観るも八卦のバトルロイヤル

映画・ドラマを独断と偏見(?)で、
斬って斬って斬りまくる。
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大原麗子さん逝く

2009年08月11日 | 映画・ドラマ
 「雑居時代」だったかな。ハスキーボイスをあれだけ可愛らしく発せられる人ってほかにいないと思う。年上の方に失礼かも知れないが、「可愛い」という言葉がピタッとくる人だった。
 森進一との離婚会見での「私が男だったんでしょうね」発言は。お見事。
 とにかく、カッコいい女の生き様だった。孤独死でもいいじゃん。生き方が全てだ。
 自分は、山岡久乃さんのように逝きたいと常々思っている。カッコいい女ってこの世の去り方もカッコいい。そんな意味で、大原さんも素晴らしい人生を全うしたと思う。
 最後、誰かにすがりたかったかも知れない、もし配偶者が居れば死ななくてすんだかも知れない。が、女優・大原麗子としては見事だった。可愛いまま終わったのだ。
 「少ーし愛して、長ーく愛して」これはオンタイムで観て、本当に韻書的だった。
 思うに、現在、これだけ多くの女優陣が控える中、大原麗子に変われる個性ある女優は居ない。
 そしてありがとう。物心ついて初めて好き成った女優さんは大原さんでした。合掌。

「最後の赤紙配達人~悲劇の"召集令状"64年目の真実 ...」、武士道をみた!

2009年08月11日 | 映画・ドラマ
 「シリーズ激動の昭和」ではこれまで、「あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機」、「 3月10日東京大空襲 ...」を放映。その第三弾となる、「最後の赤紙配達人」。いち市民の役場の職員である西邑仁平さんを主役にしたドキュメンタリードラマだ。
 なぜ、いち市民が主人公に成り得たか? なんと兵事係だった彼は、当時の軍の命令に背き、出征に関する記録の処分をせず、保管していたのだ。戦後、これだけのことを成し得たという心意気。これはまさに武士道である。
 そして、その資料が、第二次世界大戦の日本を知る上での有力な資料になったと言う。
 こんな立派な人が我が国のも居たんだという安堵感と、不幸な戦争ではなく、司令官を選べない不幸な日本ということを感じた。
 何より、西邑仁平さんが現在104歳でご存命ということが嬉しいではないか。
 ドラマは、忠実に再現され、息子5人が出征した家、3度目の招集で帰らぬ人になった父を持つ家族、夫と息子を戦争で亡くした母。何とも言えぬ悲哀を感じた。
 こんなことが現実だったのだと思うと、日本国民ながらこの国が怖くなる。そして、ドキュメンタリー部分では、もっとその思いが募るのだった。
 ドラマで再現された家族の現在。証言。そして、軍が行った、特攻作戦などなど。
 いつも思うのだが、この特攻作戦を考えついた時点で、なぜ降参しなかったのだろうか? あんな作戦で勝てる訳ない。命を無駄にするだけではないか? とどうして気付かないのだろうか。一言フォローするとしたら、戦死者が増し、ろくに訓練も積んでない兵士を使わざるを得なくなったため、命中率が下がり、体当たりの特攻という作戦を取ったという説もある。が、それにしても無謀だ。人の命をなんだと思ってるんだ。
 我が国では古来より、人質となることは恥とはされていなかった。例え処刑が決まっても、その瞬間まで望みを捨てない事が武士だったのだ。武士道がいつの間にか大和魂という変な言葉に置き換えられた時、潔い死が尊ばれるようになった。
 ひとえに、軍事国家の最高司令者の責任ではないだろうか? もし、彼らが、大和魂が、武士道だと思っていたなら、敗戦の責任を取って、米軍立ち会いのもと、己の命と引き換えに、一般兵士の命乞いをした筈である。
 と、こんなことは平和な時代に生きてる、死と遠い所にいる人間の世迷い言なのかも知れない。
 さて、話しを戻すと、前2作と比べ、「最後の赤紙配達人」はドラマ部分とドキュメンタリーがうまくシンクロしていたと思う。画面が切り替わっても自然にそちらに流れられる作り方であった。
 また、当時を証言してくれた人たちが、みな正直に、過去の恥部まで話してくれていたのが印象的だった。
 舞台となった滋賀県大郷村の美しい自然と、赤紙配達人という苦しい立場の仕事に従事しなくてはならなかった西邑仁平さんの苦悩が、十二分に伝わった。
 これは子どもにも分かり易い作り方だったのではないだろうか。
 文句無し。