観るも八卦のバトルロイヤル

映画・ドラマを独断と偏見(?)で、
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「硫黄島からの手紙」再評価

2009年08月16日 | 映画・ドラマ
 封切り同時に「硫黄島からの手紙」を観た感想を、「アメリカ人に日本から見た戦争を描ける筈が無い」と、「二宮が子ども過ぎて、一家の主というのがピンとこない」と書いた。
 二度目は、「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」を読み、感動の余韻の中、「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」を続けて観て、「ここまで事実を再現してるイーストウッドにビックリ」して、前言撤回した。
 そして、今回。今まで見落としてたシーンや、勘違いしていたシーンが何と多かった事かと大反省。そして、あまり評価していなかった、二宮和也だが、やはり、「上手い」。実に悲哀を良く表している。「二宮が子ども過ぎて、一家の主というのがピンとこなくもなかった」。
 何より、イーストウッド監督を誤解していたのが、米兵が投降した捕虜の日本人を殺戮するシーンまで描いており(このシーンも今回初めて知った)、アメリカの傲慢さと戦場の狂気をも織り込んでいたとは知らなかった。イーストウッド監督「ごめんなさい」。
 そして、誤解してたシーンのひとつに、新米憲兵が犬を殺せずに、そのために、硫黄島に送られて来て、二宮と知り合うのだが、この犬を飼っていた家族を勝手に二宮の家族だと思い込んでいた。
 また、中村獅童は、戦車に体当たりして死んだ物と思い込んでいた。
 米軍の空襲で、二宮の戦友が、座ったまま死んでたシーンも今回初めて知った。
 人の記憶って曖昧だなと思うと同時に、観るシチュエーションが違うと印象がこうも違ってくるものかと不思議でならない。
 最初は中国でDVDで鑑賞。毎日、道を歩くだけでストレスが溜まるような中で観た物には、罵声を浴びせるかのごとく、すさんだ感想を書いている。
 が、最近、違った意味でのストレスはあるものの、それが随分軽減されているのだろうか、斜めから作品を観るよりも、正面から観ているように自分では思えるのだが…いかがなものか。感想も大分、大人しくなってきてはいまいか。
 話しはそれたが、この「硫黄島からの手紙」は大変に興味深く、観ることができた。