かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
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私は「九州説」

2009-05-30 11:32:36 | その他
やはり…箸墓古墳は卑弥呼の墓? 歴博 炭素年代測定で分析(産経新聞) - goo ニュース

昨日、興味深いニュースが流れた。
従来から、卑弥呼の墓ではないだろうかと考えられていた、奈良・箸墓(はしはか)古墳の築造時期が、土器などの分析(放射性炭素年代測定)で西暦240~260年の間と推定されることがわかった、というものだ。
中国の『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼は248年頃に死亡したとされている。
ということは、中国の歴史書の記述と古墳の築造時期が一致したことになる、というわけだ。
箸墓古墳の築造時期については、従来出土する土器などの様式から、3世紀後半と見られていたようだ。
そのため、卑弥呼との死亡時期との間に数十年のギャップがあった。
今回の研究結果で、ここのところの矛盾が解消されたかっこうである。

そして、「畿内説と九州説」に分かれる邪馬台国の所在地論争について、畿内説が俄然有利になってきたようでもある。

それでも、私は依然「九州説」に1票なのである。

その根拠とは?
私は素人なので、「九州説」とする科学的な根拠は持ち合わせていないので、感覚論的になってしまうが、第1の根拠は、
『古事記』や『日本書紀』にある、「神武東征」の話である。
「そんなもの たかが神話じゃないか」と侮られる方も少なくないと思いますが、神話を侮るなかれ。
3世紀に成立されたとされる「邪馬台国」と5世紀に成立されたとされる「大和朝廷」の関係が、いまだにはっきりしていない(さまざまな論説に分かれる)ようだけれど、
「神武東征」神話が示すように、九州で成立していた邪馬台国が東へ勢力を延ばし、近畿地方に朝廷を築いたと思っております。

それにしても不思議なのは、卑弥呼という女王はいったい誰なのだろう?
中国の歴史書に記述されているし、日本国民的にもチョー有名な方である。
それなのに、『古事記』や『日本書紀』には、この女王の名前が一切出てこない。
これは一体どういうことかしら?

卑弥呼とは、個人名なのか、それとも称号や役職のたぐいの名称なのだろうか?
それさえもわからないのが現状である。

卑弥呼の正体は・・・?

この話 長くなりそうなので、本日はいったんここまでにしたいと思います。


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