かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

TEARS

2008-02-15 11:16:41 | お気に入り
昨日朝、フジテレビ系「とくダネ!」の『朝のヒットスタジオ』コーナーで、麻倉未稀さんが出演していた。久しぶりにお目にかかる未稀さんでした。
20数年前、FMラジオで彼女の歌を初めて聴いた時、「こりゃうまいなあ!」と感動しました。そして、ファンになった私はCDを買い、一度コンサートにも行きました。力強く・スピード感のある「ヒーロー」や「千億の恋人」はもちろんだけど、バラード調の「TEARS」も好きだった。元気いっぱいで、輝いているように見えた80年代でしたが、その後パッとせず寂しかったですねェ。 
そういうわけで、最近は、ほとんどテレビで見かけることもなくなっていたので、昨日は、なんだか得した感じで、久しぶりに聞き入りました。イントロが流れた瞬間、身体が動き、元気になりそうな「ヒーロー」。相変わらずパワフルな歌で、なかなか良かったです。が、時間・場所・雰囲気のせいでしょうか、若い頃に比べて高音の伸びがイマイチだったような気もしました。それに、以前よりも随分と立体感を増してしまわれましたね。

チャリーンとチョコレート口上

2008-02-14 12:50:04 | 田舎の生活
爆弾低気圧のせいでしょうか、一昨日から時折強い風が吹いたり、時々雪がちらついたりしております。昨日も、ふと見ると夕方屋根がうっすら白くなっておりました。それ以上に東・北日本は大変なようですね。
そんな荒れ模様の天候ですが、今日はバレンタインデーということなのでしょう、奥さんがチョコレートをプレゼントしてくれました。  ところが、泡盛チョコです。いくら私が泡盛好きだからといって・・・。きっと、美味しさよりも、受け狙いだと思われます。ブランデーチョコなどもありますが、あれはどうも苦手なので、恐る恐る食べてみたところ、まあ普通のチョコで、ほのかに泡盛の味・香りがしたくらいでした。ホッ! 

そんなところで、私にとってチョコ初体験は?と考えてみると。子供の頃、カバヤとかフルタとかあったような気がするのですが、私にチョコレートなるものの存在感を知らしめてくれたのは、○○家の“パラソルチョコレート”です。これは、ネーミングの通り、パラソルを折りたたんだ形のチョコでした。食べ終わった後には、プラスチック(?)の柄が残る。そして、この柄をとことんしゃぶる。そして、その残骸の柄をしばらく大事にとっておいたような気がします。しかも、このチョコを初めて食べたのは、他所の町に知り合いを訪ねて行った時でしたから、そのカルチャーショックたるや・・・。
私は、このチョコを初めて食べた時、それまで好んで食べていたグリコのキャラメルが、かすんでしまったように思います。初めての浮気です。子供の頃ですから、きっと5円ないしは10円玉の“チャリーン”で買えたのではないかと思いますが・・・(え?今もありますか?)。

そんなチョコレート体験ですが、青春から大人になっても、この2月14日は、素通りするものであり、私には関係のない日でした。「なんで、こんなしょうもない日を作ったんだ」などと、負け犬の遠吠え的いじけ感。 それでも、一度だけ目と頬と口元が緩んだことがあります。広島在住時代、一時期英会話学校に通ったことがあります。小学校の敷地内の一角を間借りしたような、マイナーな学校でしたが、その時のクラスは5名で、私以外の4名は女性でした。そして、なんとある日(もちろん2月14日ですが)、授業が終わった後、私の半生など何も知らない3名が、私にチョコレートを下さったのです。この頃既に、「義理チョコ」なる言葉もできていたと思うのですが・・・。 
私はいまだに、この時頂いたチョコレートが、生涯最高の個数であります。アハハハハハ・・・・・・。 

石仏・石塔見て歩き(2:不明な石仏)

2008-02-12 12:16:21 | 田舎の歴史

前回紹介しました「子安観音」から10mほど離れた場所、道の分岐に安置されている石仏です。地蔵菩薩かと思っていたけれど、右側の石仏は、何かを被っているのか、髪が伸びて束ねられているのか、とにかくスキンヘッドではない。「地蔵菩薩」の基本形は、スキンヘッドであることらしいので、この石仏は地蔵菩薩ではないことになる。とはいえ、我が地区では、とにかくこの石仏も前回の子安観音も、すべて「地蔵様」と呼ばれている。一般的にもそうなのではないだろうか。厳密には、いわゆる“地蔵”とは、“地蔵菩薩”のことだということを、この歳になって初めて知りました。 
さてこの石仏、光背に文字が刻まれているのだが、左側は「文久三●●正月●・」(●は不明)と何とか少し読み取れたが、右側の文字は「施主お●●・」と刻まれているように読めるのだけれど、よく判らないままでいる。野ざらし状態なので、随分と苔むし、風化して、その風貌もよく判らなくなっている。文久三年は西暦1863年で、幕末の時代であり、この年、薩英戦争が起こっている。この地における幕末は、どんなふうだったのだろうか。
そして、左側の石塔には仏像はなく、文字だけであり、「大乗妙典 字●●・」のように読めるのだが、これまたよく判らない。こちらも風化・苔むしており、亀裂も入って壊れかけている。
しかし、これらの石仏には、どなたがされているのか、いつも花が供えられている。こういう信仰篤い方々がおられるから、路傍の石仏もこうして静かに佇んでいることができるのであろう。

手作り餃子

2008-02-11 13:31:11 | 食材・食事
殺虫剤入りギョーザのせいではないだろうが、奥さんが手作り餃子をつくりたいと言い出した。それで、昨日わたしも皮作りを少し手伝って、餃子を作った。ところが、生地を麺棒(麺棒は1本しかないので私はすりこぎ)で薄く丸く延ばす作業が難しい。四角になったり、周辺がいびつになったりと、なかなか丸くならない。うまく均等に力をかけていないからなのだろう。まあまあきれいにできたもので、写真に示す程度だった。



皮を作り終え、具を包み込む作業に入ったのだが、皮が丸くないため、耳の部分がきれいにできない。悪戦しているところ今度は、少しずつずらしながら重ねておいた皮同士が、何枚もくっついてしまった。片栗粉のまぶし方が全く少なかったようで、奥さんから悲鳴が上がる。仕方なく、くっついた皮は、もう一度合体させてこねなおし、再度小さく切って延ばした。どうにかなった。やれやれであった。
こうして出来上がり、焼き上がったのが、写真の餃子です。


耳の部分が不恰好なので、焼き上がりひっくり返せばわからない、という奥さんのすばらしいアドバイスを受けて撮ったものです。
昨日の具材は、合挽き肉、白菜、ニラ、ザーサイ、そしてちょこっとエビが入っていたそうだ。ところで、ニラは我が家の門の外の道端に自生していたものである。以前、ニラと間違えて水仙を食べて中毒を起こしたというニュースがあったのだが、ここでもすぐ近くに水仙も生えている。水仙は、今は花が咲いており、葉の大きさもニラよりずっと大きいので、簡単に区別がつくと思うのだが、それでも、花が咲いておらず、小さめの頃には、水仙とニラは確かに似ているのだろう。私がニラだと思っているものは、ちぎった時ニラの臭いがするので、間違いないと思っているのだが、そういう事故もあるということを聞くと、100%の確信はない。

水仙の毒は、リコリンと呼ばれるアルカロイド系の毒だそうで、食べると嘔吐や下痢を引き起こすらしい。昨日の手作り餃子は、少し皮が厚めだったけれど、まあまあ美味しくできていたと思う。もう少し薄めの皮のほうが良かったような気もするので、一個当たり8~10グラム程度が良いようだ。
そうして、幸い今の時点でも、嘔吐も下痢も起こしていない。 

煙突掃除

2008-02-10 11:13:07 | 田舎の生活
業者さんに注文した煙突掃除グッズが届いたので、作戦を練り、意を決して、煙突の煤掃除を行うことにした。
煤だらけになった衣服は洗濯したくないとか、裸でやればよいとか、奥さんの本音やすばらしいアドバイスを受けたので、捨てても良い衣服を身にまとい、マスクとゴーグルを装着した。そして、奥さんも少し手伝ってくれた。



業者さんの話では、煙突の2箇所の直角ジョイント部は外せます、ということだったのだが、錆びてきているせいか、これがなかなか大変だった。それでも何とか写真の①部と②部を外すことができた。当初の予定では、まず②部を外して、そこからブラシを横方向に入れ、煤を釜の方に落とし、その後、①部を外して、そこからブラシを入れ、まっすぐ下に煤を落とそうと思っていたのだが、①部を外さないと②部が外れなかった。
そこで、①部と②部を同時に外し、まず①部から下方にブラシを入れ、煤を釜の中に落とした。次に、①部の上の直角に曲がった箇所を包むようにビニール袋を縛りつけ、反対側の②部からブラシを入れ、①から②の間の煤を掃除した。ここまでは何とかきれいに掃除できたのだが、問題は②から上の箇所であった。上から下へ、あるいは横方向に煤を落とせる箇所は問題ないのだけれど、煙突先端部が“H”状になっているこの箇所は、どうしても下から(②または③)ブラシを入れて掃除せざるを得ない。そのため、もろに煤を受けることになるだろう。そのリスクを少しでも軽減しようと、ビニール袋の底に小さな孔を開け、そこにブラシの柄を通し、煙突のジョイント部にビニール袋を縛り付けて作業をしようと考えていた。
ところが、この部分は、基本的には②から下の煙突部分に支えられており、ぐらぐらしないように針金で引っ張られているだけである。そのため、②部を完全に外してしまうと、支えがなくなり、落下しかねない。甘かった。さらに、②と③の間の直角部は蛇腹状になっているので、ジョイントを外せばまっすぐに伸ばせると思っていたのだが(取り付け時はそうして曲げたのだろうが)、さすがに金属だ、もう既にまっすぐに伸ばすことはできなかった。甘かった。困ってしまった。
それならと思い、③部を外そうとしたが、錆付いているのか外れない。やむなく、②部から下の煙突で上部を支えながら、何とかブラシを②部分から入れたのだが、ブラシの柄は直角部を曲がりきれず、それより上の部分は掃除できず、②から③の間だけの煤払いに留まった。それでも少しでも煤を落とそうと、それより上の部分は棒でたたいた。

煙突先端部分をきれいに掃除することができず、少々心残りではあったが、何とか衣服も煤まみれにならずにすんだ。やれやれ。
煤は、相当量溜まっていた(写真参照)。


そして、昨日風呂を沸かしたのだが、窒息寸前だった風呂釜は、蒸気機関車的煙もくもくもなく、元気よく呼吸を始め、快適に燃えてくれた。
我が家の風呂は、新品から1年半余りが経過した段階で、大量の煤が溜まっていたので、やはり1年に1回は煙突の煤掃除をしなければいけないようだ。そうして、次回は屋根に上り先端の“H”部を外し、上から順々に煤掃除をしようか、それとも、煙突の支えの部分も外し、下に降ろして作業をしようか、などと、今から次回のよりよい掃除の作戦を練っているところです。 

風呂釜異変

2008-02-08 13:16:08 | 田舎の生活
我が家の風呂は、薪で沸かす方式のものです。リフォーム時オール電化としたのだけれど、風呂だけは電気で沸かす方式のものにはしなかった。これには理由があり、リフォーム時に出た大量の廃材や日々のゴミを燃やせるからと思ってのことである。ただし、温水器で溜めたお湯を風呂、シャワーとしては使える。薪でも追い炊きができる。 
ところが、最近外付け風呂釜の調子が宜しくない。煙がすごくなってきたように思え、しかもその煙は煙突からだけでなく、釜の前面に出てくる量が増えてきた。さらに燃焼時、炎が釜の外側に出てくる。そして、風呂が沸く時間が長くかかるような気もする。冬場は水道水の温度が低いので、沸くまでに夏場よりも長い時間がかかるのは当然なのだけれど、それにしても昨年よりも長くかかっているように思える。燃焼効率が悪くなっているのではないだろうか。
きっと、すすが溜まっているからだろうと思い、一昨日釜のすす掃除をしたのだけれど、改善はみられない。やはり、煙突内にすすがたくさんたまっているのだろう。煙突は、先端部が“H”状になっており、さらに、取り付け位置の関係で、煙突は途中で2箇所ほぼ直角に曲がっている。これでは、本格的に分解しなければ掃除は不可能であろう。それとも、なにか良い方法があるのだろうか。
風呂釜には、「1年に1回定期点検を依頼して下さい」と注意書きがあったので、風呂を設置してくれた業者さんにお願いしようと電話をしてみた。すると、直角部は素人でも取り外しができるようになっているとのことで、外してから専用のブラシで掃除すれば大丈夫だろうとのことであった。そこで、業者さんに掃除グッズを注文して、持ってきてもらうようにお願いした。
掃除グッズはまだ届いていないが、すす掃除後の身体・衣服の汚れを想像しておびえながら、余り汚れずに掃除する良い方法はないものかと思案しております。 

まずは1勝

2008-02-07 12:36:37 | スポーツ
サッカーのW杯南アフリカ大会アジア3次予選の初戦、日本vsタイ。前半はほとんどタイ陣内でのプレーが多かったのだが、日本はなかなか得点が入らない。そして、やっとFKで先制して喜んだのもつかの間、直後にミドルシュートを決められ同点となる。守備の戻りが遅く、寄せが甘かったのではないだろうか、相手にゴール前まで難なくボールを運ばれて、あっけなく決められてしまった。そして、その後は決め手にかけ、攻めあぐねていたようだ。 
世界ランキング格下相手のホームゲーム、しかもタイ選手が慣れていないと思われる雪の中の戦いに苦戦していたので、「少しだらしないんじゃないかい」などと思いながら見ていた。後半になって、やっと得点を重ねることができて、やれやれであった。得点差だけをみれば、快勝のようにみえるのだが、セットプレーや相手のミスからの得点が多く、もっと攻め込んでの得点を見たいとは思うのだが、なかなかそういう試合にはならない。まあ、中盤の遠藤選手と中村憲剛選手の動きが良かったのが救いかな。
まだまだ喜望峰は遠い、これからだ。頑張れ!岡田ジャパン。 

パスワード

2008-02-06 13:44:59 | 田舎の生活
今日私は、以前申し込んだ某銀行のネットバンキングにアクセスしてみようとしたのだけれど、銀行から届いているはずのログインパスワードが記載された封書・ハガキをどこへしまったのかわからなくなってしまっていた。申し込んでから1年以上経過して、そのままにしておいたので、ばちが当たってしまった。 
心当たりのあるところを何度も捜したのだけれど見つからない。もう、捜すところがないとあきらめかけていたところ、奥さんが見つけてくれた。そして、「なにが3回も調べたよ」と言って叱られてしまった。ありがとう、ありがとう。
銀行や郵便局(ゆうちょ銀行)などのキャッシュカード、インターネットでのログインなどには、必ず暗証番号やパスワードが必要である。私の大好きな泡盛をネットで注文するのだって、パスワードが必要だし、このブログに投稿するのだって、IDとパスワードが必要だ。カードやネットを使って、いろいろできることは便利なのだけれど、カードや通帳、印鑑の保管もさることながら、暗証番号やパスワードの管理がわずらわしく、大変だと思う。最初のうちは少なくて、暗記できているけれど、しだいに数が多くなってくると、なかなか全てを暗記するということが難しくなる。誕生日や電話番号などでは、危険性が高いだろうし、難しい英数字にすると、数ヶ月もすると忘れてしまうし・・・。さらに、この先年齢を重ねてくると、憶えていたものもどんどん忘れていくような不安にかられます。

これを機会に、暗証番号・パスワードの保管・整理、なんとかしなくっちゃ。

節分H20

2008-02-04 13:35:25 | 田舎の生活
今日は立春、そして昨日は節分ということで、豆まきをささやかに行った。フツーに撒くと、後で掃除が大変だ。
歳の数より、ひとつ豆を多く食べると、「厄おとし」ができると言われているそうだけれど、結構美味しかったので、歳の数よりずいぶん多く食べてしまったような気がする。どうも私は豆菓子が好きなようで、奥さんに笑われている。少しぴりっと辛い○○豆、いかピーなどはビールのつまみによく合う。 
本当に、「鬼は外、福は内」になればよいのだけれど、毒入りギョーザ問題は、事件性も出てきたようで、ますます不気味になってきてしまいました。 

石仏・石塔見て歩き(1:子安観音)

2008-02-03 11:25:01 | 田舎の歴史
今までに本ブログで、地元の「石灯籠」や「いぼ神様」を紹介しましたが、子供の頃何度もその前を通り、時にはお姿を拝見してこともあったと思う集落のその他の石仏、そして石塔、石碑など。それらを改めて訪ねてみて、じっくりそのお姿を拝見させていただいたり、作られた当時のことなどを想像したりしてみたいと思っております。もう随分と風化が進んで傷んだり、頭部がなくなったりしているものも少なくないようです。 

そんなわけで、「石仏・石塔見て歩き」と題して、随時紹介させていただこうと思いたったしだいです。まず第1回目として、我が家のすぐ近くにある「子安観音」です。以前本ブログで紹介しました“サロン地蔵様”の石仏さんです。
普段は、どなたが作られたのか、赤い帽子を被り、赤いよだれかけと底のない袋を首から下げているため、子供を抱いていることがわからないのですが、失礼して少しの間それらを外して、お姿の全容を拝見させていただきました。しっかりと両腕で、子供を抱きかかえておられます。そして、ふっくらとした、やさしそうなお顔をしております。台座の側面には、「文化八年七月十八日」と刻まれており、前面に世話人の方々の名前が14名ほど刻まれている。この当時ですから、皆さん苗字はありません。名前だけです。文化八年といえば西暦1811年、11代将軍徳川家斉の時代で、この翌年、『菜の花の沖』(司馬遼太郎)でお馴染みの高田屋嘉兵衛が国後海上で、ロシア軍艦にとらえられています。 

ということで、この子安観音はもうすぐ200歳です。200歳の誕生日には、盛大な誕生会があるのだろうか。平成13年に、ここの道と石垣が改修され、その時にこの石仏の祠も新しく作られたようで、今はブロックを積み上げて作られた祠である。以前は、どういう風に安置されていたのか記憶がないが、ずっと祠にまもられていたのだろうか、それほど風化が進んでおらず、よくぞ長い年月を耐えてこられたと思う。そして、買物の行き帰りに談笑するおばあさん達の話を微笑ましく聞いているのであろう。