【兵庫・加西市】謎の法道仙人は、飛鳥時代(6~7世紀)頃に天竺から中国・朝鮮半島を経由して日本に渡ってきたとされる。 法道仙人伝説の始まりは法華山一乗寺とされ、播磨国一帯の山岳には法道仙人を開山・開基と伝える数多くの勅願寺を含む所縁の寺が存在する。 法道仙人の存在や開基伝承の真偽は不明だが、寺院が存続していくために霊力あらたかな人物を開山者とした由緒ある縁起が必要だったために創出されたことも考えられる。
★賽の河原から石段の無い東側の緩やかな参道を下って放生池に向かう。 樹林の中の参道を進むと、柵と鮮やかな青紅葉に囲まれた放生池が現れ、中島に東面で弁天堂が鎮座している。 放生池の周りには石造仏龕が建ち並び、多くの石仏が弁天様を見守るように鎮座している。
△奥の院への石段のない参道(女坂?)の樹林の中に造営された放生池
△放生池の周囲の参道に立ち並ぶ石造り仏龕に鎮座する石仏群(坂東三十三観音か?)
△放生池の中島に東面で鎮座する弁天堂
△流造銅板葺の弁天堂....向拝下に浜床、側縁の奥に板張りの脇障子がある
★放生池がある境内に面して石造りの明神鳥居が建つ。 鳥居には上部が破損した額が掲げられているが、「見子〇〇」の下二文字はハッキリしない。 少し複雑な字に見えるので「見子神社」だと思うが....。 鬱蒼と茂る木々の間に緩やかな石段の参道が延びていて、奥に社殿が見える。 古びた石段を上り詰めると樹林の中に社殿が建ち、拝殿に「見子大神」の扁額が掛かっている。 一乗寺管理の神社なのか分からないが、一乗寺を訪れた参詣者があまり来るような雰囲気ではない気がした。
境内入口の前の道を挟んだ向かい側に一乗寺が管理する無料休憩所があり、帰りのバスを待つ間番茶をご馳走になった。
△放生池傍の見子大明神の社への参道入口に建つ石造り明神鳥居....文化三年(1806)の造立で、額束に上部が破損した「見子〇〇」の額....少し奥に朱塗りの明神鳥居がある
△参道途中に建つ苔生した笠の石灯籠と注連柱(と思う)
△緩やかな石段の上に西面で鎮座する見子大明神の社殿
△入母屋造本瓦葺の拝殿....中央の虹梁の上に「見子大神」の扁額
△正面三間,側面二間の拝殿は細めの柱で吹き放しの造り....一軒繁垂木で組物は出三ツ斗
△拝殿の大棟端に鬼瓦、拝は蕪懸魚、妻飾は狐格子....狐格子は桃山以降の新式
△本殿の正面は二間で左右に格子の引き違い戸(と思う)
△本瓦葺の本殿の屋根は前方が入母屋造りで、後方は切妻造り
△南側から見た社殿全景....本殿は基壇の上に建つ
△社頭の石燈籠は天保十五年(1844)の造立、石柱は玉垣修全記念柱で大正二年(1913)の造立/手水鉢は明治十三年(1924)の造立
△放生池南側の広い境内に建つ太子堂と四阿
△聖徳太子を祀る太子堂と向かって右手に石造物が鎮座
△露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の太子堂....まだ新しいので昭和期頃の建立ではと思う
△基壇の上の石造物は宝篋印塔、五輪塔そして箱型や唐破風付きの墓石
△入母屋造桟瓦葺の桁三間の横長の四阿
△境内入口の前の道を挟んだ向かい側に建つ無料休憩所
△休憩所の中ではお茶のサービスが....
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