氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

フラフープ

2005-07-31 10:02:01 | 懐かしい玩具
昭和30年代の初め頃に「フラフープ」という遊具が大流行した。
塩化ビニールのパイプを直径1,5mくらいの輪にした簡単な玩具です。
「フラフープ」を腰に当て、両手で持ち、腰を動かしながら「フラフープ」を廻し続ける。
見ている時は簡単に廻せると思うのだが自分でやるとなかなか上手くは出来ない。

「フラフープ」にはカラフルな色が沢山有り大人も子供も夢中で廻した。
私も親にネダッテ公設市場の玩具店で買って貰う。
ターコイズブルーの綺麗な色の「フラフープ」でした。

長時間、遊んでいると横腹が痛くなる。
そのうちに新聞やラジオでこんな報道があった。
「フラフープの遊びすぎで腸捻転を起こした子供が居る。」
噂に尾ひれが付いて「胃に穴が開いた子供が死んだ。」
「フラフープ」大流行の終焉です。

他所の家の玄関の壁に誰も遊ばなくなった「フラフープ」が立て掛けてある。
内の家でも下駄箱と壁の間に立て掛けてあった。

あの頃は不要な物でも捨てるのは罪悪感があったのだろう。
ゴミでもとても少なかった。

ホッピング

2005-07-30 09:34:27 | 懐かしい玩具
昭和30年代の初め頃に「ホッピング」という遊具が大流行した。
鉄製の子供向けの運動遊具でT字型の下の部分にスプリングがある。
上の部分のハンドルを両手で握り下のスプリングの上に足を乗せる台があった。

両手でハンドルを持って片足を台に乗せスプリングがたわんだ所へもう片足を素早く乗せハンドルを上に引っ張り上げる。
スプリングのたわみを利用して反復上下運動をして遊ぶ遊具です。

こんな単純な遊具が全国で爆破つ的に大流行したのです。
早速「ホッピング」を公設市場の玩具屋で買ってもらう。
しかし直ぐに飽きてしまいます・・・

高度経済成長の前段階の時代でした。
戦後の食糧難や住宅難に少しずつ余裕が出てきて玩具にも手が出るようになってきたのです。
あのころは変な物が大流行する懐かしい時代でした。

ロバのパン屋

2005-07-29 09:49:24 | 懐かしい商売
昭和20年代後半~30年代初めにかけて「ロバのパン屋」が来た。
ロバに引かせた荷台に蒸パンを積んで音楽を鳴らしながら街頭販売に来る。
その音楽は「ロバの~おじさん~チンカラリン~チンカラリンロンやって来る~」でした。
派手でお洒落な荷台にテントの屋根があり、ガラスのショーケースに色々な蒸パンが並べて有ります。
チョコレートパン、クリームパン、餡パン、色々な蒸パンがありました。

音楽とロバの蹄の「パカポコパカ~」という音が聞こえてくるとお母さんや子供が表へ出てきてパン屋さんを止めます。
パンは美味しかったけれどロバは汚くて臭かった・・・

「ロバのパン屋」の訪問はあまり長続きはしなかった記憶がある。
販売場所を変えたのか?
家の近所へは来なくなったのです。
大阪だけではなく他の府県にも「ロバのパン屋」は来たのだろうか?
京都が発祥の地だと聞いた事があるのです。

週刊少年サンデー

2005-07-28 09:49:03 | 懐かしの漫画
昭和34年4月に小学館から「週刊少年サンデー」が創刊された。
「週刊少年マガジン」に遅れる事1ヶ月での慌ただしさです。
表紙は読売巨人軍の人気者、長嶋茂雄だった。

寺田ヒロオの「スポーツマン金太郎」を覚えています。
赤塚不二夫の「おそ松くん」が大人気になりました。
藤子不二雄の「海の皇子」も地味でしたが連載されています。
手塚治虫の「ゼロマン」も人気がありました。
横山光輝の「伊賀の影丸」も連載される。

月刊漫画誌の時代は終焉を迎え週刊漫画誌の時代と成ります。
此処から先の漫画にはあまり懐かしさを感じません。
他にも貸本漫画の時代も有りましたがまた別の機会に書きます。

週刊少年マガジン

2005-07-27 09:56:41 | 懐かしの漫画
昭和34年3月に講談社から「週刊少年マガジン」が創刊されました。
たしか定価は30円だった記憶が有ります。
表紙は当時人気の朝潮太郎関でした。
月刊漫画誌から週刊漫画誌へのエポックメーカーが「週刊少年マガジン」です。

ちばてつやの「ちかいの魔球」を思い出しました。
石森章太郎の「怪傑ハリマオ」は人気が出て昭和35年4月からTVドラマ(実写)で放映されます。
主題歌は「真っ赤な~太陽~燃えている~」でした。
東南アジアのマレー半島が舞台なのにオール国内ロケです。

桑田次郎の「8マン」も人気が出てTVアニメにも成りますが「伊賀の影丸」同様其の頃には興味が他に移り漫画もTVも見ていません。

ぼくら

2005-07-26 10:03:52 | 懐かしの漫画
講談社から発行されていた「ぼくら」も読みました。
高野よしてるの「木刀くん」を覚えています。

昭和34年2月から連載が始まった武内つなよしの「少年ジェット」は大人気に成りました。
少年ジェットこと北村健は愛犬シェーンと共に怪事件を解決します。
武器はミラクルボイス(ウ~ヤ~タ~の掛け声で波動が出る)とスーパーコルト(殺傷能力は無いスタンガン様の拳銃)とスクーター(富士重工のラビット号?)だった。
昭和34年3月からTVドラマ(実写)でも放映され日本中に大流行します。
主題歌は「勇気だ~力だ~誰にも負けない~この意気だ~」でした。
まぼろし探偵の黄色いマフラーに対抗してか少年ジェットは白いマフラーです。
TVはモノクロの時代ですが漫画の印刷で色は解りました。
少年ジェットの真似をして自転車に嫌がる犬を無理やり引っ張って転倒し大怪我をした子供もいます。(私では有りません)

伊藤章夫の「狼少年ケン」も昭和38年11月からTVアニメとして放映され人気が有りました。
しかし我々団塊の世代は漫画やアニメは卒業して模型や他の趣味に移っていたので漫画誌もTVアニメも見ては居ません。

成人してからあの頃の漫画誌が懐かしくて古書店や古書市を訪ね探しましたが有りませんでした。
偶に有れば馬鹿げた高価格でとても手が出ません。
それでも何冊かは泣き泣き手に入れました。
ブリキ玩具の鉄人28号や鉄腕アトム、少年ジェット、まぼろし探偵なども6桁の価格が付いています。
まるでトイバブルでは有りませんか?

少年画報

2005-07-25 11:00:49 | 懐かしの漫画
冒険活劇文庫が「少年画報」に改題され版元も少年画報社に改組される。
私は人気漫画が目白押しの「少年画報」も良く読みました。

昭和29年に連載が始まった福井英一の「赤胴鈴之助」は作者の急死により竹内つなよしにバトンタッチされる。
最初は竹内つなよしの画に戸惑ったがやがて大人気となった。
「赤胴鈴之助」は昭和32年1月にはラジオでも放送され、10月にはTVでも放映が始まる。
剣~を取っては~日本~いちの~」の主題歌が日本全国で大流行した。
福井英一氏の御冥福を祈ります。

桑田次郎の「少年探偵王 まぼろし探偵」も人気があった。
河島光広の「ビリーパック」、堀江卓の「天馬天平」も読んだ記憶がある。

手塚治虫の「スーパー太平記」は少し変わったSF物で好きでした。
時間旅行社の夫婦がタイムマシンの故障で幼児を江戸時代に置き去りにする。
其の子供が成長し奉公先で苦労して酒樽や丸木で戦車のような物を作り怪物と戦う。
そんなストーリーだったと思います。

昭和38年には「少年画報」は廃刊になり「週刊少年キング」に変身する。
月刊少年漫画誌の終焉の時代です。

漫画王

2005-07-24 10:15:09 | 懐かしの漫画
秋田書店から発行されていた「冒険王」の姉妹誌「漫画王」も読んでいた。
「漫画王」は「冒険王」より新しく創刊された記憶がある。
手塚治虫の「ぼくのそんごくう」が連載されていて人気があった。

私はうしおそうじ(鷺巣富雄 さぎすとみお)の「朱房の小天狗」に懐かしい思い出がある。
時代劇の捕り物帳で怪事件を朱房の十手を持った主人公(少年)が解決してゆく。
手抜きの無い綺麗な描写が好きでした。
私は親にねだり紫の房が付いた鉄製の十手(銀色で重かった)を買ってもらう。
母親に紫の房を朱色の房に付け替えて貰い得意だった。
チャンバラ遊びでは「朱房の小天狗」に成りきっていたのです。

漫画家のうしおそうじは後のピープロの社長鷺巣富雄氏の若年時代である。
ピープロは特撮TV映画のプロダクションで40代の人達には懐かしい番組を制作していた。
因みにピープロ作品は「マグマ大使」「スペクトルマン」「怪傑ライオン丸」「怪獣王子」「鉄人タイガーセブン」「電人ザボーガー」「宇宙猿人ゴリ」などです。
ピープロ作品は円谷プロとは一味違うB級特撮映画の雰囲気がある。
そのB級とは褒め言葉で私の心からの賛辞です。
今時のCGを駆使した特撮には無い味がありました。

残念ながらこれらの作品は年代が異なりほとんど真剣には見ていません。

冒険王

2005-07-23 09:51:22 | 懐かしの漫画
秋田書店から発行されていた「冒険王」も読んでいた。

絵物語では福島鉄次の「砂漠の魔王」が人気です。
漫画では福井英一の「イガグリ君」が柔道物の先駆けとして大流行した。
しかし昭和29年に天才漫画家福井英一は惜しくも亡くなります。

手塚治虫の「冒険狂時代」「前世紀LOST WORLD」「魔人ガロン」などが連載された。
なかでも「魔人ガロン」は悪役ロボットで大人気です。

親戚の人からブリキの魔人ガロンを買って貰った思い出がありますが・・・
ブリキの鉄人28号の型に無理やりにガロンの顔をプリントした玩具で面白くなかった。
そういえば小さい時から些事に拘る変な子供だったのですね。
大人から見たらなんと嫌な子供でしょう。反省(手遅れ)

おもしろブック

2005-07-22 10:17:12 | 懐かしの漫画
集英社から発行されていた「おもしろブック」も好きだった。
絵物語で著名な山川惣治の「少年王者」が記憶にあります。
馬場のぼるの「ポストくん」はほのぼの漫画でした。
益子かつみの「白星くん」は相撲漫画だったと思う。
手塚治虫の「大洪水時代」は別冊付録で読んだ思い出がある。
「地球大戦」は連載だったかもしれない?
なかでも杉浦茂の「猿飛佐助」が大のお気に入りでした。

杉浦茂はナンセンスギャグ漫画の第一人者で大フアァンです。
他の作品は「冒険ベンちゃん」「弾丸トミー」「ドロンちび丸」「少年西遊記」「モヒカン族の最後」「水戸黄門漫遊記」「八百八たぬき」「太閤記」「ゼロ人間」などがある。
漫画の場面がシュールなタッチに急変したり矢鱈と食事や食べ物が登場した。
杉浦茂の影響を受けた漫画家はとても多いと聞いています。
長寿を全うした偉大な漫画家でした。

「おもしろブック」は集英社の方針で昭和35年に「少年ブック」に改題されます。
昭和34年に週刊漫画の「少年マガジン」「少年サンデー」が創刊されました。
それが月刊漫画誌の売れ行きに影響されたのが原因かもしれません?

あの頃の漫画に郷愁を感じて堪らない頃日です。