【広島・尾道市】平安時代の延喜元年(901)、菅原道真が藤原時平の中傷により左遷されて京から大宰府へ流される途中に立ち寄った尾道で民衆から親切にされたことに感謝し、着物の袖を破って渡したことに由来。
延喜3年(903)に道真が死去、その後の延久年間(1069~1074)に天神坊の境内に「御袖の御影」と称して袖を祀る祠を建立、「御袖」を祀る事から「御袖天満宮」と称された。 その後、天神坊は大山寺となり、明治維新の神仏分離まで別当寺として御袖天満宮を管掌し、大山寺はいまも境内に隣接している。
菅原道真が腰を下ろして休んだという岩を見て少し感動した後、参道の石段を上って行くと両側に阿吽の武官姿の随身像が置かれた神門(随身門)に着く。 神門はまさに仁王門と同じで、金剛力士像が阿吽の武官姿の随身像に置き換わっているだけだ。 更に石段を上って社殿の境内に....正面に荘厳な拝殿、右手に天神さんのお使いの牛の像(臥牛)と白太夫社が鎮座。
本殿以外の4つの建物「拝殿、旧拝殿、神門、お堂(?)」の屋根に瓦が使われていて意外だったが、神仏習合の名残か。
石段下の福善寺前に立つ社号と「菅公腰掛け岩」の石標/道真が休憩した「菅公腰掛岩」..左の石碑は江戸時代天保5年(1834)建立
参道の55段の石段..55段目を除いて約5mの一枚石で造られている/参道にある地蔵堂
参道石段の途中に立つ明神鳥居..額束に屋根付きの大きな「天満宮」の額が掛る
参道石段脇の石燈籠越しに眺めた神門(随身門)
切妻造本瓦葺で八脚門の神門..享保元年(1716)建立
神門の両側に阿吽の武官姿の随身像が置かれている
神門から眺めた石段と拝殿向拝の屋根
入母屋造本瓦葺で平入の拝殿(明治38年再建)
拝殿の向拝は大きな切妻屋根..大棟の両側に鯱鉾が乗る
宝形造本瓦葺のお堂? 菅公の従者を祀る白太夫社 天神さんのお使いの石の臥牛「さすり牛」
石の臥牛越しに眺めた拝殿
本殿は入母屋造銅板葺(昭和55年再建)..大棟に外削ぎの千木と堅魚木5本が乗る
入母屋造本瓦葺の旧拝殿(現在は社務所)
旧拝殿の屋根の大棟の両端に鯱鉾が乗っている
本殿の左側にある達筆祈願の石筆の石造物
手水舎