氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

大阪大丸

2006-09-30 01:07:04 | 懐かしい言葉
心斎橋の「大阪大丸」にもアルバイトで売り場に立ちました。
偶には神戸元町の「神戸大丸」にも遠征します。
「大丸百貨店」にも独特の隠語が有りました。

食事・・・ギョク 例:「ギョク行って来ますので宜しく」
御手洗・・・サンサン 例:「00さんはサンサンです」

何処の百貨店の社員食堂も安いけれどあまり美味しくは有りません。
込んでいるし女性ばかりで化粧臭く雰囲気は悪かった。
我々男性は背広も制服では無いのでバッチをポケットに入れて客用出入り口から
休憩や食事に外へ気軽に出て行けます。
女性は制服が有るので外へは中々出て行けません。
社員やアルバイトは客用出入り口やエレベーター、エスカレーターは使用禁止です。

何かと厳しい規則が有りましたが今と成れば懐かしい思い出です。

難波高島屋

2006-09-29 00:22:59 | 懐かしい言葉
「難波高島屋」の売り場にも何度もアルバイトで立ちました。
従業員入り口は東側に有ります。
入り口を入って左側(南側)の突き当りが社員食堂でした。

高島屋の隠語も覚えているのを書いてみます。
食事・・・有利久(アリキュウ)例:「アリキュウは何時から?」
社員食堂・・・有利久場(アリキュウバ)例:「課長はアリキュウバに居ったで」
御手洗・・・腎休?(ジンキュウ)例:「ジンキュウバは何処?」

まだまだ有ったのでしょうが・・・忘れました。
もう35年も昔の懐かしい思い出です。

松坂屋~2

2006-09-28 08:01:51 | 懐かしい言葉
昭和40年代の初めに学校が休みになればアルバイトをしました。
百貨店の売り場に派遣店員として立つのです。
親戚の会社が百貨店相手の商社だったので在阪のデパートは全て売り場に立った。
なかでも「天満橋松坂屋」には何度も行きます。

百貨店には社員や店員どうしにしか解らない隠語が有りました。
お客さんを前にしても解らないように店員どうしの意思の疎通をする為です。

食事・・・喜座(キザ) 例:「キザへ行って来ます」
社員食堂・・・喜座場(キザバ) 例:「キザバで社員セールをします」
手洗い・・・三々(サンサン) 例:「ちょっとサンサンに行って来ます」

このような百貨店独特の隠語が有り面白かった・・・
今となってはとても懐かしい言葉です。

松坂屋

2006-09-27 00:08:36 | 懐かしい思い出
「松坂屋」は昭和40年代の初めに日本橋4丁目から天満橋へと移転して来ました。
日本橋4丁目に有った「松坂屋」は現在も高島屋別館として存在しています。
当時は堺筋に市電が通っていて日本橋4丁目の停留所の前に有りました。
子供の頃は「日本橋松坂屋」が家の近所なので馴染の百貨店だったのです。
今の百貨店の規模から考えれば小さな百貨店でしたが好きな場所でした。

母親に連れられて買い物に行くのですが興味の有る売り場で立ち止まるのでよく迷子に成ります。
迷子に成っても慣れているので顧客のお姉さんの所へ行って呼び出しのアナウンス
をお願いする・・・
「僕・・迷子に成ったのでお母さんを呼び出してください・・・」
顧客のお姉さんとも顔馴染でお菓子など貰い母親が来るのを待っていました。

母親は恥ずかしそうに迎えに来てくれましたが難儀な子供ですね。
でも懐かしい思い出の百貨店です。

そう言えば天満橋の「松坂屋」も営業不振で閉店してしまい今は有りません。

京阪京橋駅

2006-09-26 00:14:40 | 懐かしい思い出
昭和40年代の前半に「京阪京橋駅」が移転しました。
環状線の内側で国鉄京橋駅の近くの場所です。
新駅は高架の上で複々線のホームに成りました。
京阪モールと言うショッピングセンターも併設された駅ビルです。
長い長いエスカレーターが印象に残っています。

「旧京阪京橋駅」は平面線路がカーブした場所で踏切が商店街のなかに有る。
乗降客が多くて踏み切りでは待たされました。
京阪電車と国鉄環状線、片町線の駅付近は賑やかな商店街が密集した盛り場です。

あの頃のゴミゴミした「京阪京橋駅」が懐かしい・・・

京阪天満橋駅

2006-09-25 00:53:24 | 懐かしい思い出
昭和30年代の後半に「京阪天満橋駅」は地下駅に変わりました。
淀屋橋駅まで地下軌道が延長されたからです。
それまでは「京阪天満橋駅」が始発駅で地上駅でした。

旧駅は現在OMMビルが建っている場所に有ったのです。
近鉄の上本町駅や阿部野橋駅に似た地上駅でした。
当時私は守口市内に住んでいたので馴染の駅です。
最寄の駅は「滝井駅」でした。

「京阪天満橋駅」からの接続は市電か市バスしか有りません。
地下鉄には接続していませんでした。

地下鉄も路線が少なく堺筋線や谷町線は未だ工事中だったのです。
でもあの頃がなんとも懐かしいのです。

らーめん親子

2006-09-24 00:21:25 | 懐かしいTV番組
昭和35年にMBS毎日放送が金曜日の夜9:45~10:00まで放送して
いた「らーめん親子」を眠さを堪えて観ていました。
主演は「芦屋雁之助」で弟の「芦屋小雁」が共演していたのです。

ドラマは大阪の下町が舞台で夜鳴き蕎麦の屋台を曳く中国人親子を描いた喜劇
でした。
TVの黎明期には変則的な15分仕立てのドラマが存在したのです。

父親の「芦屋雁之助」が子供の「芦屋小雁」に「中国に古い諺ある・・・」
と言うセリフが毎回の定番でした。
「芦屋小雁」の舌足らずの子供言葉も流行します。

ほのぼのとした中国人親子と大阪の下町の住人が織り成す物語が懐かしい。

道頓堀角座

2006-09-23 00:19:55 | 懐かしい思い出
昭和30年代の後半に「道頓堀角座」に行きました。
中でも印象に残るのが三代目桂春団冶師匠の落語です。
口座は「いかけ屋」でした。

TVの寄席中継やお笑い番組の落語は短時間ですが生の口座は長かったのです。
師匠の口座を観て上方古典落語のフアンに成りました。

「道頓堀角座」は松竹芸能系の漫才師や落語家が出演していた寄席です。
難波花月や梅田花月の吉本興業の寄席とは少し雰囲気が異なりました。
所属のタレントの雰囲気が違ったのかも知れません。

今は角座も映画館に産まれ変わり寄席は無くなりました。
寄席で有った「道頓堀角座」がなんとも懐かしいのです。

国旗、国家斉唱は違憲?

2006-09-22 10:21:12 | 政治
東京地裁、難波孝一裁判長は21日の判決で違憲の判断をした。
「通達や都教委の指導は思想・良心の自由を保障した憲法に違反する」
との違憲判断で教職員に起立や国歌斉唱の義務はなく処分も出来ない・・・
慰謝料として一人当たり30000円の賠償を都に命じた。

東京都教育委員会が入学式や卒業式で教職員が国旗に向かって起立し国家斉唱する
ように通達したのに対し都立学校の教職員ら401人が都と都教育委員会を相手
取り通達に従う義務がないことの確認や損害賠償を求めた裁判の判決である。
以上は読売新聞9月22日朝刊より引用した。

こんな裁判長や教職員が居るので日本の政治は変に成るのです。
教職員は無垢の子弟達に偏向した教育をしている。
また法の番人で有る裁判官達も偏向した判断を下すのは戦後の偏向した教育を受
けて育った所為で有る。
今の教職員も勿論、戦後の偏向した教育を受けて育った世代である。

思想・良心の自由は憲法で認められているでしょう。
しかし彼らは自らの政治的心情を思想・良心の自由にすり替えている。
国旗や国家斉唱に対する嫌悪を拡大解釈し争う・・・
公務員で有りながら自分の国の国歌や国旗に敬意を持てない彼らが理解出来ません。

彼らが研修旅行や観光で海外に行く時にパスポートは如何するのだろうか?
パスポートに日の丸の国旗は無いけれど忌み嫌う菊のマークは有る。
君が代が天皇制に繋がり国歌まで受け入れない彼らに菊のマークは受け入れるのか!
パスポートも否定して訴訟を起しなさい。
忌み嫌う国家や行政から給与を貰う立場を速やかに離脱し争いなさい!
官に所属しないで下野し好きな信条や思想を良心に恥じる事無く謳歌しなさい!

こんな奇怪な公務員がのさばる可笑しな国家は世界に稀だ・・・嗚呼

千日劇場

2006-09-21 00:01:49 | 懐かしい思い出
御堂筋に新歌舞伎座が竣工して千日前に有った歌舞伎座は「千日デパート」に改装
されました。
その6階に出来だ寄席が「千日劇場」です。

千土地興行(現松竹興行)系の寄席でした。
桂小米(亡き桂枝雀)桂朝丸(現桂ざこば)の落語を聴いた思い出が有る。

「千日デパート」はテナント式のショッピングモールでした。
ニチイの改装中の火災で沢山の犠牲者を出し閉鎖されます・・・
「千日劇場」もその所為で閉鎖されました。

「千日デパート」現在はプランタンとして営業をしています。