日本の国民的英雄だった伝説的なプロレスラー、力道山の一代記を描いたヒューマンドラマ。主演は『シルミド/SILMIDO』のソル・ギョング。妻役を演じたのは中谷美紀。脇を固める俳優も藤竜也や萩原聖人といった豪華な顔ぶれ。監督は、俳優のような華麗なマスクを持つ『パイラン』のソン・へソン。力道山を演じるため、わずか5か月で30kgもの増量に成功したソル・ギョングは、日本語も猛特訓し、本編では流ちょうな日本語を披露した。日本各地で撮影されたという1950年代から60年代の風景を見事に再現した美しい映像にも要注目。[もっと詳しく]
日本人でも朝鮮人でもなく、力道山は「世界人」でありたかった。
僕が生まれたのは、1953年である。その年、アメリカ帰りの力道山を中心として、日本プロレス協会が立ち上がった。
翌54年、有名な「力道山・木村VSシャープ兄弟」の一戦が、テレビ中継された。新橋などの街頭テレビに群がる人々。記録映像で何度も見ているが、実際、僕が、テレビ観戦で力道山を見たのは、たぶん5歳か、6歳の頃である。
ルー・テーズ、パット・オコナー、ジェス・オルテガ、サン・マルチーノ、ミスター・アトミック、フレッド・ブラッシー・・・最後の対戦記憶は、1963年「四の字固め」で一世を風靡した白マスクのデストロイヤーであっただろうか。
僕は10歳。その頃、本屋の店頭で夢中になって「ゴング」誌を立ち読みしていた。中学校の3年間は、毎月「ゴング」誌を購読し、隅から隅まで、飽きず読んでいたものだ。
赤坂の「ニュー・ラテン・クォーター」で、力道山が刺され、現在では外科医のミスというのが定説になっているが、病院でしばらくして、腹膜炎で死んだというニュースを見聞きし、たぶん僕の中で、「ヒーローというものはあっけなく消えるんだ」といった、儚さのような感覚をはじめて持った、といってもよいかもしれない。
1924年朝鮮半島生まれ。本名金信洛(キム・シンラク)。
長崎県大村市の農家の養子になり、戸籍名は百田光浩。
1940年に初土俵、朝鮮人であることで差別されながらも、関脇にまで上り詰める。しかし、日本人でないことが理由で大関には推挙されず、「俺の運命は俺が決める!」と自ら啖呵を切って、髷をきる。
その後、「西洋相撲」ともいえるプロレスの存在を知り、単身、アメリカに武者修行、大活躍の後日本に凱旋した。
戦後の復興もある程度は進み、また、テレビ放映というマス型社会が出始めた時流にも乗り、空手チョップでバッタバッタと西洋の大男を薙ぎ倒す力道山は、熱狂的に、国民の抑圧されていたナショナリズムに呼応するかたちで、戦後最大のヒーローへと神格化されたのである。
力道山には、ヒーローにふさわしく、虚実とりまぜた数多くの伝説がある。
実際に、当時の「マジソンスクエアガーデン」ともいえる総合娯楽施設「リキ・スポーツパレス」を渋谷に造り上げ、赤坂には「リキ・マンション」をもつ大実業家でもあった。
また、映画にも何本か出演し、浮名も流し、生涯4人の女性と婚姻関係を持ち、子供も5人いるとも6人ともされた。
映画「力道山」では、下っ端力士時代、シルラク(ソル・ギョング)が空襲下で出会った芸子綾(中谷美紀)、その綾の身元引受人でありまた二所の関部屋の横綱東浪関の後見人であり、自分にも後見人として「力道山」の四股名をつけてくれ、プロレス協会の興行のフィクサーともなる菅野武雄(藤竜也)、その菅野の指名で最後まで力道山のマネージャーを続けた吉町(萩原聖人)らが、「力道山」をはらはらしながら、寄り添う物語ともいえる。
「俺は日本人でも、朝鮮人でもない、世界人だ」という力道山。
結局のところ、力道山は、「自分で自分の欲望に歯止めがかけられない男」であるというように、この映画では描かれている。
何度か、彼が、落ち着いて生きることができる「分岐点」はあったのだ。
芸子の綾とこじんまりとした世帯を持ったとき、力士時代に関脇までは上り詰めたとき、東浪関もプロレス転向をし、花を持たせるよう菅野に頼まれたとき・・・でも、いつも、こうした「分岐点」をこの男は、世間を敵に回すような方向を選択してしまうのである。
出自からくる抑圧や劣等感や反発心が、その選択を不可避としているのだろう。
巨額を稼ぎ、時代の寵児となり、持て囃されるその分だけ、逆に、孤独と猜疑心と不安感が自分を蝕むことになる。
いつも、なにかに、追いたてられている。
胸のうちを、いくつかは綾をはじめとする女たちに、いくつかは最後は袂を分かつことになるのだが甘えられた親分の菅野に、あるいは最後までついてきてくれたマネージャーの吉町に、また、朝鮮半島出身のレスラー大木金太郎に、あるいはこの映画では登場しないがプロ野球からスカウトし可愛がったジャイアント馬場に、もしかしたらリンチめいたしごきにあわせたが、結局最後の看病をしてくれたアントニオ猪木に、吐露することはできたのかもしれない。
しかし、多くは、自分で自分の理不尽な感情を、引き受けるしかなかったどうしようもない孤独さが、この男には生涯ついてまわったような気がする。
時代は、プロレス中継がゴールデン放映から、はずされていく頃であった。
ヒーローは、柏鵬や王・長島の時代に移っていく。戦後を引きずった暴力団組長が興行を仕切ることにも、批判が出はじめていた。
だから、1963年のあの出来事は、映画では、酔っ払い暴力をふるう力道山に、ファンであったチンピラ(山本太郎)が逃げようとして思わずナイフを腹部に突き刺してしまう、という「事故」のように描かれている。
何が起こったか、力道山にもわからない。
本当の死因は謎だとしても、運命的に見れば、時代が力道山に引導を渡したのかもしれない、とも思う。「もう、いいじゃないか」と・・・。
日韓合作映画だが、ソン・ヘソン監督は3年をかけて、よくこの映画を粘り強く完成に導いた。
オープンセットは10個以上、力士・芸者を100人集めたシーンもあった。試合会場には1万人のエキストラを調達した。また、現役格闘家の船木誠勝、武藤敬司、故橋本真也らも参加させている。
僕は、この監督の「ラブ・レター/パイラン」という映画が大好きだった。
浅田次郎の原作を韓国を舞台に書き換え、三流ヤクザ(チュ・ミンシク)が偽装結婚のようなかたちで籍を入れたが、薄幸の女(セシリア・チャン)は写真でしか見たことがない男を、待ち続けながら死んでしまう。男は、生まれて初めて、慟哭する。
タルコフスキーを信奉するソン・ヘソンだが、実作品はリアリズムとリリシズムを融合させようとしているようにもみえる。だから「通俗」にも入り込む。
「力道山」を日本語も闊達に使いながら演じたのは、韓国映画界の「若きカリスマ」ソル・ギョンク。
この映画では、5ヶ月で28㎏も体重を増やし、レスラーの体格を造り上げた。
実際の格闘シーンも迫力満点だ。さすがは、韓国映画界のロバート・デ・ニーロと言われるんだな、と納得してしまう。
「ユリョン」「燃ゆる月」「オアシス」「シルミド」どの役作りも、深く、記憶に残っている。
日本人のある一群は、朝鮮半島の高句麗の方から、海を渡ってきている。
力道山=キム・シンラクの祖先も、きっとその一族であり、強靭な王であったかもしれない。
その悠久な歴史時間では、「日本人」でも「朝鮮人」でもなく、むしろ力道山が夢を見ていた「世界人」と呼んだほうが、適切であったのかもしれない。
しかし、力道山が生きた時代は、「日本人」と「朝鮮人」の間の、海溝のような深い深い断層を、埋めることなど出来ない時代であった。
長い歴史の彼方から、DNAに刻まれた記憶が、力道山を呼んでいたのかもしれない。
もっと遠くへ。
もっと自由に。
こんなところで、立ち止まっていては、ダメだよ、
もっと遠くへ。もっと自由に、と・・・。
ソル・ギョング、私も大好きな俳優です。『ペパーミント・キャンディ』はご覧になりましたか?
未見でしたら是非。オススメします。
ではでは。
ははは、そうですね。
「ペパーミント・キャンディ」は、見ています。
10年ぐらい前かな。ソル・ギョングの長編デヴュー作。
あの作品の頃から、韓国映画を、注目するようになってきました。
私はこの映画、結構面白く見ました。
>この監督の「ラブ・レター/パイラン」という映画
私も好きです。原作⇒中井貴一さん主演の日本版⇒パイランという順番で見たのですが、日本版より韓国版の方が、チェ・ミンシクさんが合っていてより面白かったです。
ソル・ギョングさんは、ペパーミントキャンディ、オアシスがとても印象に残っています。
「私にも妻がいたらいいのに」も、結構好きです♪
TBありがとう。こちらからもTBさせて頂きました。
kimionさんのブログを読んでいると、僕と同年代のように感じました。
シャープ兄弟見たのですね。
懐かしさと、あの時代に対する愛情を感じました。
10月に「地下鉄(メトロ)に乗って」が上映されます。僕は必ず観ますが、kimionさんも是非ご覧になってください。
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TBありがとうございます。
主演のソル・ギョングさんの男っぷりと日本語のうまさ、それから何よりも肉体に脱帽です。
たくさんの格闘家とのプロレスシーンは感動しました。
リキパレスやリキマンションは力道山の死後、どのようになったのでしょうか。
kimionさん、おわかりになりますか?
結構脚色がされているとは言え、力道山と言う名前と空手チョップのみしかしらない自分にとっては、力道山の激動の生涯を良く知る事が出来た貴重な作品だったと思います。個人的にこういった実話系の映画は好きなジャンルでもありましたので☆
ソル・ギョングの迫真の演技や日本語の上手さもあって、かなり引き込まれましたね。
kimionさん、 トラックバックありがとうございました。
力道山について、おぼろげにしか覚えていませんが、
詳しく知ることができて、楽しく拝見させていただきました。
あの時代は、父の自転車に乗った時、背中から漂う、父のタバコの匂いがします。懐かしいです。
弊ブログへのトラックバック、ありがとうございました。
こちらからもコメント&トラックバックのお返しを失礼致します。
詳細な記事を興味深く拝見させて頂きました。
僕は力道山さんにリアルタイムで触れていない世代ではありますが、この時代を再現した映画世界と出演者の皆さんの個性的な存在感が大きな見所であったと思います。
また遊びに来させて頂きます。
ではまた。
一発逆転を狙って大芝居に出るシーンですっかり力道山が
大好きになってしまいました。
川で軍歌を一生懸命唄うシーンにホロリ、なんてしていたら
計算の上の行動だったとは・・・。
劇場で観た時、なんとこの私が一番若者なくらい年齢層が高かったのを憶えています。
みなさんリアル力道山をご存知の世代の方たちですね。
原作の短編は好きでね。日本版はもうひとつ。この映画の、セシリアは、本当に、儚げで、いつものだみ声もありませんでしたね(笑)
>ケントさん
シャープ兄弟は、うろ覚えですね。まあ、ミル・マスカラスぐらいまでは、来日レスラーの情報は、全部といっていいぐらい持っていましたね。大半は、いかがわしいレスラーだけど、そこもまた捨てがたい。
>あむろさん
僕は、大学出るまで、東京じゃなかったので、わかりませんね。検索で調べられるんじゃないかな?その当時のリキパレス行ってみたかったなあ!
>メビウスさん
あのプロレスの演技は、半端じゃないですね。知人が、格闘技関係者ですが、素人にみえないと言っていましたよ。
>ダディ・ヤンキーさん
そうですね。僕も小学校に上がる前は、いつも父の自転車の後部にチョコンと乗っていました。途中で、父が知らぬ間に振り落とされたこともしばしば、あったようです。
>たろさん
たぶん、こんなに本格的なスタッフの日韓合同体制で映画が撮られるのは、はじめてかもしれませんね。
>sabunoriさん
力道山は、よく覚えていますね。でも、映画の試合は、もっとあとの時代に開発された技も混ぜていたように思います。自信がありませんが。やっぱり、空手チョップ!クラスでも、いつも、プロレスごっこをしていたからなあ。