かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

石仏・石塔見て歩き(2:不明な石仏)

2008-02-12 12:16:21 | 田舎の歴史

前回紹介しました「子安観音」から10mほど離れた場所、道の分岐に安置されている石仏です。地蔵菩薩かと思っていたけれど、右側の石仏は、何かを被っているのか、髪が伸びて束ねられているのか、とにかくスキンヘッドではない。「地蔵菩薩」の基本形は、スキンヘッドであることらしいので、この石仏は地蔵菩薩ではないことになる。とはいえ、我が地区では、とにかくこの石仏も前回の子安観音も、すべて「地蔵様」と呼ばれている。一般的にもそうなのではないだろうか。厳密には、いわゆる“地蔵”とは、“地蔵菩薩”のことだということを、この歳になって初めて知りました。 
さてこの石仏、光背に文字が刻まれているのだが、左側は「文久三●●正月●・」(●は不明)と何とか少し読み取れたが、右側の文字は「施主お●●・」と刻まれているように読めるのだけれど、よく判らないままでいる。野ざらし状態なので、随分と苔むし、風化して、その風貌もよく判らなくなっている。文久三年は西暦1863年で、幕末の時代であり、この年、薩英戦争が起こっている。この地における幕末は、どんなふうだったのだろうか。
そして、左側の石塔には仏像はなく、文字だけであり、「大乗妙典 字●●・」のように読めるのだが、これまたよく判らない。こちらも風化・苔むしており、亀裂も入って壊れかけている。
しかし、これらの石仏には、どなたがされているのか、いつも花が供えられている。こういう信仰篤い方々がおられるから、路傍の石仏もこうして静かに佇んでいることができるのであろう。