サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 09359「ホウ・シャオシェンの レッド・バルーン」★★★★★★★☆☆☆

2009年03月15日 | 座布団シネマ:は行

1956年に公開されたアルベール・ラモリス監督の名作『赤い風船』にオマージュをささげた、ホウ・シャオシェン監督による詩情あふれる人間ドラマ。仕事に家族のこと、日常の悩みに心がささくれ立つ人形劇師が、息子の子守りをする留学生との交流によってゆるやかに変化していく。人形劇師を魅力的に演じるのは、フランスとハリウッドの両方で活躍する演技派のジュリエット・ビノシュ。空を浮遊する赤い風船とともに映し出される、古くて新しいパリの街の風景も見どころの一つ。[もっと詳しく]

冬冬もパスカル少年もシモン少年も、大きな力に見守られていたのかもしれない。

侯孝賢(ホオ・シャオシェン)については、この座布団シネマにはレヴューはしていないが、台湾でもっとも好きな監督である。
1980年代から台湾では、台湾ニューシネマとでもいえる新潮流の作品が輩出したが、その中心に侯孝賢はいた。
初期の作品で好きなのは「冬冬の夏休み」(84年)。
小学校を卒業した冬冬が妹のティンティンと一緒に母を見舞った後、叔父に連れられ、祖父の家に夏休み休暇に行くのだが、その間にさまざまな経験をするという小さなお話である。
小さな可愛らしいお話であるのだが、そのなかに台湾が持つ歴史や大人たちの「事情」が巧みに盛り込まれていて、この兄妹は確実に成長していくのである。
子どもは単に無知で朗らかなだけではない。子どもはたぶんなんだって分かって(感受して)いるんだ。そんなことを、いまさらながら、僕はこの作品に教えられたような気がしている。



その後、「悲情城市」(89年)「戯夢人生」(93年)「好男好女」(95年)の台湾戦後史3部作を発表する。
台湾では最大のタブーとなっているニ・ニ八事件を扱ったものである。
日清戦争後、1985年から台湾は日本の統治下に入り、日本のインフラ政策、教育政策、治安政策は一定の成功を収め、軍事統括という負の面をのぞけば、とても幸福な時代であったともいわれている。
第二次世界大戦後、日本軍に変わり、大陸から蒋介石の国民党軍(外省人)が入ってきて、民度は台湾人(内省人)の方が高かったにかかわらず、奴隷のように差別的に扱われた。
そこで、台湾人は蜂起し、暴動を起こすのだが、アメリカから機関銃を支給された国民党軍は、徹底した虐殺を繰り返し、わずか2週間で2万8000人が犠牲となった。
その後も白色テロは続き、戒厳令は実に1987年まで40年も続き、知識人はのきなみに14万人が逮捕・投獄されたといわれている。



侯孝賢が小津安二郎監督を畏敬していることはよく知られている。
小津安二郎監督生誕100周年にちなんで、侯孝賢が東京で撮ったのが「珈琲時光」(03年)だ。
もちろん小津の「東京物語」へのオマージュとなっているのだが、一青窈、浅野忠信の好演技もさることながら、舞台になった神田神保町の古びた喫茶店や、鬼子母神の路地裏や、いくつかの線が乗り入れているホームや車窓風景を求めて、僕は「珈琲時光」ひとりツアーをしたものだ(笑)。
05年にオムニバス歴史恋愛3部作である「百年恋歌」の発表をはさんで、侯孝賢が小津安二郎の次にオマージュを捧げたのが、アルベール・ラモリスの「赤い風船」(56年)であり、その舞台となったパリであった。



「赤い風船」はたった36分の短編映画である。
映画好きの多くの人が、この短編映画に衝撃と感銘を受けたことをコメントしている。
ジャン・コクトーは「妖精の出てこない妖精の話」と評し、いわさきちひろは『あかいふうせん』を絵本にする権利を懇願した。
50年もの間、権利関係の問題で上映の機会がほとんどなかったこの幻の作品を、偶然のように見ることが出来た僕だが、やはり僕も映画館からしばらく立ち上がることが出来ず、その後、たぶん相手に嫌がられるほど、いつもいつも喫茶店で、バーのカウンターで、大衆居酒屋で飽きずこの作品の話をしたものだった。
オルセー美術館開館20周年事業の一環として、パリを舞台にした作品を依頼することになり、その第1回に指名されたのが侯孝賢であった。



「赤い風船」はパリ20区のメニルモンテ界隈を舞台としている。
メニルモンテというのは「悪天候の家」という語源らしいが、パリを見下ろす急坂の丘の上にあり、労働者階級の居住区として残り、パリでもっとも下町情緒が残っていた地区のひとつである。
パスカル少年(監督の息子)が登校の途中で、街灯に引っかかっている赤い風船を見つける。
どこにも自由がないパスカル少年は、その赤い風船と「友情」を交換するようになり、風船はいつも少年を見届けることになる。
心無い子どもたちの嫉妬のせいで、石を投げつけられ風船は萎んでしまうが、パリ中から風船が舞い降りてきて、それをつかんだパスカル少年は、空に舞い上がる・・・。
『星の王子さま』の詩情に似た、リリシズム溢れる、豊かな作品である。



侯孝賢は、冒頭を同じように現在のパリに置き換えて、シモン(シモン・イテアニュ)という可愛らしい少年にパスカル役を委託している。
シモンの母スザンヌ(ジュリエット・ビノシュ)は祖父もそうなのだが人形劇師である。
前の夫との娘ルイーズはブリュッセルに在住しており、現在の夫は小説家だが、離れたままで戻ってこない。
母から譲られたおんぼろアパートの一室で、躁鬱のような状態で苛ついているようだ。
それに輪をかけるように、友人マルクには階下のフロアーを貸しているのだが、家賃もろくに払われず、諍いの種となっている。
人形劇の練習に多忙なスザンヌは、中国人でフランスの映画学校に勉強しにきているソン(ソン・ファン)にシモンのお守を頼むのだが・・・。



ソンはアルベール・ラモリスの「赤い風船」を畏敬しており、シモンをモデルに自分なりの「赤い風船」をカメラに収めようとしている。
一方で、侯孝賢の「戯夢人生」でも取り上げられた中国人形劇を、スザンヌは学んでおり、スーの静かな落ち着いたたたずまいとスザンヌの髪を振り乱して慌しく散らかす様子は、対極的ではあるのだが、ふたりには信頼と友情が生まれてくる。
そんな様子も含めて、シモンを見守るように、赤い風船がパリの街を浮遊している。
赤い風船と出会うパスティーユ広場、地下鉄ホームのかたわら、カフェにあるピンボールゲーム、リュクサンブール公園の回転木馬、アパルトマンの窓や天窓を覗き込むように巡って・・・そして最後に赤い風船がシモンのもとにやってくるのがオルセー美術館だ。
ここで学芸員に連れられたシモンたち一行が見ているのは、ヴァロットンの赤い風船を追う子どもの絵だ。



ヴァロットンは、スイス生まれだが、日本の版画展に大きな影響を受けて、黒白の木版画で話題を呼び、世紀末のグラフィック美術にも大きな影響を与えた画家である。
その作品に、侯孝賢がどういう寓意を与えたかったのか僕にはよくわからないが、学芸員はさかんに視線のありかを話題にしていた。
パスカル少年、シモン少年・・・そして、僕の好きだった侯孝賢の「冬冬の夏休み」の冬冬とティンティンの兄妹も、哀しい気持ちや寂しい思いに胸が詰まりそうになりながらも、けれども大きな力、慈悲のような存在に、しっかりと見守られて救われていたような、どこかに暖かい視線が存在していたように、僕は思いたいのかもしれない。






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2 コメント

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トントン (latifa)
2010-04-16 08:25:44
kimionさん、こんにちは。
毎日なんだか寒くて辛いです~。春だというのに。

さて、レッドバルーンは未見なのですが、赤い風船は、すっごく良かったです。見たのは割と最近で、30年以上経った今見てもそう感じるなんて、凄い事ですよね。

トントン、懐かしいです。80年代後半だっけな?ホウ・シャオシェンのプチブームがありましたよね。そのころ見ました♪ 台湾の人は日本に好意を持ってくださってる方が多いということで、一般的にアジア圏では日本嫌ってる人が多い中、凄くなんだか嬉しいです。
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latifaさん (kimion20002000)
2010-04-16 09:26:23
こんにちは。

しまいかけたストーブをまた引っ張り出して使っています。どうしたんでしょうかね。農作の方々は、品種によっては大変ですね。

>台湾の人は日本に好意を持ってくださってる方が多いということで

複雑な問題もありますが、台湾統治は解放の面もありましたし、インフラ設備に投資をして、それが現在の台湾のファンダメンタルの一部になっていますからね。

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