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喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

喜久家の夜

2012-03-06 | 喜久家の情報
 喜久家国際ワークキャンプ5日目。
毎日、いろんな出会いがある。



 今日は、かつてのOBフランスのトニーが久しぶりに帰ってきてくれた。
あわせて、相棒だった橋本さん。



 ヤスの知り合いの愛媛大学の学生さんが2人。



 そして、かつてのOG韓国のヘミとアイルランド出身の彼、伊方国際交流員のドラゴ。
 総勢16人の宴となった。



 日本人の方が少ないのだから驚きだ。
向かい合わせて、日本語・英語・韓国語・フランス語などさまざまな言語が飛びかう。
とても四国最西端の人口50人の郷とは思えない様子だった。



 これがとっても楽しい。

 何か新しいものが生まれそうな気がする。



 

本日、「なんよ協働推進フォーラム」

2012-03-04 | 喜久家の情報
 昨年の暮れ、日頃お世話になっている八幡浜ボランティア協会の木村さんから電話があった。
「なんよ協働推進フォーラムで喜久家プロジェクトのことを発表してもらえませんか。」
 くわしく聞いていると、愛媛県ボランティア・市民活動センター、八幡浜市社会福祉協議会、八幡浜ボランティア協議会
が主催する大きなフォーラム。
 
 南予の未来をつくるために、世代や分野をこえて共に地域を考え、課題に取り組もう。
地域を見つめ直し、ネットワークの発展と誰もが安心して暮らせるまちづくりをしていこう、
というすばらしい目的。
  タイトルは、「絆と結! ~ちからを紡ぐまちづくり~」
 
 喜久家プロジェクトは、まだまだ不十分なところが多く迷ったが、
さらなる発展のきっかけになればと思い引き受けた。

 今日、そのフォーラムがJAにしうわ会館で10:30から開かれる。

 このフォーラムの目的やタイトルを聞いたとき、中島みゆきの「糸」という歌を思い描いた。

『なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない
どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない

なぜ 生きてゆくのかを 迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って ころんだ日の跡の ささくれ
こんな糸が なんになるの 心許(もと)なくて ふるえてた風の中
縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に 出逢えることを
人は仕合わせとよびます』

 仕合わせとは、「めぐり合わせ」という意味。
いいめぐり合わせ、悪いめぐり合わせ、そんなすべてのめぐり合わせのなかで
いいめぐり合わせだけを幸せと呼ぶようだ。

 今日のフォーラムが幸せと思える仕合わせになりますように。

喜久家国際ワークキャンプ2012 歓迎会

2012-03-03 | 喜久家の情報


 昨日、集まった喜久家国際ワークキャンプメンバーは、
今日はオリエンテーションや明日八幡浜で開かれる「なんよ協働推進フォーラム」の
展示物制作などをして過ごしたようです。

 夜7時からは、受け入れ農家さんたちとの歓迎会がありました。
大佐田から木野本さん、二名津から村市君、そして浅野たかみつ君家族も交流のために来てくれました。
わが家も子どもたち3人があいさつに行き、1時間ほど世界のあちらこちらのお話を聞かせてもらっていました。



 今回の6人も本当にすばらしいメンバーです。
みんな日本語があいさつ程度はできるので、コミュニケーションもとりやすいようです。

 今日からの作業の割りふりや、楽しみ・気をつけることなどを
農家さんと話していました。
 今日は、久しぶりの良い天気。
佐田岬の空は青く晴れています。



 

喜久家国際ワークキャンプのスタート

2012-03-02 | 喜久家の情報
 いよいよ今日から「喜久家国際ワークキャンプ」が始まりました。
3人の女性が、昼過ぎ2:30に神崎バス停に到着。
弟が迎えに行き、大まかに喜久家のことや国際ワークキャンプのことについて
話をしたようです。

 韓国の女性が一緒ではなかったのですが、
夜8:30着のバスで無事到着したようです。

 みなさんにあいさつに行かなければならないと思っていたのですが、
仕事が立てこんでいて、結局夜11時前に長くならないようあいさつに行きました。

 握手をしながら簡単な自己紹介をしましたが、
相手からもさわやかなあいさつが帰ってきました。
とっても落ちついていて、美人な女性ばかりです。

 そんな彼女たちに、四国の果てまで来ていただいただけで、
ありがたく、胸いっぱいになります。

 3月10日(土)に交流会のお知らせを昨日のブログでしたところ、
今朝早速、私がたよりにしている双海町の松本さんから返信がありました。
「双海町に来ている地域おこし協力隊員といっしょに、
交流会に参加したい。」ということでした。
 その反応の早さにビックリしています。
このネットワークとフットワークこそ、社会教育にとって大切なことです。

 自分の飲食したいものを持ちより行う交流会なので、
気づかいはいりません。
 希望される方は、声をかけてください。



平礒の消防団

2011-11-01 | 喜久家の情報
 今日は、月に1度の消防点検の日。
万が一に備え、万全な消防活動をするために、
さまざまな道具の点検をしている。

 もちろん終了後は、懇談会。
その懇談会に、ただ今喜久家に来ているちーやんが招かれました。



 ちーやんは、この春3月に喜久家国際ワークキャンプのリーダーを務めた女子大生。
昨日から1週間喜久家入りしています。
 春の国際ワークキャンプでやり残したことがあるということで、
帰ってきてくれました。
その純粋さと感性にとっても魅力を感じます。

 夜8時過ぎに消防詰め所に行きましたが、
すでに盛り上がりは絶好調。
あちらこちらで実にいろいろな話がされ、でもときおりみんなが1つの話題に入りこみ
考えを交わします。
 実におおらかで、前向きな雰囲気。
すてきな人たちの集まりです。

 さすがのちーやんもビックリしたでしょうが、
こんなコミュニティーを知ったことは、この後大きな影響を与えると思います。
言いたいことが言い合える。
でもあったかい。



 ぜひ、喜久家を訪れる多くの若者たちに感じてほしいと心から思いました。
なくしてはいけないものが、まさにここにあります。

なつかしの東京大学自転車部 

2011-09-22 | 喜久家の情報


 あれからもう4年が経つ。
 国立大洲青少年交流の家で勤務していた時に
東京大学自転車部6人のみなさんが宿泊された。
退所の時、「今日はどこに行きますか?」
と訪ねると、
「佐田岬灯台をめざします。」
との返事。

「それはいいですね。私のふるさとです。
どちらに泊まりますか?」
と訪ねると、
「野宿します。」
とのこと。

 その日は天気が崩れる予報。
灯台は風も強く、たいへんになると思い、
「よかったら、うちの郷に泊まりませんか?
空き家を利用したボランティアハウスがあるんです。
そして今、アメリカ出身のエバンという若者が一人で住んでいます。」
と声をかけてみた。

 みなさんは、きょとんとした表情をしていた。
都会の人にとってみれば、それはそうかもしれない。
 何の縁もない人にいきなりそんなことを言われても
何かかんぐりたくなる。
 そこで「喜久家プロジェクト」のことを説明し、
よくわかってもらえた。

 その場は別れ、彼らは佐田岬灯台をめざし、
私は、勤務に就いた。
 そして夕方に平礒で再会することを約束した。
予定の時間よりも遅くなり、真っ暗になったころ
ライトを照らした自転車集団が平礒に入ってきた。
 喜久家に上がり、大鍋でカレーライスを作り、みんなで食べた。
エバンも含め大いに盛り上がった。

 その後、リーダーの松尾君とは年賀状のやりとりが今でも続いており、
中田君とも先日フェイスブックでつながった。
 そしてもう一人、郷づくりの話で一番盛り上がった安藤君とは、
その後も彼の活動を教えてもらったり、
喜久家プロジェクトの様子を伝えたりなど
つながりが続いていた。

 その安藤君から連絡があり、
平礒に再び来たいということだった。

 すばらしい縁だ。

             岬人(はなんちゅう)





































































































































































































































































































































































































































































































































  

Facebook Kikuya 喜久家

2011-09-10 | 喜久家の情報
 

 フェイスブックに喜久家グループを立ち上げた。
 台湾出身のモニカことHui-Ling Cheng に協力してもらい。

 以前から実現したいと思っていたことだ。
国内外からたくさんの仲間が平礒に来てくれて、そしてまた旅だって行く。
せっかくできたこのつながりを大切にしたいと思った。
季節ごとの平礒喜久家の様子も伝えたい。

 思い出してもらえれば幸せ。
そしてまた帰ってきてくれたら、これほどうれしいことはない。

 汗と涙をともにした仲間たち。
僕はこの仲間をずっと大切にしていきたい。

 喜久家グループを立ち上げるやいなや
次々とコメントが入ってきた。
なつかしいお久しぶりの仲間もいた。

 さまざまなカラーを持った仲間の元気と知恵をもらいながら、
郷づくりを進めていきたい。
 
 

喜久家ボランティアとの再会

2011-08-18 | 喜久家の情報
3年4ヶ月前、喜久家ボランティアとして3ヶ月間活動してくれたイギリスのレイスンが旅立った。 あれが別れとなるのか、それとも。 何と、再び帰ってきてくれたのだ。 久しぶりの再会に本人も私も平磯の人たちも感激。 本当にすごいことだ。 そして何よりもうれしいことだ。 田舎は、私たちが思っている以上にすばらしい魅力がいっぱいなのかもしれない。

里帰り1 ~平礒喜久家へ~

2011-07-27 | 喜久家の情報
 2008年が明けた頃、アメリカニューヨークで生まれ、育ち、
イギリスへ引っ越したレイセン・ブラウから連絡がありました。

『お元気ですか。ご家族のみんなさんもお元気ですか。

 自分はとても元気ですよ。今イギリスに家族に会いに帰ってきました。
うれしいです。

 そのあとは、8月に日本へ行こうと思っています。
それになったら、ひらいその方へ行ってもいいですか。

 みなさんに本当に会いたいです。
久しぶりです。

 では、レイセン』

 彼は、体格は大きくなかったのですが、
本当によく働いてくれました。
そして、人の話をじっくりと聞けるやさしさがありました。

 平礒の人たちからも大人気でした。
こんなふうに、かつて活動してくれた人が再び里帰りしてくれることは
本当にうれしいことです。

 小さな小さな田舎から
世界が広がっています。


青年海外協力隊員 市前寛子さん帰国

2011-07-12 | 喜久家の情報
 先日、かつて喜久家ボランティアとして活動してくれた
市前寛子さんからメールがありました。
 市前さんは、青年海外協力隊員として、パラグアイに派遣され、
高齢者介護の活動に取り組んでいました。
 
『こんにちは。ご無沙汰しています。
猛暑が続いていますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか?

 報告が遅くなりましたが、6月21日に日本に帰国しました。
ちなみに、多分レディガガと同じ飛行機でした(笑)。

 2年ぶりの日本は、震災の影響もあり変わったいう印象がありました。
しこたま日本食を食べて、今も若干の時差ぼけと格闘しながら次の生活の準備をしています。

 2年間のお土産話を持って、平磯に行こうと思っています。
2年ちょっとぶりの平磯で皆さんにお会いできることを楽しみしています。          
                              市前寛子』

 とってもうれしいメールでした。

 さあ、平礒の盆踊りあたりに帰ってきてくれたらうれしいです。

 

 オーストラリアからの喜久家ボランティア

2011-07-02 | 喜久家の情報


 6月上旬から3週間、喜久家には、オーストラリア女性が活動してくれました。
名前は、Narini Phadtare(ナリニ ファッタレ)。
なっちゃんと呼んでいました。

 彼女は、シドニー生まれで名古屋に交換留学経験があります。
社会人になってからは、JALシドニー支社で勤務していました。
日本が大好きで、日本で働きたいと考え、来日し就職活動をしています。
 その合間に、日本でのボランティア活動にも興味を持ち、
喜久家を選んでくれました。

 とても日本語が上手で、私の父と母とさまざまな話をしたようです。
両親は、「なっちゃんは、かしこい。かしこい。」と絶賛していました。

 なっちゃん曰く、
「この佐田岬半島には、とってもすばらしいポテンシャルがある。
これは、魅力的なことで、外国人が知ったら多くの外国人が来ると思います。
オーストラリアと平礒喜久家は、互いの魅力を認めながら、
深めていけたらいいですね。」
と言われました。

 夢が広がります。

 今までに国内の若者はもちろん、
韓国・台湾・香港・タイ、中国、フランス、イタリア、ギリシア、ドイツ、イギリス、エストニア、メキシコ、
そしてオーストラリアの合計13の国や地域から平礒に来てくれています。
 これは、超田舎の平礒とそれぞれの出身地域にとって
歴史的にすごいことでだと思っています。

 50年後、私たちが亡くなってもそこには、
「50年前、オーストラリアから一人の女性が平礒に来た」
という歴史的事実が残されるわけですから。

 今のすべてが過去の歴史となっていきます。

 写真右端は、台湾からのボランティア「チェン」です。

喜久家プロジェクト ~ドイツのジェナイとの再会~

2011-06-04 | 喜久家の情報


 3年ぶりの再会です。

 積もる話が、山ほどありました。

 新居に寄ってもらったので、家の話をしました。
 ドイツでは、石造り(れんが造り)の家が多く、
築100年を超えるような家は、法律により保存されるしくみができているようです。
壁などが厚く、自然にとけこむ作りとなっているので、光熱費も少なくて済むとか。

 それに比べ日本では、一部で古民家再生という取組はあるものの、
ほとんどは古くなったら建てかえるという消費型になっています。

 私のふるさと平礒では、まだまだリサイクル型社会が残っており、
家はリフォームして長く住まうことが多いです。

 日本の木造の家は、
香りが良くとてもすばらしいとほめてもらいました。

 このような話が、止まることなく盛りあがり、夜はふけていきました。

 本当になつかしい。

 そして今度は私がドイツに行くことを約束してお別れをしました。
夢は広がります。

           岬人

ドイツのジェナイ

2011-06-02 | 喜久家の情報
 3年前、3ヶ月間喜久家ボランティアとして活動してくれたドイツのジェナイ。

 彼女が昨日から喜久家に来てくれています。
 昨夜は、消防団の集まりに参加し、そのままスナック「ゆり」に行ったようです。
考一あんちゃん、恒吉あんちゃん、吉三郎あんちゃんと。

 本当にすばらしいつながりです。
今夜は、僕も会いに行きます。

               岬人

浅野農園のオンラインショップ

2011-04-21 | 喜久家の情報
 ロサンゼルス在住のRieさんが実家、平礒浅野農園のオンラインショップを作ってくれました。

 この喜久家ブログのブックマークにのせましたので、
ぜひそのすてきなできばえを見てください。

 トップに次のような言葉が書かれています。

『浅野農園のオンラインショップへようこそ
 
 この度はご訪問くださりありがとうございます。
 浅野農園は、四国の愛媛県西宇和郡伊方町を囲む
三方海に挟まれた場所に位置しています。
 みかんの栽培に特に適している温暖で無湿地帯の気候が、
この地方で採れる柑橘の美味しさの秘密です。

 太陽と海と山と風が作り出す自然のおいしさをみなさまにお届けしながら、
地球にやさしい農園をめざして一同今後とも努力してまいります。』


『愛媛みかんに自然の恵みを一杯詰め込んで産地直送いたしております。

 浅野農園自慢の柑橘は、
すべて有機肥料を中心に、
減農薬に努め、除草剤無使用、安全で美味しい最高の品質が自慢です。

 香り豊な季節の恵みを是非ご賞味ください。』

 
 このすてきな言葉に、
カメラマンであるRieさんの撮った写真が載せられています。

 ぜひ、ご覧ください。
 
 ちなみにこれは宣伝ではありません。
Rieさんのここまでしてくれる気持ちがうれしくて紹介します。

 そしてこの浅野農園オンラインショップは、
新たな展開を生み出しました。
 それについては、また明日。

                  岬人

パラグアイからの便り 

2011-04-20 | 喜久家の情報
 3年前、喜久家ボランティアとして3ヶ月間活動してくれた市前寛子さん。
寛子ちゃんの夢は、青年海外協力隊員。
それをめざし、ボランティア経験を積むために来てくれました。
いわば、背水の陣。

 ひかえめで、でも芯が強く、働き者でした。
 休みの日には、わざわざ三崎デイサービスセンターに行き、
お年寄りとのふれあいを大切にしてくれました。

 そんな寛子ちゃんが、喜久家にいる期間中についに夢かなったのです。
そして南米パラグアイへ3年間旅立ちました。

 たまにメールのやりとりをしながら、
私も見知らぬ異国の地に思いをはせました。
 
 2ヶ月ほど前始めたフェイスブック。
 そこには、喜久家の仲間たちも多く登録し、
芋づるのように仲間をさがすこともできるのです。
 寛子ちゃんも私とのフェイスブックを通して、
連絡がとぎれていた韓国のアン・ジヨンとつながったようです。
お互いとても喜んでいました。

 パラグアイの市前寛子ちゃんからの便りを紹介します。

『おはようございます。私も元気です。

 平礒の桜が懐かしいです。来年まで見るのはお預けですね。
 おかげで、アンちゃんと連絡を取り合えるようになりました。

 パラグアイ生活が、本当に残り2ヶ月となりました。
平磯でみなさんに会えるのがたのしみです。』

 帰国したら、平礒、喜久家に来てくれるとのこと。
うれしいです。
喜久家は、世界とつながっています。

                  岬人