氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

武蔵

2006-01-31 11:14:27 | 模型懐古譚
私のプラモデル初組み立ては「日本模型の武蔵」です。
船体は水色の成形色と喫水線から下は赤色の成形色のツートンカラーでした。

それまでの木製模型とは大きく異なり細部までが精工に出来ています。
36センチ三連装の主砲や艦橋などは本当に素晴らしかった。
プラカラーなぞ買う余裕は無いし塗装までは手が廻らない。
素組で見栄えがする成形色が素敵です。

モーターライズか如何か記憶が無い・・・
「武蔵」の価格は多分350円位だったと思う。
其の頃は「月刊漫画誌」や「週刊漫画誌」では「戦記ブーム」で「小松崎茂画伯」の挿絵がグラビアの特集を飾っていました。

プラモデルに出会い模型の虜に成る初体験が「武蔵」です。

瑞鶴

2006-01-30 10:16:49 | 模型懐古譚
昭和30年代の初め「瑞鶴」と言う航空母艦の模型を作りました。
まだプラモデルは無くて「木製」の模型が全盛の頃です。
モーターライズでは有りませんでした。
只の木の切れ端を大まかに組み立てる原始的な模型です。
「セメダイン」が登場して細かい部品も接着出来ました。
釘を使わなくても組み立てられて大満足でした。

ラッカーなぞ買うお金は有りません・・・
水彩絵の具で塗りましたが水に浮かべると絵の具は溶けて滲みます。
絵の具を乾かせてニスを塗ります。
ニスが乾くと鈍く光る「瑞鶴」は完成しました。

プラモデルが出来る前の木製模型が花形だった頃の思い出です。

旧正月

2006-01-29 10:53:12 | 日記
「新年快楽
「春臨福満地 大家添新喜」
今日は旧暦の元旦です。
台湾では旧暦のお正月を盛大に祝い会社や学校もお休みです。
今頃は「紅包(紅い袋に入ったお年玉)」が飛び交っている事でしょう。
爆竹が鳴りめでたい紅色が満開の「春節」が懐かしい・・・

「台湾的好朋友 賀年 2006年 農暦元旦」



世界大戦争

2006-01-28 10:16:54 | 懐かしの映画
「世界大戦争」は昭和36年に東宝が総天然色で制作した映画です。
監督 松村宗恵 特技監督 円谷英二 出演 フランキー堺 星由里子 乙羽信子 宝田明 笠智衆

この頃はアメリカとソ連の二極化が深刻で「第三次世界大戦」は何時勃発するか知れない時代でした。
「大陸間弾道弾」が飛び交う「核戦争」の恐怖は現実の物だったのです。
この「世界大戦争」は決して子供向けの映画では無かったのです・・・

アメリカプレスクラブの運転手、田村(フランキー堺)は妻(乙羽信子)と娘、冴子(星由里子)とささやかながら幸福な家庭を築いていました。
冴子は恋人の無線通信士、高野(宝田明)と婚約しています。
そんな平和な日本の生活をよそに「同盟国」と「連邦」の二大勢力は一触即発の臨戦態勢を続けていた・・・

「連邦軍」の艦船と「同盟国軍」の航空機による軍事衝突から全面戦争に事態は急転する。
日本政府は停戦と和平を必死で呼びかけるが「第三次世界大戦」は始まってしまい東京にも「核ミサイル」は飛来してくる・・・

高野と冴子のアマチュア無線による最後の交信「・・・コウフクダッタネ・・・」はとても悲しかった。

この映画の翌昭和37年には「キューバ危機」が勃発し「第三次世界大戦」の恐怖はマザマザと甦ります。
映画での恐怖が現実の恐怖に成ります・・・
ちょうど小学校の修学旅行で伊勢に行く時でした。
今でも良く覚えています。

タイガーロケッティ

2006-01-27 10:20:48 | 模型懐古譚
昭和30年代の初め頃「タイガーロケッティ」と言う「模型ロケットエンジン」が有りました。
少年漫画月刊誌の広告や通信販売で宣伝されています。
模型屋さんで現物を見て買った。

アルミニュウムのキャップの中に固形火薬を入れて付属の導火線に点火する。
言わばロケット花火のような物です。
しかし花火と違い固形火薬を入れ替えると何度も繰り返し使用出来た。

この「タイガーロケッティ」には「A型」「B型」の2種類が有りました。
どちらがどう違うのか覚えていません。

バルサ材の飛行機に「タイガーロケッティ」を搭載して飛ばした。
しかし燃焼時間が10秒足らずで物足りません。
それにコントロールの方法が無いので何処へ飛んで行くか判らない・・・
導火線が途中で消えたりトラブルが多かった。

上手く飛んだ時には「シュュュー」と言う燃焼音と煙は大迫力です
しかし危険な玩具で直ぐに学校で禁止に成りました。
あの頃は「空気銃」など野放しで危険な玩具が多かったのです。

モスラ

2006-01-26 10:30:35 | 懐かしの映画
「モスラ」は昭和36年に東宝が総天然色で制作した映画です。
監督 本多猪四郎 特技監督 円谷英二 出演 フランキー堺 小泉博 香川京子 ザ・ピーナツ

東宝怪獣映画も「ゴジラ」「アンギラス」「ラドン」「バラン」と続き新怪獣「モスラ」の登場です。
この頃までは怪獣が悪役で人類の敵でした。
何時頃から子供達のアイドル?になり味方になったのか?
たぶん「宇宙怪獣キングギドラ」が地球に現れて「地球生まれの怪獣」が味方になる時からだったと思う。
しかし其の頃はもう大きく成っていたので真剣には観なかった。

「モスラ」は南海の孤島「インファント島」で神と崇められている「大蛾」です。
小人の妖精(ザ・ピーナツ)がテレパシーで「モスラ」と交感出来る。

「モスラ」の卵を興行会社が日本に持ち帰り海岸に孵化施設を作る。
「モスラの幼虫」が孵化し施設を破壊し東京へと進む。
出来たばかりの東京タワーを半分倒壊させ大きな「繭」を造る・・・

「モスラ」の成虫はあまり好い出来ではなくピアノ線が丸見えでした。
まさか怪獣ブームになり子供のアイドルになるとは思いもしなかった。
しかしあの頃の「東宝特撮映画」が懐かしい。

秋霜烈日

2006-01-25 10:19:48 | 日記
白い花弁の中に紅い菊の花・・・「秋霜烈日」
この小さなバッチを胸元に煌めかせた「東京地検特捜部」がヒルズを駆け巡りLDの強制捜査に着手。
任意事情聴取から逮捕は迅速でした。

各メディアの「ホリエモン」バッシング(特にフジTVはリベンジ?)は眼を見張る。
しかし「ホリエモン」もメデアを利用して露出して来たのだから自業自得です。
一番馬鹿を見たのがLDの株主でお気の毒ですね。

去年の選挙で彼を刺客候補にした自民党執行部も人を見る眼が無かった。
民主党は小泉総理に候補者(無公認、無推薦)が不祥事を起こした責任を問うたが・・・民主党の公認議員が覚醒剤事件を起こした事件で切り返される。
薮蛇でした。
しかしどちらも次元が低すぎるのでは?(目糞鼻糞で恥を知れ!

「秋霜烈日」の「東京地検特捜部」に期待します!
「耐震偽装事件」の「爬虫類野郎」や「コンサルタント」そして裏に潜む「政官財」の巨悪を暴く「強制捜査」「逮捕」を迅速にお願いします。

LDユーザーのブログはこれから如何なるのかな?
LD株が此処まで暴落すると・・・外資や国内の投資ファンドが虎視眈々と狙っている。
そしてハイエナ企業(虚業?)によるLDグループの解体の饗宴が始まります。
LD株主の一般投資家の皆さんダブルでハイエナの餌食に成らないように御注意して下さいね。


井笠鉄道~2

2006-01-24 10:36:46 | 懐かしい思い出
「笠岡駅」を発車した「井笠鉄道」の「矢掛行列車」は山側に大きく曲がります。
街並みの軒を掠めて「気動車」は「ブルルンブルルン」と車体を振るわせて快調に進む。
物干竿や塀をすれすれに走る「気動車」はスリルが有って面白かった。

車庫や機関庫が見えて来れば「くじば駅」に到着する。
「くじば駅」を出ると車窓には長閑な田園風景が広がり「気動車」は進みます。

「大井村駅」から「こびらい駅」そして「吉田村駅」へと玩具のような「軽便鉄道」は一生懸命に走り抜けます。

「気動車」のギアがシフトされスピードが落ちると山道にさしかかる。
バスの排気音のようなエンジンの音は電車と異なり旅愁を誘いました。

やがて「にいやま駅」に到着し「北川駅」へと「気動車」は進む。
「北川駅」で線路は二方向に分岐します。
「北川駅」は「井原駅」方面と「矢掛駅」方面へとの分岐駅で乗り換えする乗客も少なくは無かった。

「北川駅」を出発した「気動車」は小田川に掛かる「観音橋鉄橋」を渡り右に大きく曲がると「備中小田駅」に到着します。
古い駅舎が故郷の駅です。

今はもう存在しない懐かしい「井笠鉄道」の旅を思い出してみました。

井笠鉄道

2006-01-23 11:18:36 | 懐かしい思い出
「井笠鉄道」はもう昔に廃線に成った軽便鉄道で有る。
岡山県の笠岡から井原、矢掛に通う小さな気動車が走っていました。
山陽本線の笠岡駅構内に「井笠鉄道」のホームが有ります。

軽便鉄道ですから線路の幅は本線の半分も有りません。
気動車や木製の客車は黄色と草緑色のツートンカラーです。
貨車は黒色で小さな荷物も沢山積んで有りました。

父方の郷里「備中小田駅」までこの小さな軽便鉄道で帰省します。
遊園地の汽車のような「井笠鉄道」に乗れるのが一番の楽しみだったのです。

あの頃は(昭和20年代後半から30年代半ば)日本全国に沢山の「軽便鉄道」が有りましたが今はほとんど廃線に成り残っていません。

消えてしまった「井笠鉄道」がとても懐かしく思い出されます。

ちばけるな!

2006-01-22 10:38:25 | 懐かしい岡山弁
法事の宴会でお酒に酔った叔父さん達の歌や手拍子が面白くて従姉妹達と真似をして踊り廻った。
手を繋いで座敷をグルグル廻ると眼が廻りひっくり返る。
空の御銚子やお膳にけつまずいて落花狼藉の限りを尽くした。

叔父さんや叔母さんが「ちばけるな」と叱る。
私は又も眼が点になり「蹴って無いよ!蹴ってません」と皆に言う。
皆はキョトンとして静まりかえりました。

「何にも駆って無いのに・・・」の言葉に一同は大爆笑です。
「ちばける」は「ふざける」の意味でした。
大阪では「いちびり・いちびる」の意味です。

もうあれから50年もの年が過ぎました・・・嗚呼ぁ懐かしい思い出です。