子どもの頃、片道1時間ほどかけて歩いて、何度か見に行ったことのある三崎の秋祭りに昨日午後、何十年ぶりかで見に行ってみました。
メイン会場の港の広場は、大勢の人で賑わっていました。
私が着いてしばらくすると、化粧して、巫女さんのように着飾った少女8人が登場です。そして、扇子や鈴を持っての踊りが始まりました。
私は、この演目は記憶にないので、私の横で見ていた男性に「これはなんと言うのですか?」と尋ねてみた。すると、「お稚児さんです」との答えが返ってきた。
さらに、その男性の話では、本来は小学5年生の女の子8人がその役をするのだそうですが、近年の少子化傾向で5年生だけでは足りなくて、4年生も参加するようになったとのことでした。
化粧した少女達は、みんなきれいでした。
次は相撲甚句です。
行司役の子供が1人と、力士に扮した子供が10人おります。
行司役の子供がなにやら口上を述べた後、力士の1人が唄いながら、それに合わせてほかの力士たちが踊ります。
何を模しているのか私にはわかりません。どうも、相撲甚句の由来は、わからないらしいです。
子供の頃にもこれを見たことがありますが、発している言葉が分からないし、見た目の華やかさがないし、これが始まると退屈だった記憶があります。
(ゴメンナサイ)
次は五ツ鹿踊り登場です。
≪五ツ鹿踊り≫
今までの子供達より少し体格がいいです。多分高校生でしょう。
写真の真ん中の鹿だけ、足の色がピンクですし、頭には角の代わりにススキの穂らしきものが飾られています。1頭のメス鹿に4頭のオスが踊りを舞ってアピールしているのでしょうか?
この五ツ鹿踊りは、ほかの地区では「八ツ鹿踊り」などというのもあり、出演人数に応じて呼び名が異なっているようです。とはいえ、頭に鹿の面をかぶり、両手で太鼓を叩き、唄いながら踊るというのは同じです。
『町誌』によると、この踊りは、宇和島藩に移封された伊達秀宗(政宗の長男)が、宇和海に浮かぶ小島に遊びに行った時、鹿のたわむれ遊ぶ様子を見て、故郷仙台の鹿踊りの風習を思い出して、鹿の頭を作らせ、これをかぶり踊らせたのが始まりのようです。そのため、県内でも南予地方にだけ伝わっているようです。
さあ いよいよ唐獅子の始まりです。
≪唐獅子≫
全国的にも定番の獅子舞です。
白や紅で化粧して、たすきがけで太鼓を叩く少年(児童)を眺めながら、子供心にあこがれていたことを思いだしました。・・・自分もいつかあの役回りをしたい・・・・。
はかない夢でした。
それはさておき、子供の頃見た太鼓叩きの少年は、もっとゆったりと軟らかく、大きな所作をしていたような気がしました。 なんでかねー?
とはいえ、子供と獅子のやり取りを見ていると、「お祭りだ」という気分で、なにやらキュンときました。
「なにかひとつ忘れちゃいませんか?」とお思いの方がおられるかもしれません。
そうです、三崎祭りのメインイベント(と私は思っている)の「牛鬼と四ツ太鼓」があります。
これについては、稿を改めてじっくりと書かせていただきます。
本日もご訪問ありがとうございます。
「プチッ」とお祭り気分で景気よく押していただけると嬉しいです。
メイン会場の港の広場は、大勢の人で賑わっていました。
私が着いてしばらくすると、化粧して、巫女さんのように着飾った少女8人が登場です。そして、扇子や鈴を持っての踊りが始まりました。
私は、この演目は記憶にないので、私の横で見ていた男性に「これはなんと言うのですか?」と尋ねてみた。すると、「お稚児さんです」との答えが返ってきた。
さらに、その男性の話では、本来は小学5年生の女の子8人がその役をするのだそうですが、近年の少子化傾向で5年生だけでは足りなくて、4年生も参加するようになったとのことでした。
化粧した少女達は、みんなきれいでした。
次は相撲甚句です。
行司役の子供が1人と、力士に扮した子供が10人おります。
行司役の子供がなにやら口上を述べた後、力士の1人が唄いながら、それに合わせてほかの力士たちが踊ります。
何を模しているのか私にはわかりません。どうも、相撲甚句の由来は、わからないらしいです。
子供の頃にもこれを見たことがありますが、発している言葉が分からないし、見た目の華やかさがないし、これが始まると退屈だった記憶があります。
(ゴメンナサイ)
次は五ツ鹿踊り登場です。
≪五ツ鹿踊り≫
今までの子供達より少し体格がいいです。多分高校生でしょう。
写真の真ん中の鹿だけ、足の色がピンクですし、頭には角の代わりにススキの穂らしきものが飾られています。1頭のメス鹿に4頭のオスが踊りを舞ってアピールしているのでしょうか?
この五ツ鹿踊りは、ほかの地区では「八ツ鹿踊り」などというのもあり、出演人数に応じて呼び名が異なっているようです。とはいえ、頭に鹿の面をかぶり、両手で太鼓を叩き、唄いながら踊るというのは同じです。
『町誌』によると、この踊りは、宇和島藩に移封された伊達秀宗(政宗の長男)が、宇和海に浮かぶ小島に遊びに行った時、鹿のたわむれ遊ぶ様子を見て、故郷仙台の鹿踊りの風習を思い出して、鹿の頭を作らせ、これをかぶり踊らせたのが始まりのようです。そのため、県内でも南予地方にだけ伝わっているようです。
さあ いよいよ唐獅子の始まりです。
≪唐獅子≫
全国的にも定番の獅子舞です。
白や紅で化粧して、たすきがけで太鼓を叩く少年(児童)を眺めながら、子供心にあこがれていたことを思いだしました。・・・自分もいつかあの役回りをしたい・・・・。
はかない夢でした。
それはさておき、子供の頃見た太鼓叩きの少年は、もっとゆったりと軟らかく、大きな所作をしていたような気がしました。 なんでかねー?
とはいえ、子供と獅子のやり取りを見ていると、「お祭りだ」という気分で、なにやらキュンときました。
「なにかひとつ忘れちゃいませんか?」とお思いの方がおられるかもしれません。
そうです、三崎祭りのメインイベント(と私は思っている)の「牛鬼と四ツ太鼓」があります。
これについては、稿を改めてじっくりと書かせていただきます。
本日もご訪問ありがとうございます。
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