で昨日終わりましたが、彼女は一体誰なのでしょうか?
よく言われるように、おそらく 卑弥呼=アマテラス なのだと思います。
ですから、正確には神話のアマテラスの正体が卑弥呼だということでしょう。
アマテラスなら、『古事記』にも『日本書紀』にも出てきます。
特に、アマテラス神話の中で有名な“天の岩戸隠れ”の話がありますが、これは皆既日食なのでしょう。
この皆既日食、天文学者の斎藤国治氏によれば、紀元248年9月5日に起こっているとの事です。
皆既日食 ⇒ アマテラスの天の岩戸隠れ
昨日書きました通り、中国の『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼は248年頃に死亡したとされています。
ということは、皆既日食があったとされる年代とピッタンコです。
ちなみに、その前後の皆既日食は158年と454年だそうです。
そして、この年、この日 卑弥呼は殺害された。
女王卑弥呼が殺害された、との仮説を最初に明確に唱えたのは、故・松本清張氏のようです。
理由は「呪力(霊能力)の衰え」。
大王の呪力が衰えたから、戦争に負けたのだ、これまで経験したことのない真っ暗闇(皆既日食)になってしまったのだ、と関連付けられたかもしれません。
霊能力の衰えた大王を殺害し、新たに若い大王を崇めるというのは、ありそうな話です。
でも、そんな非業・無念の死を遂げた大王は祟りが怖いです。
丁重にお祀りしなければなりません。
さて話変わって、皆さんは、弓削道鏡と称徳天皇(女帝)の話をご存知でしょうか?
もし戦前の歴史教育を受けられていれば、きっとよく知っていたでしょう(もちろん私も戦後教育しか受けておりません)。
戦前の皇国史観に基づく教育では、道鏡は女帝の寵愛を受け、図に乗って皇位を狙った大悪人とされていたようですし、
称徳天皇は、由緒ある天皇家の筆頭でありながら、事もあろうに“愛人”かつ部下に「万世一系」という天皇の地位を譲ろうとしたのですから。
当然、彼女もダメ君主の烙印を押されていたのです。
でも、本当のところはそんな大悪人・大批判物語ではないようです。
道鏡はとても立派なお坊さんだったようですし、称徳天皇は天皇という地位にありながら、平等思想の持ち主だったようです。
あっ 付け加えますと、称徳天皇は、あの大仏建立者として知られている聖武天皇の娘さんです。
なお、このへんの詳しい事情・見解をお知りになりたい方は、梅原猛著作集「海人と天皇(下)」や井沢元彦氏の「逆説の日本史 3.古代言霊編」などを読んでみてください。
この称徳天皇が、道鏡に天皇の位を譲ろうかと悩んだとき、それが正しいことかどうか、神託(神のお告げ)を求めようということになったのです。
何しろ特上の「万世一系」の家柄ですので。
そして、お伺いたてに、大分県にある宇佐八幡宮に和気清麻呂を使者として送ります。
八幡神のお告げは、「皇室の血統でない者を皇位に就けてはならない」でした。
ちなみに、和気清麻呂は、皇居のお堀端に大きな銅像が建てられている人です。
ここからが本題です。
この時、なぜ近くにある伊勢神宮ではなく、(当時の都・奈良から)遠い九州の神社へ神託を受けに行ったのでしょうか?
皇室の重大事を決めるのに、祖先神のお告げをもらうなら、当然伊勢神宮だと思うのです。
伊勢神宮は、天皇家の始祖とされるアマテラスが祀られている場所です。
一方、宇佐八幡宮は、15代応神天皇が祀られております。
貴方ならどちらを選びますか?
称徳天皇は、宇佐八幡宮を選んでいます。
これはどういうことでしょうか?
これが、邪馬台国=九州説の個人的見解の根拠第2です。
宇佐八幡宮には、きっと天皇家の祖先、しかもとても大事な方が祀られているからではないでしょうか。
宇佐八幡には、応神天皇とともに彼の生母とされる神功皇后(じんぐうこうごう)も祀られております。
神功皇后が実在したかどうかについては、現在では疑問視されているようですが、これまた戦前の教育では聖母とされた方で、明治時代には10円紙幣の肖像となっていたようです。
さらに、もうひとり“比売大神”が中央に祀られており、この方が主祭神となっているようです。
比売(ひめ)大神とは誰か?
わからないんですねえ・・・これが。
先述の井沢元彦氏は、比売大神=卑弥呼だと推論しています。
ということは、イコール アマテラスとなります。
であるならば、称徳天皇が神託を受けに行かせたわけが納得できます。
ではなぜ、伊勢神宮と宇佐八幡宮にアマテラスが祀られているのでしょうか?
井沢氏の解釈は、伊勢神宮は卑弥呼記念館、仏壇のようなもので、宇佐神宮が墓 とする考え方です。
そうですねえ、何か大事なことでご先祖様にお伺いを立てるなら、仏壇よりも墓前へ行くでしょうねえ。
かなり乱暴な書き方ですが、
アマテラス=卑弥呼の墓は北部九州にある、ということで、
「神武東征」神話とあわせ技 1本! で 邪馬台国は九州にあった!
という、偉い方々の知見に乗じた ヨッコイショ私見でありました。
ぜーんぶ科学的証拠のない私の「邪馬台国九州説」論です。
だから、宮内庁が古墳の発掘調査を早く許可すればよいものを。
そうすれば、もっと確からしいことがわかると思うのです。
本日もご訪問ありがとうございます。
「プチッ」と応援よろしくお願いいたします。
よく言われるように、おそらく 卑弥呼=アマテラス なのだと思います。
ですから、正確には神話のアマテラスの正体が卑弥呼だということでしょう。
アマテラスなら、『古事記』にも『日本書紀』にも出てきます。
特に、アマテラス神話の中で有名な“天の岩戸隠れ”の話がありますが、これは皆既日食なのでしょう。
この皆既日食、天文学者の斎藤国治氏によれば、紀元248年9月5日に起こっているとの事です。
皆既日食 ⇒ アマテラスの天の岩戸隠れ
昨日書きました通り、中国の『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼は248年頃に死亡したとされています。
ということは、皆既日食があったとされる年代とピッタンコです。
ちなみに、その前後の皆既日食は158年と454年だそうです。
そして、この年、この日 卑弥呼は殺害された。
女王卑弥呼が殺害された、との仮説を最初に明確に唱えたのは、故・松本清張氏のようです。
理由は「呪力(霊能力)の衰え」。
大王の呪力が衰えたから、戦争に負けたのだ、これまで経験したことのない真っ暗闇(皆既日食)になってしまったのだ、と関連付けられたかもしれません。
霊能力の衰えた大王を殺害し、新たに若い大王を崇めるというのは、ありそうな話です。
でも、そんな非業・無念の死を遂げた大王は祟りが怖いです。
丁重にお祀りしなければなりません。
さて話変わって、皆さんは、弓削道鏡と称徳天皇(女帝)の話をご存知でしょうか?
もし戦前の歴史教育を受けられていれば、きっとよく知っていたでしょう(もちろん私も戦後教育しか受けておりません)。
戦前の皇国史観に基づく教育では、道鏡は女帝の寵愛を受け、図に乗って皇位を狙った大悪人とされていたようですし、
称徳天皇は、由緒ある天皇家の筆頭でありながら、事もあろうに“愛人”かつ部下に「万世一系」という天皇の地位を譲ろうとしたのですから。
当然、彼女もダメ君主の烙印を押されていたのです。
でも、本当のところはそんな大悪人・大批判物語ではないようです。
道鏡はとても立派なお坊さんだったようですし、称徳天皇は天皇という地位にありながら、平等思想の持ち主だったようです。
あっ 付け加えますと、称徳天皇は、あの大仏建立者として知られている聖武天皇の娘さんです。
なお、このへんの詳しい事情・見解をお知りになりたい方は、梅原猛著作集「海人と天皇(下)」や井沢元彦氏の「逆説の日本史 3.古代言霊編」などを読んでみてください。
この称徳天皇が、道鏡に天皇の位を譲ろうかと悩んだとき、それが正しいことかどうか、神託(神のお告げ)を求めようということになったのです。
何しろ特上の「万世一系」の家柄ですので。
そして、お伺いたてに、大分県にある宇佐八幡宮に和気清麻呂を使者として送ります。
八幡神のお告げは、「皇室の血統でない者を皇位に就けてはならない」でした。
ちなみに、和気清麻呂は、皇居のお堀端に大きな銅像が建てられている人です。
ここからが本題です。
この時、なぜ近くにある伊勢神宮ではなく、(当時の都・奈良から)遠い九州の神社へ神託を受けに行ったのでしょうか?
皇室の重大事を決めるのに、祖先神のお告げをもらうなら、当然伊勢神宮だと思うのです。
伊勢神宮は、天皇家の始祖とされるアマテラスが祀られている場所です。
一方、宇佐八幡宮は、15代応神天皇が祀られております。
貴方ならどちらを選びますか?
称徳天皇は、宇佐八幡宮を選んでいます。
これはどういうことでしょうか?
これが、邪馬台国=九州説の個人的見解の根拠第2です。
宇佐八幡宮には、きっと天皇家の祖先、しかもとても大事な方が祀られているからではないでしょうか。
宇佐八幡には、応神天皇とともに彼の生母とされる神功皇后(じんぐうこうごう)も祀られております。
神功皇后が実在したかどうかについては、現在では疑問視されているようですが、これまた戦前の教育では聖母とされた方で、明治時代には10円紙幣の肖像となっていたようです。
さらに、もうひとり“比売大神”が中央に祀られており、この方が主祭神となっているようです。
比売(ひめ)大神とは誰か?
わからないんですねえ・・・これが。
先述の井沢元彦氏は、比売大神=卑弥呼だと推論しています。
ということは、イコール アマテラスとなります。
であるならば、称徳天皇が神託を受けに行かせたわけが納得できます。
ではなぜ、伊勢神宮と宇佐八幡宮にアマテラスが祀られているのでしょうか?
井沢氏の解釈は、伊勢神宮は卑弥呼記念館、仏壇のようなもので、宇佐神宮が墓 とする考え方です。
そうですねえ、何か大事なことでご先祖様にお伺いを立てるなら、仏壇よりも墓前へ行くでしょうねえ。
かなり乱暴な書き方ですが、
アマテラス=卑弥呼の墓は北部九州にある、ということで、
「神武東征」神話とあわせ技 1本! で 邪馬台国は九州にあった!
という、偉い方々の知見に乗じた ヨッコイショ私見でありました。
ぜーんぶ科学的証拠のない私の「邪馬台国九州説」論です。
だから、宮内庁が古墳の発掘調査を早く許可すればよいものを。
そうすれば、もっと確からしいことがわかると思うのです。
本日もご訪問ありがとうございます。
「プチッ」と応援よろしくお願いいたします。
私はさっぱりで勉強になりますです
コメントする見識も持ち合わせていないので
ポチッとなで協力しておきました
うちに卑弥呼いますよ w
日本先制ゴ~~ル!! いま入りました・・
そのうち、日向あたりから出立されて、どんぶらこ と船で速吸の瀬戸を通られるわけですね。
岬アジ・岬サバ ご賞味あれ。
先制点は、伊予の長友君でしたかね。
最後、3点だったか、4点入ったか・・・・
泡盛朦朧で記憶が定かでありません。
W杯最終予選に、はずみがつきましたでしょうか。