「きぼう号」に乗り込みます。
「東京オリンピック」が有り東京は高速道路だらけに変貌していました。

小学校の5年生の時に母と「熱海」「横浜」「東京」へ旅行した時からは驚くほどの変わりようでした。
この旅行は「東京タワー」が出来て母の関東方面の友人からお誘いが有ったので夏休みに遊びに行ったのです。
「東京タワー」のプラモデルを買って貰い嬉しかった。

その時の驚愕は東京で食べた「トコロテン」です。
関西では「トコロテン」に黒蜜をかけて食べる甘いお菓子です。
東京で食べた「トコロテン」は酢醤油が入っています。
一口食べて思わず吐き出した・・・
初めてのカルチャーショックに驚いたのも懐かしい思い出です。

中学校の修学旅行は「富士五湖」「東京」です。
同級生との連泊は本当に楽しかった。

生姜糖

2006-02-09 10:09:11 | 懐かしい御菓子
伊勢神宮へ修学旅行に行った時に「生姜糖」を御土産に買った。
生姜の味がする砂糖菓子で伊勢の名産です。

修学旅行の小遣いは300円位に学校から決められていました。
「赤福餅」が50円位で沢山は買えないので安い「生姜糖」をまぜて御土産の数を合わします。

「生姜糖」は小さいのは20~30円で買えたと思う。
なにしろ物価はまだまだ安かったのです。
電車や汽車(バス、市電、地下鉄も同じ)の初乗りが一区間10円(子供は半額)でした。
うどん屋さんで「素うどん(うどんかけ)」が10円で食べられます。
10円に値打ちが有った良き時代です。

なぜか「生姜糖」が無性に懐かしい今日この頃です。