1982年のレバノン戦争を舞台に、極限状況に置かれた4人のイスラエル軍兵士の壮絶な体験を描き、第66回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した戦争映画。同戦争に従軍したサミュエル・マオズ監督の実体験を基に、カメラが戦車内から外に出ない斬新なスタイルで、戦争の恐怖や人間の狂気をあぶり出す。砲撃で四散する兵士や、女・子どもを含む市民が無惨に殺されていく様子など、4人の戦車兵がスコープ越しに見る戦場の光景に言葉を失う。[もっと詳しく]
幾重にも重層する「主観映像」の世界に入りこむ。
主観映像の世界は、ありていに言ってしまえば「カメラ目線」ということであり、フェイクドキュメンタリーと呼ばれたり、Point Of Viewと呼ばれたりもする。
別に目新しい手法ではない。
誰だって、ビデオカメラを手にした時、延々と主観映像をものしたはずである。
手振れは免れないが、なんとなくカメラ越しに覗いた世界が特別なものに思えたりして、ひたすら撮り続けたりする。
もっとも8mmフィルムに始まってアナログ撮影の場合は、なんとなくフィルムの消費がもったいないような気がして、やっぱりシーンをそれなりに考えたりするのだが、デジタルになるとそんなことを気にするよりも、バッテリーの持ちを気にするぐらいである。
昔は長くカメラを持っていると肩や肘が痛くなったりもしたが、今では片手でひょいともてる軽量のビデオカメラがハイビジョン撮影であったりもしてしまう。
主観映像のほとんどは、素人丸出しの世界だから、鑑賞をつき合わされる側はたまったものではない。
ファインダーをのぞく撮影者にしてみれば、それはそれで<時間>を切り取る快感があるのだろうが、鑑賞者の側からいえば、単にモニターに映りこんだ落ち着きの無い画面の連続に過ぎないからだ。
そんな主観映像の世界にも、もちろん革命的手法は開発されることになる。
退屈で退屈で仕方がなかったが、僕が大学生の時、上映運動を手伝った映画のひとつに、原正人の『初国知所之天皇』(73年)という作品があった。
高校時代からその自主映画作品が評価され、20歳ですでに大島渚の脚本をものした原正人は、もともと「古事記」をテーマに劇場映画を製作しかけたが途中で断念。
そのかわりに北海道から鹿児島まで延々とロケーション・ハンティングの旅に出て、車から映るその風景や映画の製作プロセスそのもののなかに漂ってある、神話性を表現したのだ。
時、あたかも「風景論」がブームとなった頃だ。
どこの町でも、同じような均質な空間に染められている。そのことの退屈な意味。そしてその怖ろしさ。
その十年後ぐらいに、もうひとつの主観映像の革命者に出会った。
百科事典のトップセールスマンからインベーダーゲームで稼いだ金を「ビニ本」につぎ込み、大成功した村西とおるである。
「猥褻図画販売容疑」で逮捕され、保釈後AV監督に進出、自らが監督・男優・カメラマンを兼ねる「ハメ撮り」などの当時では珍しかったさまざまな手法を開発し、そして1986年の「横浜国大でイタリア美術を専攻する良家のお嬢様である」黒木香を「腋毛女優」として『SMっぽいの好き』で大ヒットさせ、「AV界の帝王」と名づけられたのだった。
ソニーベータカムをかついで調子のいいセリフでハメ撮りをしている村西とおるは、たしかにひとつの作風を生み出したのだった。
その後もオカルトやホラー映画を中心に、「主観映像」作品は撮り続けられたのだが、そのひとつの転機となったのが、超低予算でかつ大ヒットを記録した『ブレアウィッチプロジェクト』(99年)だった。
大学の映画学科に属する3人が森で「ブレアウィッチの魔女伝説」をテーマに撮影を開始したが、消息を絶ち、その1年後フィルムとビオデオが発見され、そこに映っていたのは・・・という趣向である。
「柳の下の泥鰌」を狙って、多くの物真似映画がつくられた。
なかには、スペインで作られハリウッドでリメイクされた『REC/レック』(08年)や、部分部分のモンスターが映し出されるSFパニックアクションである『クローバーフィールド/HAKAISYA』(88年)など記憶に残る作品もあるし、ゾンビ映画の巨匠ロメロの『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(07年)やアカデミー賞に輝いた『ハートロッカー』(08年)だって、主観映像がメインだと言ってしまえなくもない。
1982年6月6日、レバノンに侵入したイスラエル兵4人の一日を記録した『レバノン』という作品も、「主観映像」の範疇に入ると言える。
しかし、09年のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞したこの作品は、僕にはとても優れた「主観映像」の技法の援用のように思えた。
この作品のカメラは戦車の中を出ることが無い。
そして戦車を囲む外の世界は、唯一戦車の砲台につけられたスコープを通して視られる世界で構成されている。
しかもその映像はモニターに映るのではなく、砲撃担当のひとりの兵士の視線によって、覗き見られた世界なのだ。
スコープそのものは、操作によってブィーンと上下左右に移動し、ズームが可能である。
すなわち、この「視線」は単なる機械につけられたレンズでしかないのだが、緊迫の外界を上下左右に移動するさまは、まるで生き物のようであり、そこに兵士の緊張が乗り移っている。
そしてそのスコープを覗き込む兵士の「視線」は、もちろん人間の網膜レンズである。
ただし、スコープを覗きながらであるから、兵士の「視界」は極端にスコープの円形に限定されている。
極限状態に置かれたこの兵士は、瞬時に敵の姿や周囲の状況を捉えて、判断をしなければならない。
外の映像の意味するものは、自分たちの命に即、直結する。
だからこの「視線」は、新人兵士の砲撃手にとって、恐怖に満ちた「主観映像」とならざるを得ない。
そして兵士の背後には、生死をともにする3人の兵士がいる。
生死は共にしているが、恐怖のよって来るところは、もちろん各人によって異なっている。
その3人はスコープも覗くことさえ出来ず、外の世界を知る手がかりは、砲撃の音であったり、悲鳴であったり、沈黙であったりするだけだ。
ここでは、スコープを覗く砲撃手の「視線」を想像し、感知しようとする観念としての「主観映像」が、各自の脳裏にそれぞれ異なるものとして、刻まれているはずだ。
戦車のなかに置かれたカメラはその個別の主観を。表情や行動や怒鳴りいがみ合う声によって、浮かび上がらそうとしている。
そして、僕たち観客の視線が、それらの全体を総合して、この状況の絶望を「見る」ことになる。
かといって、その状況を総合しても、この「戦争」の全体状況が見えるわけではない。
潜水艦や列車や大型飛行機やといった乗り物の内側だけで、心理戦が進行する映画はいくつも数え上げられるが、狭苦しい一台の戦車の中の数人の緊迫劇というシチュエーションは、僕ははじめて見たように思う。
それだけでもたいしたものだ。
それにしても、関係はないことなのに、僕は福島原発の高放射能下の作業に厳重な防護服姿で向かう作業員を想像する時に、『ハート・ロッカー』で地雷処理に完全防護服姿で孤独に向かう主人公を重ね合わせたように、目に見えない放射能の恐怖に避難地域で閉じこもる人たちの寝付かれない夜を思うたびに、この戦車の中の兵士たちの恐怖と苛立ちを重ね合わせてみてしまう。
それは、単に、僕にとっての、想像上の「主観映像」であるに過ぎないのだが・・・。
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映画でブログを書くお馴染さんが次々とリタイアして、本当に困っちゃうなあ(笑)。
IMDbに比べると情報が不十分なallcinemaへのコメントも明らかに減っています。話題作なのに十人もコメントしていない作品だらけです。
いつの間にかkimionさんも映画に関しては開店休業状態になって僕は一体どうしたら良いのでしょう(笑)。
それはさておき、カメラを持っている人を設定上用意していないのに、アクションになると途端にカメラが揺れる現象をついこの間「ブレア・ウィッチ病」と名付けたところです(笑)が、やはりそういう設定をしていない作品が手持ちカメラを多用するのには、映像言語とか映画文法を気にする(笑)僕は大いに抵抗があります。
その点本作は上手かった。本作は戦車から出ないという設定故にスコープから覗く映像は、揺れても揺れなくても主観ショットになります。
観客にとっては正に疑似戦車体験と言えるわけで、感心致しました。
「開店休業状態」ですが(笑)、ちょっと様式をリニューアルするかわかりませんが、また、お店を出すようにしたいものです。