佐田岬(さだみさき)の小さな小さな郷(さと)の物語。
私のふるさとは、四国最西端の伊方町平礒(ひらいそ)。
日本一細長い佐田岬半島の先端にある。
地図で見ると、何か遠くを指さしているように見えるが、ふるさとの未来を指さしているようにも感じられる。
世帯数は17戸、人口50人足らずの小さな小さな郷。
そのほとんどは、清見タンゴール、甘夏柑、デコポン、伊予柑などの柑橘農業で暮らしを立てている。
北風吹きつける冬、山は黄金色に色づき、実りの季節となる。
海から空へとつづく段々畑は、海抜200メートル以上にわたり、碧石の石垣に支えられている。
先祖が一つ一つ海岸から背負って運び上げ築いたものだ。
きれいに切りそろえられた暴風垣とあわせ、古代の城郭遺跡のようでさえある。
豊かな太陽、ミネラルを含んだ潮風、適した土によって育まれた柑橘は、
味わう人に命を与える。
「農業という生産のカタチがしっかりとした地域は、地域のカタチもしっかりとしている」
と言われるが、土を愛する平礒の人たちは、まじめで温かく、支え合って生きている。
このふるさとの良さを感じるまでに長い時間がかかった。
自分の中のものさしが、便利か不便かにばかりとらわれていた気がする。
便利さを求めるがあまり、まちがなくした大きなものが3つあると思う。
それは、静けさ・暗闇・人とのつながり。
何もないがゆえに静かな郷は、自然を十分に感じられるし、
自分をみつめる時間をたっぷりと与えてくれる。
街灯が少ない郷の暗い夜は、月や星、蛍の光をより輝かせ、
明るい家族団らんの時をより恋しく思わせる。
誰からも干渉されない生活も楽だが、「どうぞ」というおすそ分けのつながりは温かい。
郷の風景は、30年前と比べてもほとんど変わっていない。
まるで時間が止まったような。
「不便だけれど、変わらないところが良さかもしれない」と思うようになった。
一方で人口は、減り続け、空き家や作り手のいなくなった畑が多くなっており、
未来予想図は、決して明るいものではない。
それは、愛媛県内そして日本国内の多くも同じ状況になっている。
地域人としてもっとできること、やらなければならないことはあるような気がする。
私のふるさとは、四国最西端の伊方町平礒(ひらいそ)。
日本一細長い佐田岬半島の先端にある。
地図で見ると、何か遠くを指さしているように見えるが、ふるさとの未来を指さしているようにも感じられる。
世帯数は17戸、人口50人足らずの小さな小さな郷。
そのほとんどは、清見タンゴール、甘夏柑、デコポン、伊予柑などの柑橘農業で暮らしを立てている。
北風吹きつける冬、山は黄金色に色づき、実りの季節となる。
海から空へとつづく段々畑は、海抜200メートル以上にわたり、碧石の石垣に支えられている。
先祖が一つ一つ海岸から背負って運び上げ築いたものだ。
きれいに切りそろえられた暴風垣とあわせ、古代の城郭遺跡のようでさえある。
豊かな太陽、ミネラルを含んだ潮風、適した土によって育まれた柑橘は、
味わう人に命を与える。
「農業という生産のカタチがしっかりとした地域は、地域のカタチもしっかりとしている」
と言われるが、土を愛する平礒の人たちは、まじめで温かく、支え合って生きている。
このふるさとの良さを感じるまでに長い時間がかかった。
自分の中のものさしが、便利か不便かにばかりとらわれていた気がする。
便利さを求めるがあまり、まちがなくした大きなものが3つあると思う。
それは、静けさ・暗闇・人とのつながり。
何もないがゆえに静かな郷は、自然を十分に感じられるし、
自分をみつめる時間をたっぷりと与えてくれる。
街灯が少ない郷の暗い夜は、月や星、蛍の光をより輝かせ、
明るい家族団らんの時をより恋しく思わせる。
誰からも干渉されない生活も楽だが、「どうぞ」というおすそ分けのつながりは温かい。
郷の風景は、30年前と比べてもほとんど変わっていない。
まるで時間が止まったような。
「不便だけれど、変わらないところが良さかもしれない」と思うようになった。
一方で人口は、減り続け、空き家や作り手のいなくなった畑が多くなっており、
未来予想図は、決して明るいものではない。
それは、愛媛県内そして日本国内の多くも同じ状況になっている。
地域人としてもっとできること、やらなければならないことはあるような気がする。