サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 10493「倫敦(ロンドン)から来た男」★★★★★★★★☆☆

2010年10月14日 | 座布団シネマ:や・ら・わ行

ハンガリーの鬼才タル・ベーラが前作『ヴェルクマイスター・ハーモニー』から7年ぶりに放つノワール・サスペンス。「メグレ警視」シリーズで知られる文豪ジョルジュ・シムノンの同名小説を原作に、偶然にも殺人を目撃したことから運命が大きく狂いだしていく鉄道員の姿を描く。『フィクサー』のティルダ・スウィントンや、ハンガリーやチェコで活躍するベテラン俳優が出演。長回しを用いた独自のカメラワーク、陰影に富んだモノクロームの映像美が異彩を放つ。[もっと詳しく]

メタ・コミュニケーションの極地のような、計算されたカメラワークの見事さ。

もうほとんど内容を忘れているのだが、古典的なミステリーや冒険小説で、早川や創元や河出書房や新潮やといったところから数十冊単位で文庫が出ており、それをほぼ読破したと言う意味では、海外ではやはりアガサ・クリスティとエラリー・クィーンそれにディック・フランシスかもしれないが、ジョルジュ・シムノンも半分ぐらいは読んだような記憶がある。
いつも文庫本の本文、解説のあとにシリーズや新刊などのあらすじがずらっと並べられているのだが、それを埋めて(制覇して)いくのが愉しみでもあった。
ジョルジュ・シムノンは「メグレ警視シリーズ」が有名だが、生涯に400作、世界で5億冊は読まれたのではないか、という化け物作家なのである。
ちなみに、シムノンは艶福家でも知られ、「俺は1万人の女と寝たよ」なんて吹聴していたらしい。
量は質に転化する(笑)。ひとつの偉大な才能である。



そのシムノンの原作を、ハンガリーの鬼才タル・ベーラが(といっても僕は実は初見である)、7年ぶりにメガホンを取ったのが、この『倫敦から来た男』ということになる。
どんなお話なのか、どんな監督なのか、皆目見等がつかない。
なんとなくモノクロの沈んだDVDの表紙写真で、ノワール・サスペンスかな、というぐらいは推量できる。
冒頭から夜の海、なにやらアール・デコ風の直線と曲線の混じる構図で、光と影が画面に少し揺れながら立ち現れる。
なんだ、これは?
ゆっくりゆっくり時間をかけて、カメラは少しづつ上方に向かう。
どうやら船を真正面から見たときの舳先であるようだ。
甲板部分が見えてきたところから、カメラは横に振れる。
しかしときおり、カメラが黒い線というか影をまたぐようになる。
これはなんだ?カメラはどこから撮られているのだ?



喫水線と並行しての埠頭に男たちが立ち止まる。
その横を、貨物鉄道のレールが走り、列車が入ってくる。
どうやらカメラは、埠頭を見下ろす位置に、ガラスの檻のような見張り台を兼ねた建物があり、その窓ガラス越しに撮られているようだ。
とすれば、それはまだ映っていない登場人物の視線と言うことになる。
そして、主人公である鉄道労働者のマロワンがゆっくりと姿を現わす。
そしてまた夜の埠頭にカメラはゆっくり戻る。
どうやら、なにか諍いがおこっているようだ。
海に男が突き落とされた。
マロワンは<事件>を目撃してしまったのだ。



なんの言葉も介在しない。ほとんど音楽も。
もうこの独特のゆったりしたカメラのじりじりした動きがつくりだす異様な緊張感だけで、この映画が普通の娯楽映画から遠く離れていることは、誰にもわかることになる。
ブラッド・ピット、ガス・ヴァン・サントス、ジム・ジャームッシュなど多くの映画人に「鬼才」として崇められているらしいタル・ベーラ監督の、息遣いがたちのぼってくることになる。
単調な仕事を繰り返すマロワンが、ひそかに事故現場からカバンを引き揚げると、想像だにしなかったことだが、札束が詰まっている。
なにかしらやばい金のようだ。
貧しい労働者であるマロワンは誰にも話せぬ秘密を持つことで、徐々に人格が揺らいでいく。
なにもなかったかのように振舞うのだが、家に帰り突然大声をあげたり、落ち着かなくなったり、娘を屈辱的に働かしていることに我慢ができなくなってくる。
そうこうするうちに、倫敦から来た警部の追及は、間近に迫ってくる・・・。



秀逸である。
カメラはマロワンの視線に同値しているようでありながら、よく観察するとそうではなくマロワンをも含む背後の<眼>の位置を感じ取ることが出来る。
一見すると単調な感じがするが、ひとつひとつの構図が、その光と影が、ため息がでるほどの美しさに満ちている。
僕たちはこのマロワンが思いもかけず「幸運」を手にしたのかと思いたいが、いやいやそうではなく、とんだ「疫病神」に憑かれてしまったのだということがわかり、この無口で不器用そうで小心でしかし温かい正直そうな男に、同情を禁じえなくなる。
自然は静かで広陵であるが、人間はとても狭量ではないか・・・。



この監督には『サタンタンゴ』(94年)という問題作があると聞いている。
実に7時間半の長編映画らしい。
ギリシヤのテオ・アンゲロプレスの長時間作品の比ではない。
うーん、この緊張感に満ちた画面と同等だとしたら、とてもではないが7時間半の長丁場は、ユンケル3本ぐらい飲まなければ付き合う自信がない(笑)。
それにしても。
小津監督はじめ長回しのカメラが織り成す計算されたアングルには慣れているであろう日本の観客にとってみても、ちょっと衝撃を与えられるメタ・コミュニケーションそのものの沈黙に拮抗するような、カメラワークであることにあらためて驚かされる。
ラストシーンで自首したマロワンにようやく苦悩の「対価」として訪れたかもしれない「幸運」に、こちらもほっとして肩の荷を降ろし、思わず外に出て、夜風に当たったのであった。



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