【東京都・日野市】江戸時代には門末36寺を従えた関灯屈指の大寺院となり、関東11檀林・火防の不動尊として広く庶民の信仰を集めた。 安永八年(1779)に火災に遭って大日堂、大師堂、庫裡、客殿をはじめ奥院伽藍を一挙に焼失したが、その後、歴代住持の尽力によって徐々に復興。
昭和五十年以降、五重塔、大日堂、鐘楼、宝輪閣、奥殿等の改築工事が続き、更に近年大師堂、聖天堂も再建され、往時を凌ぐ寺観を呈している。
五重塔拝観後、不動堂の後方に建つ奥殿に....殿内に鎮座する2童子を従えた大きな不動明王坐像をガラス越しに参拝。 不動明王像の忿怒の形相は凄い迫力....その鋭い眼光は心を見透かしているようだ。
奥殿から大日堂に向かう参道の脇に「文永の板碑」がひっそりと立つ....供養塔らしい。
透かし彫り装飾や連子窓を設けた木造袖塀がある山門をくぐって大日堂の境内に....不動堂の賑わいとは違って参拝者が少なく、聳え立つ木々に抱かれるような境内は静寂に包まれている。
大日堂前の木の傍に置かれたベンチに腰をおろし、持参したコーヒーを飲みながらゆったりと古刹の雰囲気を味わった。
奥殿..本尊の不動明王坐像と脇侍の矜羯羅童子と制叱迦童子像(いずれも平安時代造立)を安置
奥殿の鬼瓦と縣魚/不動明王坐像..平安時代造立で像高3m、総重量千kg超の寄木造り..古来から日本一の不動三尊と称される
上杉憲顕の墳..切妻造銅板葺で妻面に大きな庇を設けた屋根
上杉憲顕墳前の左側に鎮座する不動明王像/堂内に鎮座する地蔵菩薩立像/右側に鎮座する子育地蔵尊坐像
文永の板碑..鎌倉時代文永八年(1271)建立、高さ23.5mで市内最大、文字は磨滅しているが梵字は阿弥陀如来の種子
山門..彫り物装飾と連子窓のある袖塀を有す
袖塀と虹梁の彫り物装飾が素晴らしい
山門の右手に建つ境内鎮守の五部権現社..室町時代暦応三年(1340)創建で八幡社に稲荷、丹生、高野、清龍権現を合祀/丹五部権現社の傍に佇む花塚
山門から眺めた高幡山の総本堂・大日堂..入母屋造本瓦葺
大日如来像を安置する大日堂..創建時のお堂は江戸時代安永八年(1777)の火災で焼失
寛政九年(1797)に仮本堂が建てられ、昭和六十二年(1987)根本修正し、鎌倉様式にて復原完了
落ち着いた雰囲気の大日堂の向拝/金銅八角燈灯籠か? 擬宝珠高欄がある縁に下がる梵鐘
大日堂の境内の松の傍に佇む石燈籠/大玄関 大玄関前にある水琴窟
大日堂から墓所への参道に佇む六地蔵尊像
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