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喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

(株)リコーの社会貢献 BOPビジネス 1

2011-01-13 | 喜久家の情報
 昨年2月に喜久家のパートナーである
NICE(ナイス)の20周年イベントに参加しました。
 
 喜久家にボランティアを橋わたししてくれているのは、NICEです。

「こんなにも熱い人たちが、これほど集まるのか!」
と思ったほど、衝撃を受けました。
 今までにNICEの活動に関わった人たちの集まりです。

 そんな中に、さらに輝きを放っていた人がいました。
RYOさんです。
 もの静かな雰囲気で、相手の立場を尊重しながらお話をされます。
でもココロには、しっかりとした考えを持っていて、
しかもすごい行動力がある人なのです。

 彼女は現在、日本を代表するリコーで働いています。
 企業の社会貢献は、とても重要になってきていますが、
RYOさんを通じてそれを知ることができましたので紹介します。

 
『喜久家さんは冬は収穫の時期でしょうか?
 私はその後、会社のインド農村プロジェクトに参加し、インドの農業を体験&観察
して参りました。
 農業のお話なので、是非浅野さんにもご報告したいと思い、久しぶりにメールさ
せていただきます。

 まず我が社のインド農村プロジェクト(勝手に命名)とは・・・
 BOP(Base of pyramid)と呼ばれる、所得が低い層を対象にしたビジネスの第一歩として、
インドの農村部をターゲットに、
現地の人と一緒に、その土地の役に立つビジネスアイディアを生んでいこう!というもの。

 このプロジェクトでは、現地の人と同じ目線に立って考えることを目的に、
社員数名が現地に1ヶ月間×数回滞在します。
 私は1st stayメンバーに選ばれ、
昨年の10月~11月の1ヶ月間、インド国内でもネパール国境に近い
ビハール州サウラス村というところに滞在して参りました。
 1/23~、2nd stayにも参加します。

 サウラス村の農作物は、主に 米、麦、オイルシード、香辛料、果物(マン
ゴー、ライチなど)
 特にサウラス村は、マンゴーが特産物で、村の人達はマンゴーのことをとても誇
りに思っていました。

 でも、収穫できるマンゴーの半分の量は、市場にでることもなく、捨てられるこ
とが多いそうです。
 残ったマンゴーは1年かけて自分たちでも食べていますが、それよりもっと多く
のマンゴーが取れているようです。

 その理由は以下のようなものでした。
・市場へのコネクションが少ない(売る先がない)
・加工方法(ドライマンゴー、漬物。ジュースなど)は知っているが、
大量に実施するほどの設備がない
・全てのマンゴーを処理するほどの人手を雇う、お金がない

 マンゴーは硬くて丈夫なので、輸送時の梱包などは楽なようですが、
農村部で市場とのコネクションがないことは大きな課題だそうです。
 浅野さんのところでも、売り切れず、食べきれず、捨ててしまう農作物ってある
のでしょうか?
 喜久家さんのみかんのジュースは本当に美味しくて感動しました。』

 初めて知ることばかり。
平礒にも多く当てはまることです。
 そして最も希望することを
リコーが社会貢献として取り組もうとしているわけです。

 RYOさんからは、もう少しくわしい報告がありますので、
次を見てください。

                     岬人

 

台湾からの便り

2011-01-05 | 喜久家の情報
 昨年の暮れから春までの5ヶ月間、喜久家で活動してくれた台湾のシューから便りが届きました。
紹介します。

『平礒、二名津、三崎のみんなさん、
あけましておめでとうございます。
台湾のジューです。

 メール一年遅れて本当にすみませんでした。
正直言うと、台湾に帰ってきたら、すぐ「ただいま」って手紙を書くべきでしたけど、
あの時はいろいろいそがしくて、気付いたら、もうタイミングを失って、
なんだかなかなか書きづらくなってしまって、本当にすみませんでした。

 みんなさん元気ですか?
わたしとゴはかんばっています。
でも、やっぱりみんなさんのことが懐かしくて、時々思い出したら、
「ああ、やっぱり平礒に戻りたい」
って、ゴとあの頃のことをよく喋っています。

 戻ろうにも戻れないと言う気持ちは今になって痛感しました。
今の人生は毎日ただ前に進めて、ひたすら頑張らなければなりません。
みんなさんも大変頑張っていることはちゃんと分かっているつもりでしたけど、
やっぱり雰囲気が違いますね。

 お父さんと散歩に行ったり、
お母さんと洋海さんの料理を食べたり、
はまちゃんとみかん食べたり、
ただしさんとみほこさんと喋ったり、
みさよさんと孝一さんのイチャイチャシーンみたり、
溜池さんに少林寺拳法を教えてもらったり、
ひげさんや法子さんとちょっとエッチな話したり、
いろんな想い出があって、本当に楽しかったです。
その雰囲気とみんなさんの優しさは一生忘れられないでしょう。

 機会があったら、また行きます。
今度は前回みたいに長くいることができないかもしれませんけど、
それでも、みんなさんの笑顔をみたら、また頑張っていける気がします。

 みんなさん、どうか元気でいてください。
わたしとゴはみんなさんが毎日健康でいられるようにと祈り続けます。

 お父さんとお母さんと長武さんと洋海さんと平礒、二名津、三崎のみんなさん、
五ヶ月の間、本当にありがとうございました。

追伸:
1、みさよさんのところの白石おじいさんとおばあさんへ
 もうけんかしないでください
2、もし誰の名前間違ったら、どうか許してください。
3、ちょっと名前が忘れてしまった人もいますけど、
 それも許してください。
4、文法はかなり変かもしれませんけど、それも許してください……

 許してほしいことがちょっと多すぎるシューより』

 新年早々、本当にうれしい便りです。
写真は、昨年の喜久家新年会の様子。
台湾のシューとゴです。
女性は、喜久家のチアリーダー、愛媛のサッコです。


 

イタリアのエレナからの便り

2010-12-22 | 喜久家の情報
 クリスマスもせまってきました。
今日、とてもうれしいメールがとどきました。
今年の春、3ヶ月喜久家で活動してくれた
イタリア出身のエレナからです。
 
 エレナは、定期的にメールを送ってくれ、
様子を知らせてくれます。
 漢字が打てないパソコンらしく、
ローマ字で打たれていますが、
心のこもったメッセージです。

『 ogenki desuka?Ima ha Itaria no uchi he kaerimashitakedo, atashi no pasokon motteimasen...Dakara, kanji kakenai.Hontouni gomennasai!

Ohenji okureta kara, shitsureishimasu.

Rondon no seikatsu ha isogashiku narimashita.Jikan ga naikara,me-ru mo yoku kakenai.

Itsumo, Hiraiso no jiki ni kangaeru tokini, sugu natsukashiku narimasu!!!Mada kaeritai!!!

Ja-, MERRY CHRISTMAS!!!

Mata renraku surune!

Elena 』

 エレナが生まれたふるさとは、
アルプスのふもとにある山の奥。
 不便らしいですが、とってもすてきなところです。
どこかこちらの田舎ににていますね。

             岬人(はなんちゅう)


大洲青少年交流の家との連携 (ドイツからのお客様) 

2010-12-12 | 喜久家の情報
 10日の夜、ドイツからお客様が来られました。
大洲青少年交流の家から依頼があった事業です。

 日本とドイツの若者が交流して、
「よりよい市民として成長していこう」
本当、国立大洲青少年交流の家は、モデル的な未来を先取りしたような
すばらしい取組をされます。

 南予地方の家々に2泊3日のホームステイも実施し、
日本のことをよりよく知ってもらおうとするものです。

 平礒の我が実家、弟が受け入れを承諾したようですが、
はてさて日本の文化として何を伝えればいいものか?
 この後、京都を見学するみたいだし、お寺や神社という面では、
その時に感じてもらえばいいし。

 話し合いの末、
「日本の田舎の生活文化や食文化を感じてもらう」
のがいいだろうということになりました。
 平礒は、石垣の郷。
 平礒の集落や段々畑に積み上げられた、まるで西洋の要塞や城のような石垣を見て、
先人たちが積み上げた苦労と思いを感じてもらう。

 平礒は、みかんの郷。
産業は、みかん農業一筋。
 ドイツの若者と一緒にみかん作業しながら、日本のみかん農業を感じてもらう。
ドイツの大規模なぶどう栽培とは違う、小規模な、でも丹精こめて作るみかん農業。
それを感じてもらおう。
そして収穫したみかんをその場で食べてもらおう。
これが、平礒の代表的な食文化と考えました。
このあたり独特の「つわぶき」を使った料理もありますし。

 ちょうど喜久家には、韓国とフランスの若者がワークキャンプをしてくれているので、
若者同士のすばらしい交流もできるだろうと考えました。
 
「便利ではない、少しの不自由」
 今の時代、そう感じる体験をすることがとっても大切です。
それが、未来への持続可能な生活スタイルだと思います。
 そう考えると、平礒で農作業をしながら、地域の農家さんや他国の若者とふれあうことは、
とてもスペシャルな体験ができると思いました。
 
 ドイツの若者の成長を願っています。

                       岬人

 

 

韓国のボー、ふりかえる

2010-12-02 | 喜久家の情報
 今日昼過ぎ、ボーは旅立ちました。
「行ってらっしゃい!」
「行ってきます!」
 これは別れではなく、再会を約束しての言葉。

 昨夜の送別会でボーに聞いてみました。
「日本の印象は?」

「私は、半年間埼玉の大学に留学していました。
その時は、日本人とあまり話しませんでした。
何か冷たい感じがしていました。
 でも、平礒はちがっていました。
喜久家での生活も楽しかったし、
平礒のみなさんは、よく話しかけてくれました。
とってもやさしくて、本当楽しかったです。
 作業で体がきつい時もあったけど、
頭はいつもさわやかでした。」

 私たち受け入れ側は、何がしてあげれたのだろうか?
といつも問い直すのですが、
こんな感想をもらえると、本当うれしくなります。

「また、いつでも帰っておいで。」
そうつぶやきました。

 写真は、ボーとみんなの人気者恒(つね)さんです。

            岬人(はなんちゅう)

韓国のボー

2010-12-01 | 喜久家の情報
 今夜は、韓国のボランティア、ボーの送別会

 3ヶ月、郷づくりにがんばってくれました

 日本、田舎、平磯喜久家はとてもすばらしいと言われました

また、帰って来たいとも

 写真は、橋本さん。

口ぐせは、「ばっかやろー」

ボーは、とっても好きでした。

平礒の裏側 南米パラグアイより(続き)

2010-11-15 | 喜久家の情報
 地球の裏側パラグアイで、
青年海外協力隊員として活躍されている、
もと喜久家ボランティア市前寛子さんからのメッセージの続きです。


『私はパラグアイ南部の日系移住地ピラポに住んでいます。
ここは、8箇所ある国内の移住地の中でも
日本気質が、色濃く残っています。
 NHKも見られるし、インターネットも見られて日本の状況はリアルタイムで把握できますが、
昔の日本がそのまま存在しているところと言われています。
 おやつには手つくりのかりんとうが出てきます。

 私の仕事で言うと、
高齢者のほとんどの人が家族と同居していて年相応の体の不調や物忘れはあるけど、
自分のペースで元気に生活しています。

 家族それぞれ事情はあれど、
家族が面倒をみるのは当たり前とい考えの人が多いところです。
 130人くらいいる70歳以上の高齢者に対して、
50歳以上の主婦のおばちゃんたちがボランティアグループを結成してデイサービスをしたり、
家庭訪問をしています。
 私は、そのおばちゃんたちにデイサービスの運営の仕方や介護に必要なことの情報提供しながら、
一緒に活動しています。

 移住地の人たちは、助け合いながら生きてきたので絆がとても強いです。
私は、どっちかっていたら都会育ちなので横のつながりを知らないで育ちました。
 
 平磯も、年齢が違っても意見を言い合って、1つ1つのことを決めていたことを見ていたので、
こっちにきて戸惑うことも多かったけど、
毎日が勉強になることばかりです。
 正直、自分の無力さに落ち込んだり、
地元の人たちが理解してくれなかったら怒れることが多々ありますが、
最近、私は高齢者福祉活動を通して町づくりをしているなと感じてます。
 全然程遠いですが。

 高齢者をいきいきさせることで、
若い人たちが将来のことを考えてくれるようなイベントを開催してみたいなと思うようになりました。

 平磯にいたのはたった3ヶ月でしたが、
まちづくりや人と繋がるということを考えるきっかけになりました。
 そして、いまは本格的に勉強してみたいと思っています。

 この長文のなかで伝えたっかたのは、
このきっかけを作ってくれた平磯に行って本当によかったということです。

 そして、アンちゃんと知り合えたことも。

 来年の6月に日本に帰国します。
帰ったら、平磯に行きたいと思っています。
その時にたくさん話が出来たらなと楽しみにしてます。
 突然の長文読んで下さってありがとうございました。

 それでは、みなさまによろしくお伝えください。
くれぐれもお体にご留意下さいませ。

 平磯の裏側 パラグアイより 市前寛子』


 感激です。
 私たち平礒の人たちは、また喜久家の仲間は、
いつも心のどこかに、
「来てくれた若者たちに何か残してあげれたものはあるだろうか?」
と自問自答しています。

 私たちの不安や悩みをよそに、
若者たちは、多くのことを感じとってくれているのかもしれません。
 それが、岬の宝物なのでしょう。

 寛子ちゃんの帰国を楽しみに待っています。

「reaching home」

                 岬人(はなんちゅう)  



平礒の裏側 南米パラグアイより

2010-11-15 | 喜久家の情報
 喜久家には、さまざまな若者が
国内外から来てくれます。
 そして、とびっきりの経験をして、
また旅だって行くのです。

 ツバメのように、またいつか帰って来てくれることを
願いながら見送ります。

 そんな中、喜久家を旅だって行った一人の女性から
メールが届きました。

 その人の名は、市前寛子さん。
まるで女優のような名前。
 もの静かですが、芯の強い心を持った女性でした。
高校卒業後、希望だった介護の仕事をしてきました。
そんな中、もう一つの夢がしだいに大きくなっていきます。
 それは、「青年海外協力隊」

「今だからできる経験をしておきたい。」
そんな強い想いで、長年勤めた職場も辞め、
青年海外協力隊実現への経験を積むために、喜久家プロジェクトに参加してくれたのです。

 
 では、そんな寛子ちゃんからのメッセージをどうぞ。

『こんにちは。

 ご無沙汰しています。
パラグアイにいる市前寛子です。
浅野家の皆様、平磯の皆様、お元気ですか?
覚えてくださっていたら嬉しいです。

 少し前に、インターネットを見ていたら、
喜久家のブログを見つけてみてたら1年ぶりに
アンちゃんからメールが来てびっくりしました。
それから、時々のぞかせてもらっています。

 早いもので、こっちに来てから1年3ヶ月が過ぎました。
南米に1年以上いると、
 さすがに日焼けしてこっちの人らしくなってきたなと言われてます。
日系移住地にいるので、ちっともスペイン語は話せませんが・・・。

 W杯で日本と対戦したので、
パラグアイの知名度が上がったと聞きました。
 
 日系移住地でみたサッカーは、めったに出来ない経験が出来ました。
パラグアイはサッカーが国技なので、
当日日本のユニホーム(偽物)を来て歩くと身の危険を感じました。』


 続く

喜久家プロジェクト 新たなメンバー

2010-11-07 | 喜久家の情報
 11月に入り、喜久家に新たなメンバーが加わりました。
そこで、ささやかではありましたが、歓迎会を。

 新しいメンバーは、
 左:ソ・プルム (韓国の大学生)
 ご存じのように韓国の教育熱は、日本をはるかにこえていて、
高校生は、とにかく勉強勉強の毎日。
名のある大学に入学することが、名のある会社に就職することにつながり、
人生の成功の一つと考えられているようです。
 まるで、かつての日本のような。
したがって、喜久家に来てくれる韓国の若者たちは、ほとんど英語も得意で、
賢いのです。
 あわせて、伝統的な儒教思想も残っており、
礼儀や目上の人に対する気配りなどもしっかりとできています。
そんな若者たちなので、韓国人に対するイメージは、とってもよいのです。

 プルムは、大学生になり、他の人と同様、休学をとり、
アルバイトをしてお金をため、初めての海外体験として、
喜久家プロジェクトの郷づくりボランティアを選んでくれたのです。
 とても活動的で、自分の人生を多くの出会いと体験により、
前向きにしていきたいという思いが強いようです。
 本当、すばらしい。

 写真の左から2番目は、フランスの大学生、マツハラ・マリエ。
上品で、知的な女性。
おばあちゃんは、大阪に住んでいます。
両親は、フランスのマルセイユにいて、お父さんは領事館に勤めています。
 
 3番目は、韓国の大学生、クォン・ボキョン。
立正大学の留学が終わり、日本のさまざまなことを知りたいと喜久家に来てくれました。
 
 右端は、フランスの社会人、リオンデル・フィリップ。
とっても日本が好きで、何度もワークキャンプに参加しています。
好奇心旺盛な男性。
ふるさとは、あの世界遺産の街リヨン。

 こんなさまざまな個性を持った若者たちが、
毎日みかん作業と喜久家での共同生活を通して、
平礒に元気な風を吹かせてくれています。

 13日(土)は、
大洲青少年交流の家で開かれる、
地域教育実践交流集会で喜久家プロジェクトのことをプレゼンテーションします。

 まだ、申し込みはOKなので、興味ある方はぜひ参加してください。
問い合わせは、大洲青少年交流の家です。

                     岬人                       



牛鬼と四ツ太鼓の勝負

2010-10-11 | 喜久家の情報
 祭りを盛り上げようということで、
二名津でも牛鬼と四ツ太鼓の勝負をしています。

 二名津は、地域のまとまりがとてもよいところ。
 ごんべクラブというおっちゃん連中が牛鬼をかつぎ、
祭り振興会というあんちゃん連中が四ツ太鼓をかつぎ勝負。

 私も今年は、娘たちが四ツ太鼓に乗っていたので、
四ツ太鼓をかつぎました。
これが人数足らずで、重いのなんの。
肩に、くっきりとあざが遺りました。

 押し合いの勝負は、3回とも四ツ太鼓の勝ちとなりました。

 寂しくなった田舎の祭りも、
地域の人たちのやる気で何とかふんばっています。
 祭りの日も変更され、
よそに出た人たちが帰りやすいようにということで、
10月の第2日曜となっています。

 来年は、ふるさとの祭りに帰ってみませんか。

 追伸
 四ツ太鼓の真下でかついでくれている人は、
(マリンブルーのシャツを着て、サングラスをかけている人)
ただ今。喜久家で活動してくれているフランスリヨン出身の
「フィリップ」です。
地域にとけこんで元気を与えてくれています
                岬人

若者・よそ者・ばか者の力

2010-10-07 | 喜久家の情報
 一昨日、スナック銀河での写真です。
昨夜もロビンは、平礒のお世話になった人と飲み・語ったようです。

 そして、今朝高知に向かって出発しました。
そこには、かつて喜久家で一緒に生活し、がんばった仲間がいるからです。
その人は、夏ちゃんこと板夏美さん。

 本当にすばらしいつながりです。
喜久家をとおして、ネットワークが広がっているのですから。

 地域づくりを進めるうえで、
その原動力となるものとして
「若者・よそ者・ばか者の力」
があります。

 ○ 情熱と行動力あふれる若者の力
 ○ ちがった視点で考えられるよそ者の力
 ○ 個性豊かで、1つのことに打ちこめるばか者の力

 そんな力を持った人たちが、
喜久家には日本、そして世界から集まって来てくれるのです。

 つながるって楽しい。
こんな時代だからこそ、よけいにそう思います。
何ものにもかえがたい宝物。

 みなさん、つながりを広げ・深めていきませんか。
いつでも佐田岬半島、平礒の喜久家にいらしてください。
お待ちしています。

                 岬人

ロビンと飲み・語る

2010-10-06 | 喜久家の情報
 ロビンと韓国のボー
そして新たに来てくれたフランスのフィリップとマリ
といっしょに飲み・語りました。

 店は、千鳥。
 おばちゃんも毎回のことなので、
ずいぶんあたたかいおもてなしをしてくれました。

 話は、とても盛り上がり、
この後、スナック銀河へ。

 三崎の夜は、新しい風が吹きながら、
ふけていきました。

             岬人

パク・ロビンが帰ってきた

2010-10-06 | 喜久家の情報
 2年前の春、韓国からパク・ロビンが、
3ヶ月間活動してくれました。

 そのロビンが、何と仕事休みを利用して、
再び帰って来てくれたのです。

 このように、再び帰って来てくれるということは、
このうえなくうれしいことです。

 ロビンもたいへんなつかしそうに、
2年前をふりかえっていました。

 こんなつながりが、これからも多くの人たちと
続けていければ幸せです。

        
               岬人

海外から若者がどんどん集まる

2010-09-29 | 喜久家の情報
 喜久家の秋は、にぎやかになっています。
これからの予定として、

  9/13~12/2   韓国女性
 10/4 ~12/23  フランス女性
 10/7 ~12/23  フランス男性
11/1 ~ 1/20  韓国女性 
11/1 ~ 1/20  韓国女性

 10/3 ~10/10  韓国男性 (ロビン) 
               (2年前の経験者、就職して休暇旅行)

 海外からの若者たちも
日本の若者たちと交流することを望んでいます。
もちろん、かつて若者だった人とも。

 希望のある方は、ぜひお月見会でもしましょう。

                           岬人 
 
 

 


喜久家の新しい訪問者

2010-09-27 | 喜久家の情報
 喜久家には、さまざまな人たちが出入りします。

 超田舎でありながら、国内外の若者たちが絶えることはありません。

 先日、喜久家入りした韓国のボーちゃん(写真右)に、
会いに来てくれたのが、りえさん(写真左)。
 
 りえさんは、大佐田出身で現在は、アメリカのロサンゼルスに住んでいます。
今、里帰りしていて、28日には出発します。
 
 上品であり、ふるさとが大好きな女性。
 ふるさとを遠く離れ、そのすばらしさにどんどん気づき、
「海外へ旅行に行くくらいなら、日本の田舎に帰りたい。」
という思いを持たれています。

 こんなにも佐田岬を愛してくれているのは、本当にうれしいものです。
海外から違った視点で、元気な地域づくりのアドバイスをもらえそうです。

 二人は、別れるときは、さびしそうでしたが、
「必ずロサンゼルスの私の家に来てね。」
という再会の約束に、うれしそうでもありました。
きっと、二人は今度ロサンゼルスで再会するような気がします。

 喜久家は、
「世界をつなぐ家」
「人をつなぐ家」
になっています。

                    岬人