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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

安国寺 (国東)

2016年02月13日 | 寺社巡り-大分

【大分・国東市】室町時代の応永元年(1394)、国東郷地頭で飯塚城主であった大友一族の田原氏能が将軍足利義満の命を受け、名僧・絶海中津国師を開山に迎えて創建した。 創建後、約190年の間隆盛を続け、往時は七堂伽藍を誇り28の末寺を有する規模の寺院だった。 臨済宗妙心寺派に属する禅刹で、本尊は釈迦如来像。
安土桃山時代の天正八年(1580)に田原氏が大友宗鱗に滅ぼされ、それにより田原氏の守護寺であった安国寺が大友氏の焼き打ちに遭って荒廃。 安国寺は灰燼の中から自力で再建したが、江戸時代になっても外護を得られないまま細々と法灯を守り続け、明治維新を迎えた。
明治39年(1906)、後藤宗旭師が代30世住持として入山、荒れ寺だった安国寺の再興を志し、法友の華山寺の住持・釈宜純師の協力を得て再建の基を築いた。 寺宝である「足利尊氏公坐像」、「延命地蔵尊」、「尊氏公分骨の供養塔」は、廃仏毀釈のあおりで廃寺となっていた華山寺に保管されたものを明治40年に譲渡されたもの。
安国寺は、臨済宗の高僧・夢窓疎石国師の勧めにより、足利尊氏が後醍醐天皇の追善供養と国家安寧を祈願し、全国(一国一寺)六十八ヶ所に建立した寺で、豊後の安国寺は最後の68番目に建立された。

山門前に着くと、両脇に石造りの仁王像を配した萱葺の鐘楼門が佇んでいる。 約230年の風雪に耐え、萱葺屋根の素朴で古びた姿は、まるで「日本昔ばなし」にでてくるようで、趣があって印象に残る。
仁王像に合掌し、鐘楼門をくぐって境内に....眼前に城壁のような石垣が迫り、石段途中の左右のひな壇のようなところに地蔵尊像ほか小さな石造物が鎮座し、参拝者を迎えてくれる。
石段を上り詰めると、正面に本堂が鎮座し、本堂に連なって右手に玄関と庫裡が建つ。 庫裡前に建つ収蔵庫に「焼け仏」が鎮座....天正年間の戦火で焼け残った仏師運慶作の一木造り仁王像で、焼けて黒ずんだ痛々しいお姿だ。 境内の西側には枯山水のような庭園が広がり、園脇に地蔵堂や石仏・宝塔などの石造物が佇んでいる。

入母屋造萱葺の山門(鐘楼門)..天明四年(1784)再建
 
風情を感じさせる古びた鐘楼門..鐘楼の窓から梵鐘の龍頭・上帯・乳の一部が見える

山門の両脇に鎮座する丸彫りの仁王像(江戸時代の造立)
  
威風堂々と鎮座する仁王像..お寺を守護する意気込みを感じさせるお顔だ/山門の内側から眺めた門前

山門から眺めた境内、中段には石造物が鎮座、上段は堂宇境内で本堂の一部がみえる

境内石段途中の左右に鎮座する地蔵尊像..左の地蔵尊像と石造物群

境内石段途中の右手の地蔵尊像

入母屋造本瓦葺の本堂..昭和十二年(1937)建立で台湾の桧材を使用..擬宝珠高欄ある切目縁を設置

本堂に釈迦三尊像(釈迦牟尼如来、文殊菩薩、普賢菩薩)を安置
  
本堂右手に玄関と庫裡が連なって建つ/本堂前に置かれた手水鉢か/本堂前に鎮座する子育地蔵尊像..奥は切妻造桟桟瓦葺の鐘楼

本堂右手に建つ玄関と切妻造本瓦葺妻入りの庫裡..地元の檀信徒による建立
 
庫裡前に建つ収蔵庫..寺宝、掛け軸などを収蔵/焼け仏..鎌倉中期の仏師運慶作の一木造りの仁王像で、安国寺が天正年間の戦火で焼けた際に焼け残ったもの

本堂前から眺めた草葺きの山門

境内の西側に広がる庭園

庭園内から眺めた境内

境内に置かれた浴槽の形をした石風呂..失念したが内側に地蔵尊が刻まれている
 
露盤宝珠を乗せた宝形造桟瓦葺の地蔵堂(昭和六十三年建立)/鎌倉時代惠信僧都作の延命地蔵尊が祀られている

宝塔(国東塔?)越しに眺めた枯山水(?)の庭園
  
宝塔越しに眺めた地蔵堂/昭和五十七年建立の新しい宝(国東塔?)..塔身に「佛心」の刻/右手に錫杖,左手に宝珠を持つ小菊地蔵像

宗旭和尚座禅像..明治三十九年(1906)、荒廃した安国寺を再興した

山門の対面に鎮座する石造物群
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