サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

生き残り/千石規子(女優)/90歳

2013年01月10日 | 毎日がメメント・モリ

脇役ひと筋70年・女優の千石規子さん、90歳で死去

スポーツ報知 1月10日(木)7時1分配信

 映画「静かなる決闘」を始め、巨匠・黒澤明監督作品の常連で知られ、ドラマ「Dr.コトー診療所」(フジ系)の助産師役でも親しまれた女優・千石規子(せんごく・のりこ、本名・森礼子=もり・れいこ)さんが昨年12月27日午後3時34分、老衰のため都内の病院で死去していたことが9日、分かった。90歳だった。ムーランルージュの踊り子から始まった約70年にわたる女優人生。脇役一筋に生き、不動の名バイプレーヤーとして活躍した。

 特徴あるカン高く、よくしなる声に優しい目元。晩年は個性的なおばあちゃん役で存在感を発揮した千石さんが昨年末の27日に都内の病院で静かに息を引き取っていた。80歳を超えてからは体力的なこともあり、この7年近く仕事から遠ざかっていた。関係者の話では「苦しむようなこともなく、本当に安らかに」その時を迎えたという。遺志に従い、身内だけの密葬で旅立った。

 舞台から芸能生活を始めたが、東宝入社後は黒澤作品に最も多く出演した女優といわれた。監督の信頼は厚く、40~50年代には「酔いどれ天使」「静かなる決闘」「野良犬」「醜聞(スキャンダル)」「白痴」「七人の侍」「生きものの記録」に出演している。

 中でも「―決闘」では、自暴自棄にしか生られなかった若い女性が、患者の手術で梅毒に感染したかもしれない恐怖を婚約者にも明かせず、一人で闘う医師(三船敏郎)の苦悩を知り、その病院の看護師見習いとして人生をやり直す決心をする難役を好演。黒澤作品になくてはならない存在となり、名脇役の地位を不動のものとした。

 晩年はテレビドラマでも存在感を発揮。ビートたけし原作で自身の幼少時を描いた「たけしくんハイ!」(NHK、1985年)では義太夫の師匠だった主人公の祖母役を、2003年からは「Dr.コトー診療所」(フジ系)で“内ばあ”こと内つる子という名の助産師でレギュラー出演。味わいあるおばあちゃん役で親しまれた。

 1941年に結婚し、娘を出産後は子供を背負って劇団に通った時期もあった千石さん。自分の女優人生について「脇役は一つでも緩もうなら全体がダメになる“四隅のネジ”と同じ」ときっぱり答え、「出演依頼がある限り仕事を続けたい」と、役に信念とプライドを持っていた。

 ◆千石 規子(せんごく・のりこ)本名・森礼子。1922年4月29日、東京都生まれ。3男4女の次女。新宿ムーランルージュで踊り子に。その後、水谷八重子一座、苦楽座、新協劇団を経て47年東宝入りし、映画女優に。同年公開「女優」でスクリーンデビュー。黒澤作品以外でも映画、テレビに活躍。「雲のじゅうたん」「八ツ墓村」「悪魔が来りて笛を吹く」「男はつらいよ・寅次郎紅の花」「3年B組金八先生」など出演作多数。趣味はクラシック音楽の鑑賞。

目黒の五百羅漢寺が好きで、結構行くのだが、ここに徳川夢声がある石碑を建立している。
それは、戦時中に存在した劇団であり、唯一広島原爆の被害にあった職業劇団だった「桜隊」の碑である。
広島の宿舎にいた劇団の9人は即死ないししばらくしてすべて亡くなった。
たまたま何人かが当日に広島におらず、運命を分けることになった。
そのひとりが、出産で広島を離れていた千石規子だった。 
僕は、そんな資料を見ながら、あの千石規子が、と驚いたことを覚えている。

数年前にDVDになっている黒澤明監督の全作品を1ヶ月ぐらいで集中的に見なおしたことがある。
そのとき、もちろん三船敏郎とか千秋実とか志村喬とか仲代達矢とか藤原釜足とか印象深い男優はそれぞれなのだが、女優で一番記憶に残ったのは、千石規子であった。
もちろん、ヒロインではないのだが、黒澤作品にもっとも多く出演したのが千石規子であり、とくに『酔いどれ天使』 や『野良犬』や『生きものの記録』や『静かなる決闘』などの彼女が扮したキャラが忘れられない。

「桜隊」の不運な死を遂げた仲間の女優たちの思いを引き継ぎながら、よくぞバイプレーヤーとしての女優人生をまっとうしてこられた、と思う・・・合掌! 


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