サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 10452「フォース・カインド」★★★★★★★☆☆☆

2010年04月25日 | 座布団シネマ:は行

行方不明者が多発するアラスカ州ノームを舞台に、原因不明の現象の究明に迫る衝撃的な実録スリラー。2000年に起こった凄惨な出来事の渦中にいた心理学者が録画した記録映像の一部を本編に用い、『バイオハザード』のミラ・ジョヴォヴィッチがナビゲーターと、心理学者を演じる再現映像で世にも恐ろしい異変を描く。犠牲となった人たちの混乱と悲痛な叫び声、さらには現実のものとは思えないショック映像に息をのむ。[もっと詳しく]

素直に驚き、延々と無駄話をすること。

こういう映画の愉しみ方は、決まっている。ひたすら、無邪気に驚くことである。
そうすると「この世の中は不思議と謎と恐怖に満ちている」ということの片鱗が、少し分かることになる。
映画に描かれた事柄が、事実かどうかはどうでもいい。
そんなことは、専門家やアマチュアオタクが、延々と百年も議論を繰り返していることだ。
それを、僕たちが知ったかぶりで、同意したり反論したりしても、詮無いことだ。
また科学的か、非科学的か、真実か、捏造か、と問うても仕方がないことだ。
それもまた、僕たちがどういう立場にたつかということで、いかようにも変わってくるからだ。
少年時代に、挿画つきの「世界の不思議」や「世界の奇談」やといった物語を、わくわくしながらあるいはドキドキしながら、読み耽ったことを思い出す。
友人たちに夢中になって話しながら、馬鹿にされると思ったのかどうか、先生や大人たちには話さなかった。
そして、夢で魘されたりした。
大人になって、専門書やドキュメントやノベルやトンデモ本あるいは反トンデモ本をゴマンと読んだが、それでもそういう話は興味がつきない。
それがTVシリーズの「Xファイル」のような使い古されたエピソードのもっともらしい羅列であろうが、矢追プロデューサーのこりないネタ出しであろうが、テレビのバラエティでのくどい再現フィルムであろうが、「ディスカバリー」などのもったいつけた演出であろうが、同じことだ。
その見せ方に、リアリティが付与されているかどうかが、「技術」の問題として、腑分けできるだけである。



『フォース・カインド』(第四次遭遇)という映画を見ても、そのテーマそのものは少なくともある程度の関心を持つものには、親しいテーマばかりである。
ロズウェルほど有名ではないとしても、アラスカ州ノームの「不眠症」事例も何度か耳にしたことがある。決して、ゴールドラッシュに揺れた、ワイアート・アープの出身地というだけではない。
1960年代から2000回に及ぶFBIの調査があったというのも、大変だねFBIも、という気はする。
宇宙人による誘拐説も、何度も形を変えてドラマになっている。
また睡眠治療は、ちょっと怖いが、一度は僕も受けてみたいものだと思っている。
そういえば、僕も小さい頃、「神隠し」に二度あったし、なんだか水疱瘡のワクチン注射ではなさそうな謎の傷が肩口にある(笑)。
「金縛り」の時期が長かったので、何度も襖を開けて、得体の知れない気味の悪いものが、一人寝の部屋に入り込んで恐怖に震えたことは、数え切れないくらいある。もちろん入眠時の半覚醒状態ではあるが、記憶が消されたように思い出せない(単に夢だとすれば忘却するように出来ているから当たり前なのだが)。
そして第一次遭遇と第二次遭遇は、僕にはあると思っている。
でもそれも、見間違い、思い込みと言われれば、そうかなとも思う。



『フォース・カインド』という作品は、思いの外、面白かった。
このオスンサンミという、両親がナイジェリア人である監督は、どこまで本物かどうかはわからない。
ミラは「あたしが会った男性の中で、もっともインテリジェンスに富んだ人よ」なんて真顔で言っているが、宣伝文句かもしれない。
あるいは65時間あるというノームの不思議な住民体験の記録映像というものが、本物かどうかは今のところわからない。
ミラは「あたしは全部観て、衝撃を受けたわ。でも今回映画で使えたのは、撮られた本人から許可を得たほんの少しの映像だけなの」とこれまた真顔で言っているが、見ていないのでなんともいえない。
あるいは肝心なアビゲイル・タイラー博士やその同僚の博士や古代シュメール語の研究者が、実在しているかどうかはわからない。
わからないことだらけだが、ミラと監督がナビゲーターとして出てきて、「記録映像」と「再現映像」を並列しながら見せていく手法は、とても斬新なものであった。他にもこういう手法のセミドキュメントがあったかもしれないが、僕にはとてもこの作品では成功していると思える。
肝心な記録映像が、「知的生命体?」のせいでご都合主義的に荒れているのも、まあストーリー的には、説得材料のひとつともとらえることも出来る。



「白いフクロウ」という暗喩も、なんだかフクロウの目が、「宇宙人」のように見えてくるから、それはそれでいいかもしれない。
いままでは、ほとんどヒト爬虫類説(レプティリアン説)に魅力を感じていたので、フクロウというのも実体ではないにしても意表を突かれたところもある。
ちなみにフクロウの夢判断は、「思いがけない敵の出現、アクシデントの予見、よくない計画の察知」であったりするのだが。
しかしこの映画の驚きの映像は、やはりタイラー博士の表情である。ちょっとこの表情は、誤解を恐れずにいえば、「健常者」では出せない表情だ。
もうひとつ催眠療法の被験者の一人の男が、記録映像でも再現映像でもそうなのだが、恐怖に怯えて口を大きくあけて叫ぶシーンである。
CGによる修正がなかったとすれば、僕は人間の顎口というものがあんなに大きく開くこととが出来るのだと、初めて知ったと言える。これは、「万国びっくりショー」(古いね)級だ。



内容的には、もっとも興味深いのはシュメール考古学の話だ。これも、一時期、僕たちが夢中になった「宇宙考古学(伝承)」のひとつである。
シュメール文明が最古の文明であること、その文明は突然のようにヒッタイト文明に取って代わられたこと。
シュメールには古代楔形文字があり(人類最古の文字)、その解読に拠れば、『聖書』が登場する何千年も前に、すでに「ノアの箱舟」や「エデンの園」や「バベルの塔」の説話の原型があること。
その謎のシュメール文明の実在が考古学的に確認されたのは、まだたった150年前、つまり1850年代に過ぎなかったこと。
そういうこともなんだか興味深い研究だ。
もう少し、日本の起源に愉しい想像力を働かせるものとするなら、「シュメール=日本人起源論」などは「日ユ同祖論」などよりもっと魅力的ではある。



このあたりを真面目に追求する学会としては「スメル学会」「バビロニア学会」などがあるが、関心のある人はぜひGoogle検索してみてください(笑)。
たとえば天皇のことを「スメラミコト」などと呼ぶが、古代シュメール語では「スメラ」というのは「天から降りた神」を意味する。
あるいはスサノオは(牛頭天王)は、バビロニアのバール(牛の角)から来ていると言う宗像教授のような説や、日本語と古代シュメール語には共通点が多いという打率三割もあやしい説もある。
楔形文字と漢字の成り立ちが同じ(白川先生に聞いてみたい)、漢字かな混じり文の構成がシュメール語構造に似ている、母音が強調される、膠着語(テニオハで接着)であることなどが指摘されている。
最近では日本でもよく発見されているペトログラフの記号は、シュメール文字に似ているとして、海外のオリエント学会などでは持て囃されてもいる。
もっとオタクなヒトは、幸福の科学の大川総裁の「エル・カンターラ」とはシュメールの二大神のひとつであるアヌのことだが、これは人類を滅ぼすことを目的とした神であり、大川総裁が無造作に使ってもいいのでしょうか、というツッコミがあったりする。



で、結局、「映画としてはどうなの?」と問われれば、僕としては○なのである。
巷では、こうした「キワモノ映画」は酷評されるであろうことは、承知の上で。
だってこんな映画ひとつで、無意味であろうこうしたおしゃべりを、得々と話することが出来るのだから。









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2 コメント

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弊記事までTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2010-10-31 00:49:19
確かに記録映像と再生映を並列するというアイデアは新味がありましたね。
宇宙人との遭遇に催眠術治療を併せて真相を曖昧にするというヒネリも面白いと思いました。

kimionさんの読書量が相当なものであることが伺われる記事ですが、シュメール語のくだりは新味がありました(笑)。
また勉強させてください。
オカピーさん (kimion20002000)
2010-10-31 01:01:55
こんにちは。

>読書量が相当なものであることが

いやいや、聞きかじりの雑学ですね。
体系だてては研究する根性は、まるでないです。

こんな話を得意気に外でやると、一般には嫌われるに決まってます(笑)。

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