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【兵庫・西宮市】古社廣田神社の境外摂社南宮社の名残として、「南宮神社」が現在でも西宮神社の境内に鎮座する。 鎌倉時代の弘安十年(1287)、時宗の開祖一遍上人が西宮大明神を参詣した。 安土桃山時代の天正六年(1578)、織田信長に反旗を翻した武将・荒木村重の乱の戦火で社殿を消失した。 安土桃山末期の慶長八年(1603)、豊臣秀吉の次男秀頼により慶長九年~十四年(1604~1609)に本殿、拝殿などが再建され、同年九年(1604)に表大門が再建された。 承応二年(1653)に社殿を焼失したが、寛文三年(1663)、徳川第4代将軍家綱によって本殿が再建された。 また、西宮神社は全国に頒布していたえびす神の神像札(神札)の版権を江戸幕府から得て隆盛した。
★南門をくぐると直ぐ左手の大練塀の傍にあらえびす神社と呼ばれる沖恵美酒神社が東面で鎮座している。 参道を進み社殿側に折れると直ぐ左手に廣田神社の境外摂社の南宮神社が鎮座している。 南宮神社から注連柱と鳥居が建つ切石敷の参道が真っすぐ延びているが、社殿はまだ見えない。 参道を少し進むと左脇に木々に囲まれて六英堂が建ち、門傍に「明治天皇御聖蹟」と彫られた標石が立つ。 六英堂は都内にあった明治の元勲・岩倉具視の私邸が移築されたもので、岩倉病臥中、明治天皇行幸の際に使われた部屋があったようだ。 参道を跨ぐ明神鳥居の傍の左手に神馬舎があり、やさしい顔の神馬が参詣者を迎えている。
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△南門傍の大練塀脇に鎮座する境内末社の沖恵美酒神社(あらえびす神社)....明治五年(1872)この地に遷座、ご祭神は沖恵美酒大神
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△切妻造銅板葺の拝殿と大棟に外削ぎの千木と5本の堅魚木を乗せた流造銅板葺の本殿
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△妻入の拝殿は一軒繁垂木で組物は舟肘木、拝は猪ノ目懸魚で妻飾は豕扠首....扉は腰高格子戸/本殿は一間四方で、柱は丸柱、向拝柱は面取角柱
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△正面は飾金具を施した扉と両側に小脇羽目板....正面と両側面に組高欄付き縁、側面縁奥に格子状板張の脇障子
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△南宮神社前の竿が角柱の石燈籠は明治三十七年(1904)の造立
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△北面で鎮座する南宮神社....西宮神社の境内にあるが廣田神社の境外摂社....切妻造銅板葺の大きな拝殿は吹き放しの造りで、「廣田神社摂社 南宮神社」の扁額が掛かる
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△南宮神社前の赤い前掛けをした狛犬は弘化二年(1845)の造立/阿形の狛犬は顔面の鼻と口の部分が破損している
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△拝殿を通して眺めた本殿....正面は中央と左右小脇羽目の3カ所に飾金具を施した扉を配している
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△本殿は一間四方で柱は丸柱、向拝柱は面取角柱....正面と両側面に組高欄付き縁、側面縁奥に格子状板張の脇障子
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△明治七年(1874)造立の注連柱....社殿に続く切石敷の参道の両側に明治期造立の石燈籠が建ち並ぶ
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△注連柱傍の参道から眺めた南宮神社と朱塗りの表大門が建つ境内....ここから南宮神社の本殿大棟に乗る外削ぎの千木と5本の堅魚木が見える
★神馬舎の傍から参道に沿って大きな神楽所が建つが、現代風の造りで全面ガラス張りだ。 参道を挟んで向かい側に二基の「青銅神馬の賛碑」と手水舎がある。 手水舎の後方に、域内守護の神を祀る庭津火神社が鎮座するが、拝殿(拝所?)があるだけだ。 見ると裏に周囲に注連縄が張られた塚状の封土がある。 真っすぐな参道を抜けると広い境内が広がり、左奥に社殿、右手に平成再建の社務所が建つ。 社務所の斜め向かいの池の端にある建物に、慶長十五年(1610)に豊臣秀吉の次男秀頼が奉納した「御戎之鐘」.が保存されている。
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△注連柱から社殿への参道途中の左手にある六英堂...東京丸の内にあった明治の元勲・岩倉具視公の私邸の離れが昭和五十一年(1976)に移築されたもののようだ
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△六英堂の切妻造銅板葺の棟門式の門/六英堂前の植栽傍に立つ「明治天皇御聖蹟」と彫られた標石....明治十六年(1883)、岩倉公が病臥中、明治天皇行幸の際の部屋があった(伝)
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△神楽所の南側に建つ入母屋造産瓦葺で妻入の神馬舎/参詣者を迎える白い神馬
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△注連柱の先の切石敷参道の途中に南面で建つ明神鳥居....二ノ鳥居で確か鉄製だったか?
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△切石敷参道に沿って建つ切妻造銅板葺の神楽所
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△手水舎傍の参道脇に建つ2つの青銅神馬の賛碑....神馬は拝殿前に鎮座....左は明治三十二年(1899)建立、右は大正三年(1914)建立
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△参道を挟んで神楽所に対面して建つ切妻造銅板葺の手水舎
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△手水舎の後方に鎮座する切妻造銅板葺の庭津火神社
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△庭津火神社は社殿が無く拝殿(拝所?)のみ,....拝所正面の菱格子窓の前に供えられた沢山の御幣/拝殿の奥の塚状の封土を祭祀の対象とした神社....域内守護の神として祭神奥津彦神・奥津比女神を祀る
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△社殿に向かって右手に建ち並ぶ社務所と西宮神社会館(奥)....社務所は阪神・淡路大震災で倒壊、平成十年(1998)に再建
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△社務所の斜め向かいの池の端に建つ御堂に「御戎之鐘」が保存されている....切妻造銅板葺きで起り屋根、側面全面に菱格子が施されているに....
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△梵鐘は慶長十五年(1610)、豊臣秀吉の長男秀頼による奉納/梵鐘に刻まれた「慶長拾五年三月八日」の銘
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