かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

石仏・石塔見て歩き(1:子安観音)

2008-02-03 11:25:01 | 田舎の歴史
今までに本ブログで、地元の「石灯籠」や「いぼ神様」を紹介しましたが、子供の頃何度もその前を通り、時にはお姿を拝見してこともあったと思う集落のその他の石仏、そして石塔、石碑など。それらを改めて訪ねてみて、じっくりそのお姿を拝見させていただいたり、作られた当時のことなどを想像したりしてみたいと思っております。もう随分と風化が進んで傷んだり、頭部がなくなったりしているものも少なくないようです。 

そんなわけで、「石仏・石塔見て歩き」と題して、随時紹介させていただこうと思いたったしだいです。まず第1回目として、我が家のすぐ近くにある「子安観音」です。以前本ブログで紹介しました“サロン地蔵様”の石仏さんです。
普段は、どなたが作られたのか、赤い帽子を被り、赤いよだれかけと底のない袋を首から下げているため、子供を抱いていることがわからないのですが、失礼して少しの間それらを外して、お姿の全容を拝見させていただきました。しっかりと両腕で、子供を抱きかかえておられます。そして、ふっくらとした、やさしそうなお顔をしております。台座の側面には、「文化八年七月十八日」と刻まれており、前面に世話人の方々の名前が14名ほど刻まれている。この当時ですから、皆さん苗字はありません。名前だけです。文化八年といえば西暦1811年、11代将軍徳川家斉の時代で、この翌年、『菜の花の沖』(司馬遼太郎)でお馴染みの高田屋嘉兵衛が国後海上で、ロシア軍艦にとらえられています。 

ということで、この子安観音はもうすぐ200歳です。200歳の誕生日には、盛大な誕生会があるのだろうか。平成13年に、ここの道と石垣が改修され、その時にこの石仏の祠も新しく作られたようで、今はブロックを積み上げて作られた祠である。以前は、どういう風に安置されていたのか記憶がないが、ずっと祠にまもられていたのだろうか、それほど風化が進んでおらず、よくぞ長い年月を耐えてこられたと思う。そして、買物の行き帰りに談笑するおばあさん達の話を微笑ましく聞いているのであろう。 


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