何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

西宮神社-(1) (西宮)

2024年03月21日 | 寺社巡り-兵庫

【兵庫・西宮市】創建時期は不明。 社伝では、神戸・和田岬の沖に出現した蛭児神の御神像を西宮・鳴尾の漁師が引き上げ自宅で祀っていたが、御神託により自宅から西方の地の西宮に宮居を建て、御神像を遷して祀ったのが起源と伝える。
戎(えびす)の名は平安時代後期の文献に記載されていて、古社廣田神社の境外摂社の「浜の南宮」(又は「南宮社」)内に鎮座していたえびす大神は、漁業の神として信仰されていた。 南宮社が現在の西宮神社で、全国に約3,500あるえびす神社の総本山。 主祭神は西宮大神(蛭子命)で、他に天照大御神、大国主大神、須佐之男大神の三柱を祀る。

★阪神電鉄本線「西宮駅」の南口をでて”えびっさん筋”を少し南下すると、古い土塀に挟まれた鮮やかな朱塗りの門の前に着く。 社号標石と石造り明神鳥居を構えた門は赤門と呼ばれる表大門で、この門が毎年1月10日に開催される有名なイベント「福男選び」のスタート地点だ。
門前右手にお酒の神様を祀る梅宮神社が鎮座しているが、以前は御神木を祀っていたようだ。 朱塗りの表大門は安土桃山末期の創建で、その佇まいは威厳に満ちている。 表大門は江戸初期の火災やその後の戦火や震災を逃れた唯一の遺構。

△「えぺっさん筋」に面して立つ社号標石と石造明神鳥居

△明神鳥居を通して眺めた梅宮神社と石燈籠

△大棟に外削ぎの千木と2つの堅魚木を乗せた梅宮神社....石燈籠は神社側が享保十一年(1726)、道路側(右)が寛政十一年(1799)の造立

△赤門前の大練塀を背にして鎮座する梅宮神社....ご祭神はお酒の神様の酒解神

△切妻造本瓦葺の表大門(重文)....安土桃山末期の慶長九年(1604)、豊臣秀頼により再建(伝)で「赤門」と呼ばれる

△威厳が漂う四脚門の表大門....本殿が焼失した承応三年(1654)の火災、以降も戦火や震災に遭ったが逃れ、慶応年間からの遺構を伝えている

△二軒繁垂木、拝の懸魚は変形の蕪懸魚で降懸魚は蕪懸魚/板扉1枚の大きさは3.7mx2.4mで、重さは250kg(推)....出八双金具や乳金具そして釘隠が施されている

△本柱を渡した桁に4つの紙垂を下げた注連縄が張られている

△表大門は毎年1月10日早朝に『福男選び』が行われる『開門神事』で有名

★表大門をくぐると松などが茂る境内が広がり、広い参道の脇に石燈籠が整然と建ち並んでいる。 左手に参道に沿って長く延びている土塀は瓦葺の築地塀で、日本最古のもので「大練塀」と呼ばれる。 参道を進むと、左手に大練塀に挟まれたように高麗門造りの南門が建つ。 南門から一旦外に出、「ゑびす宮」の扁額が掲げられた南門と東西に延びる大練塀とを眺めてから境内に....。

△赤門から眺めた玉砂利が敷かれた松林が広がる境内....中世には現境内が浜辺近くの廣田神社の浜南宮だったことを偲ばせる景色

△西宮神社境内の東側と西側を囲んでいる築地塀は日本最古のもので「大練塀」と呼ばれる

△表大門を入った参道左手の基壇に建つ二基の石燈籠....明治期の造立とみられ、基壇上に瑞垣が設けられている

△壇上積のような基壇に建つ二基の石燈籠....前の石燈籠と異なり、蕨手のある笠、火袋に火口と円窓、中台に格狭間と連弁、節がある竿、基礎に反花と格狭間

△北向きで鎮座する流造銅板葺の兒社

△兒社は廣田神社の境外摂社・南宮神社の末社で、南宮の若宮として祀られた(伝)/一間四方で正面は引き違いの格子戸

△境内の参道から眺めた南門....南門の先に国道43号線が高架橋と共に見える

△国道43号線に面して建つ南門....門前の石燈籠は手前が大正四年(1915)造立、門傍は明治九年(1876)の造立

△切妻造本瓦葺の南門

△本瓦葺の大練塀の間に建つ南門....冠木門風の本柱上に屋根を乗せた造り

△一軒重垂木、「ゑびす宮」の扁額が掲げられている

△南門は高麗問の造りで、本柱の上の切妻屋根に直角に本柱と控柱間に切妻屋根がある/扉に乳金具と入八双金具が施されている

△南門前からみた南側の大練塀



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