きんぴらにっき 

ジュリーと猫と日々のこと・・

1982ヤング2月号~①

2014-05-22 17:17:00 | ヤング

本日2本目~
仕事がすくないうちにアップ進めます・・

1982年2月・・・


多分、私は高校受験真っ只中~!という時期ですね。
こうして振り返ると当時のこといろいろ記憶が蘇ってくるわー。


1982年ヤング2月号 表紙は沢田富美子さん。・・・・まったく記憶にない方です。

で、表紙の裏広告からいきなり・・

 



        タイガースのカセットテープ広告です

          そして毎度の巻頭1ページ目・・・

 


       
       白い異国の美姫・・・まさに麗人なジュリー

 


左ページいちばん左の写真、白いヒラヒラブラウス、初めて見ました。



あのジャケットの下はこういうの着てたのね~。なんて優美な・・・
 オスカルみたい。

 



 ここでも「麗人」を披露~
 関係者であってもみんなうっと~りでしょうねぇ

 



   
 新年からお忙しいジュリー。こたつでみかん・・なんて暇は皆無ですね。
 これはモノクロだけど・・・新春歌い初めコンサート の金色お衣装すてき~
         
 カラー版はこちら



 82年夏のツアー「 A   WONDERFUL  TIME 」パンフより。
 下の写真とか・・もう神々しいほど美しくしかも色っぽい~
    
 このパンフのお写真はどれもとってもとっても好き~~。
 どれも大変美しいのですわ。(ヤフオクで購入。いい買い物でした。)
 あ、ヤングから逸れた・・



あぁ、なんで当時コンサートに行こう!って思わなかったんだろ・・
「テレビで見る人」と思ってたんですよねぇ。
・・と、いうか生身の人と思えなかったかも。

まぁどちらにしても・・・・受験の真っ只中じゃないか~~


記事、まだ途中です。
次回は 「よいではないかコーナー」 参ります

 

コメント (2)
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勝手にしやがれ とピンクレディー

2014-05-22 16:00:00 | ジュリー テレビ・ラジオ

ちょっとまたお天気が不穏です。
晴れた~!と思ったら雷鳴って急に大雨とか・・
洗濯物がオチオチ出しておけないわー。

一昨日の晩、BSジャパン
「あの年この歌~時代が刻んだ名曲たち~」
『阿久悠が挑んだ音楽界との戦い』1977年にタイムスリップ

はご覧になりましたか?

ジュリーがレコ大獲った年だもの!当然よ~!」と、張り切って観たのは私だけではないでしょう。
結果・・・まぁジャケ写真とお歌はちょこっと流れましたけど・・・そんなもんだった
なぜか「津軽海峡冬景色」がババ~~ん!と。・・・ま、いいか。

ジュリーが少なかったことは不満とは言え、私はこの番組観てけっこう気づかされた点があったんです
・・と、いうのも、1977年、私は11歳の小学生女子。早熟とは言い難く、どちらかというと良く言えば純朴な・・はっきり言ってもっさ~としたのどかな少女だった私。歌謡曲とかスターとか、ほぼ興味がなくって。アニメ三昧だったなぁ。
思い起こせば幼稚園のころ山本リンダの「狙い撃ち」にははまったけど、その後まったくタレントに興味なく。
そんな私がやっと夢中になったのがピンクレディーだったんですねー。
まぁ大方の小学生のご多分にもれず・・という範囲ですが。あの振り付けを真似て友達と歌ったり踊ったり。
ペッパー警部、渚のシンドバッド、ウォンテッド。(・・しかしすごい乱発でしたね。期間短すぎ)
日本中の小学生の多くがやったであろうフリマネ・歌まね。
それと同時に確か解散を前にしたキャンディーズにもはまったような。
やっとすこーし3次元に目覚めたオクテの私はせいぜいそんなものだった・・。

で、なにが気づいた点か?・・っていうと、
渚のシンドバッドで盛り上がってたあの夏・・あの夏が勝手にしやがれの夏だったのーー??という、今更過ぎる驚きです。
・・はぁ?って感じでしょうけど、私のなんとな~くな認識の中では勝手にしやがれってそれよりもっと前だったような気がしていて。ジュリーがピンクレディーと競ってた感はあるんだけどー、なんかこう~。すみません、ジュリーはもうとっくにスターでおとなの歌手だ・・という感じが強かったみたいです。
ジュリ堕ち以来さんざん観てきたレコ大受賞年度のことなのに、今やっと時間軸が合いました。(遅すぎ)

私が「沢田研二」その人を初めて認識したのは・・たぶんもっと前で、小学3年ぐらい・・?
近所の3つ年上でけっこう尊敬していた頭のいいお姉さんが男性アイドルについてなんか批評を語ってて(西城秀樹とか郷ひろみとか)そのなかであんまり私に馴染みのなかった「沢田研二」という名が出てきて
「あの人はなんか他の人と別。ちょっと気持ち悪い・・」って聞いたのが最初だったんですわ。たぶん危険なふたりのころですね。
で、全然よくわかってなかった凡庸な私は「そっか。沢田研二はちょっと気持ち悪いんだ・・」みたいな情報がインプットされたんですね。おいおい~!
まぁあのお姉さんもあのころ6年生。まぁ所詮田舎の小学生、ジュリーの色気が受け入れられなかったんでしょう。・・とは言え色気を感じたからこその「ちょっと気持ち悪い(恥ずかしい)」みたいな感じだったんでしょうね。でも私はまったくわかってないから額面どおりに「気持ち悪い」ってインプット
そのとき特に自分の眼で確認することもなくスルー・・。
まぁ、確認しててもやっぱりあのころの私ではピンとこなかったんだろうなぁ~・・残念な子

そんなわけで、阿久悠さんのあの番組・・私の記憶をしっかり改訂してくれました。ありがとう
そしてまぁ1977年というあの1年にあれだけたくさんのヒット曲が密集してたことにも驚きました。
どれもこれも記憶していて歌える歌だもの。いかに世間に歌謡曲が浸透していたか。どんなジャンルの曲も年齢超えて浸透していたと思います。
そんなヒット曲だらけのなかで、大賞を勝ち取ったジュリーはほんとにすごーい!とあらためて感服。
・・ほんと今更なことばっかりで申し訳ないです。

で、もうひとつ別に記憶にあるのが、ジュリー受賞の瞬間・・母がかなり喜んでいたこと。別にファンだとか好きだとか言ってなかったし、なんとなく母は堅いイメージがあったので意外な感じが強くて覚えてるんですが。やっぱり女性はみんなジュリーが好きだったのねぇー

つれづれ思い出したこと長々書いてしまいました。
ヤング アップは別記事で~。


 

コメント (2)
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