きょうは暑い一日でした。
梅雨入りを待たずして夏が先に来ちゃったのか?
ジュリーライブも終わってちょっと脱力~の月曜日。
いまだ終わっていない名古屋振り返り~
まとめます。
お着換え待ちかと思いきや、すぐに再登場されたジュリー様は白シャツのうえに白いベスト
てっきり2着目があると思っていたので「あれれ?」と。
もちろん、このお姿もとっても素敵だったのですよ。やっぱりずいぶんすっきり痩せられてる~
とにかく・・ジュリーのお話しがやっとゆっくり聴ける~
東京は時間が押して押してバタバタで、ジュリーも落ち着いて話せませんでしたから。
「ありがとうございますー!」と挨拶から始まって・・
「ソロ活動50周年バラード。東京でやろうと思った時、ロック・ポップスは(会場収容)50%じゃないとだめということで、僕は『どうやったら100%でできるんですか』と執拗に聞いたんですね。」
すごい!ジュリーは自らフォーラムに交渉されたのね。
「そしたら『歌謡曲ならいいですよ』って。歌謡曲って・・?昭和42年にタイガースでデビューした時、シングル盤レコードに赤いラベルが貼ってあって『歌謡曲』って書いてあった・・。」
デビュー当時はまだ「グループサウンズ」というジャンル?ネーミング?が確立してなかったんですね。「ロック」なんてもっとなかったのかな。
「それはどういうことなんですか?と聞いたら、『静かな雰囲気でずっとやっていただくんだったらお客さんも立ち上がらないでしょうし、声援もしないでしょうし』って。」
んんん。普段のライブでしたら、静かな曲でもずっとスタンディングしたまま聴いちゃいますけど~?
でも、ジュリーが「叫ばないでね、座っててね」とおっしゃれば、それはもうみんなちゃんと従いますよ。
まぁ、そのときはちょうど緊急事態宣言が解けたときで、クラッシックとか伝統芸能とかは100%でOKだったから、なんとかジュリーも100%OKにならないか?と考えて、後日
「もしかしてですけど、スローな曲ばっかりやるんだったらどうですかね?と聞いてみたら、『あ、それなら大丈夫ですよー』!」
ジュリー様、それだってことで閃いちゃったんですね。
だからタイトルは「BALLADE」として・・まぁ、ようするにジュリーがスローだ、という曲を選んで。
・・果たして本当にスローな曲ばっかりだったかは・・・??と、して
でもその後また状況は変わって行ったし・・。
「でもまた『31日まで(緊急事態宣言が)延長になった中で100%でやるっていうのが沢田研二らしいじゃないの』って言われて・・『らしい』?『らしい』ってどういうこと?」
「でもそんなえらいことじゃなくて、いろんな偶然、幸運が重なり合って(東京100%開催が)OKになったんですよ!」
いろんなことが重なって重なりまくって・・とはフォーラムでもおっしゃってましたね。
「ただ、感染対策は徹底する。初めてのこと・・半券の裏に名前・連絡先。書いてない人が多かったみたい。あとあと・・なんだっけ?トイカじゃなくてイコカじゃなくて・・
あ!ココアか。感染したらすぐ通知がくるっていう。・・そんなんねぇ?私らの年代にそんなんすぐ入れ!言うたって、どうしたらいいかわからへんがな。
出演者側はどうすんの?って聞いたら、出演者側はもう身元が割れてますのでって。」
マスク押さえつつも大笑い
あー やっぱりcocoa、ジュリーはそんな感じだったのですねぇ。(・・っていうか、スマホには変えたんですよね?)
しかしやわらかな京都弁まじえつつ、ぼやくジュリーはすご~くかわいい あぁ、ジュリーのこんなおしゃべりを聴けてめっちゃ幸せ~
「お客さんのほうが慣れない、そんなこんなで25分遅れて、みなさん大変だったと思いますー。時間はかかるし、列は進まないし、気が付くと前の人に接近してるし、あれ!って思うと後ろの人に接近されてるし・・」
とかいうのをジェスチャー交えてやってくれたのがこれまたとっても可愛かったですー
この日の名古屋で50%の座席に動揺したことについては
「自分で言うのもなんですが、私、タイガースで出てすぐに売れちゃったもんだから(空いてる座席に)経験してない。唯一PYGのときだけ!
ロックパイロット、ブレッド&バター、PYGで姫路でやったときはお客のほうが人数多かった。そりゃびっくりしましたよ。堯之さんが鼻をこんな曲げて怒ってた。あれ?さっきの(虫)は、堯之さんかな?」
と、ここで堯之さんのお名前が
「とにかくいろんな幸運が重なり東京は100%でできることになって、なんかそういう鬼籍に入った人が そうなるようにいろいろ手を回してくれてるんじゃないか?って思ったり。」
あぁー!それ!なんかほんとにそんな気がしてしまうー。
今やあちらの世界にはたくさんのジュリーを愛した方々がいらっしゃるんだもの。みなさんなんだかとってもパワーがありそうだし・・。
101歳で亡くなられたお父様、57歳で亡くなられたお母様のことも話されてました。
「いろんな人たちが護ってくれてるんじゃないか?って。きょう駆けつけてくださったみなさんも、きょう来られなかった方たちも、そうした人たちのエネルギーがこういうふうにしてくださってるんだと僕は確信をもっています。」
ジュリ~~~
そうなの、みんなすごくすごく念じていたの。
今回参加を断念されたたくさんの方々も、ライブの成功をすごーく願っておられました!
その想いはちゃんとジュリーに通じていたんですね。
それにしても長引くこのコロナの状況については
「最初はテレビのニュースばっかり見てため息ついてたけど、最近はニュース見てもしゃあないと思うようになって。」
同じくですー。
「でも慣れっこになるのはやばい。そんなにきちんと暮らそうという人間ではないし・・けど、僕らの年齢でもし(コロナに)かかったら、かかったら死にますよ。死ななくても後遺症で半分死にますよ。ですからほんとに十分気をつけていただきたいし、自分でも気を付けなければと思う。」
今や変異株もあるから年齢に関係なく重症化を恐れねばならない状況。ほんとうに怖い・・。
「でも、もとのように多くのお客様の前で歌うことができるように。その日を楽しみに元気でいようと思ってます。」
はい!みーんなその日を待っていますとも。
で、この休養の日々のなかジュリーに変化があったのが・・
「酒も無茶に飲まないようにしてこの1年。原因は飲酒であったとはっきりしたわけでございます。」
そうかー!お酒控えたら、あれあのようにかっこいいすっきりシルエットに
ああー私もぷくぷくコロナ太りしてる場合じゃありませんー見習わねば。
「有頂天になって飲んで騒いでっていうことやってたんや。今回はそういことばっかりやってたらあかんぞーということだったんじゃないか?
ちょっとしおらしい気持ちでいないと、護ってやろうという鬼籍に入ったひとたちもしてくれないんじゃないかと思います。」
おぉ、なんと敬虔なジュリー様。
「僕より年下の人も亡くなっていくし、年上の人も亡くなっていくし、最近ではポンタさん、小松政夫さん、飲んで騒いだ仲間です。人の命の儚さをしみじみと想う今日この頃です。
なおさら元気でいよう!元気でいてやろう、またいっぱいのお客さんの前で歌ってやろう!そう思っております。どうぞみなさんもよろしくお願いします!」
本当に、ここ数年お別れがたくさんたくさんあって、いろんなこと考えてらっしゃるのでしょうね。
とにかく、ジュリーには元気でいていただかなくては
あらためて
「ギター、柴山和彦!」コール。拍手で迎えます!
「それでは・・(カズさんに向かい)よろしゅうございますか?(ささやきごえの)おまけです・・!」
ヤマトより愛をこめて♪
スポットを浴びてしっとりと、でも力強く。
ラストナンバー、
ハートの青さなら空にさえ負けない♪
東京でこれが最後に飛びだしたときはめっちゃ驚きましたー。
左右に走り、激しく歌い。
カズさんもほんとすばらしく、激しく弦を弾きならしながらコーラスも入れてるんですよねうっわ~!すごい!
とか思ってたら、ラストのサビでジュリー様この日は
「ワンモアターイム!!」と叫んだので、カズさんさらにこれに応えねば・・あぁあカズさんー!がんばって~!
最後まで元気なジジィさまでした。
いつものようにラストコール、
「柴山和彦ーーっ!」 に怒涛の拍手!!!
続くいつものコール!と思ったら・・
「生きててねー!生きててねーーっ!!!」
うわ~~ん ジュリィィ~~!!
確かに・・コールしたくても出来ないんだけど~。
両手を挙げて大きく振りながら去っていくジュリー
そのあとに続くカズさん。
がんばって生きますとも。きょうここで、またもこんなにパワーをいただいたんだもの。
ジュリーさま、カズさん、ありがとう~
ってことで、私の「BALLADE」はこの日で終了。
遠征にはかなりためらいもあったけど、こうやって参加出来てほんとうにほんとうによかった
ジュリーが、カズさんが、元気にすばらしいライブをしてくださってほんとうに嬉しかったー
名古屋~
また来るよ~~
とりあえず終了~。
また思い出すことあったら書きまする。