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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

法性寺-(2) (逗子)

2022年05月07日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・逗子市】法難を逃れた日蓮聖人は、これを山王権現の加護によるものとし、弟子の日朗や朗慶たちに此の地に一寺を建てての報恩を託した。 日蓮聖人の志を継いだのは日朗上人(日蓮六老僧の一人)と朗慶上人だが、日朗上人は元応二年(1320)に入寂、翌年の元亨元年(1321)、朗慶上人によって法性寺が建立された。
南北朝時代の貞和元年(興国六年/1345)に勅命で、京都に移転。江戸時代の延宝三年(1675)そして元禄四年(1691)の2度の火災に遭ったが、元禄六年(1693)に現在地へ移転した。

●左手に岩肌の崖が迫る芝生境内の奥に、奥之院の本堂である祖師堂が建つ。 祖師堂の直ぐ左手の岩崖に、「松葉ヶ谷法難」の際に日蓮聖人が避難したとされる岩窟(法窟)がある。 岩窟は観音開きの腰高格子戸で塞がれているが、格子の間から中を覗くと日蓮聖人供養塔の五輪塔が安置されている。 各輪に「妙法蓮華経」の一字が刻まれているようだが、笠石の火輪の「蓮」しか確認できない。

△奥之院の境内....祖師堂、日朗菩薩御廟所、日蓮の法岩そして山王大権現がある....案内板に「池上本門寺・比企谷妙本寺両山の奥之院と称す」とある

△日朗菩薩御廟所越しに眺めた奥之院本堂の祖師堂

△入母屋造桟瓦葺の祖師堂....大正十三年(1924)の再建で、身舎に銅板葺の庇(裳腰)を設けている

△祖師堂には法華経勧持品第13を読経する等身大の日蓮聖人坐像を安置

△「両山奥之院」の扁額が掛かる向拝....水引虹梁上の龍、木鼻の獅子と象の彫刻いずれも素晴らしい

△正面の中央間は腰高格子戸、脇間は舞良戸....正面に擬宝珠高欄付き切目縁/床下の亀腹

△祖師堂に向かって左側の岩山の崖に日蓮避難の岩窟(法窟)がある

△観音開きの腰高格子戸の中が日蓮避難の岩窟(法窟)....「松葉ヶ谷法難」の際に日蓮が避難した場所/岩窟内に安置された日蓮聖人供養塔の五輪塔....各輪に題目が刻まれているようだがよく見えない(笠石は「蓮」のようだ)

●祖師堂の手前左に「山王大権現」の額が掲げられた石造り明神鳥居が立ち、直ぐ奥に急峻な石段がある。 石段を上っていくと、裏山の山頂に山王権現を祀る祠と五重層塔の多宝塔が鎮座している。 唐破風を設けた石造りの小さな祠から両手で笏を持つ山王権現石像が顔をだし、法性寺を静かに見守っている。 山頂からの景色は素晴らしく、逗子の街並みが遠望できる。

△「山王大権現」の額が掛かる石造明神鳥居....右手に朗慶上人の石碑が立つ.....鳥居の奥に裏山への急峻な石段がある

△「山王大権現」と彫られた明神鳥居の額/亀甲積基壇の上に立つ「開山越中阿闍梨朗慶上人」と刻まれた石碑

△裏山の山頂から望む逗子の街の遠景....手前の屋根は左祖師堂、右は日朗菩薩御廟所

△裏山の頂上に鎮座する法性寺鎮守の山王権現祠と多宝塔

△四脚を備えた形態の多宝塔(五重層塔)....基壇に刻まれた説明では「万世を貫ぬき永遠不磨の妙法の宝果を具現したもの」とある/初層の周囲に擬宝珠高欄、全ての笠の軒下に垂木を設けている....各層の軸部の四方は菱狭間になっている

△多宝塔と並んで鎮座する山王権現を祀る祠

唐破風を設けた石造り山王権現の祠/祠の中に鎮座する笏を持つ権現様石像

△奥之院にある墓所....手前の五輪塔が朗慶聖人墓碑(と思う)

△住持の墓碑は一般に無縫塔が多いが、法性寺では五輪塔


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