何気ない風景とひとり言

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日本民家園-(2) (川崎)

2017年05月07日 | 史跡探訪-日本編

【神奈川・川崎市】川崎市立日本民家園の敷地面積は約3万m2で、5つのエリアに東日本の古民家、水車小屋・船頭小屋・高倉・歌舞伎舞台など25棟の文化財建造物が保存されている。
文化財は「国重文」「県重文」「市重歴」「国重民」で、日本民家園にはそれぞれ次の棟数がある。
*国重文(国指定重要文化財): 7棟  *市重歴(市指定重要歴史記念物)    : 7棟
*県重文(県指定重要文化財):10棟  *国重民(国指定重要有形民俗文化財): 1棟

『水車小屋』から5棟の古民家がある「信越の村」に進むと、東妻の屋根がかぶと造りになっている農家(名主の家)の『旧佐々木家住宅』の庭に着く。 緑に囲まれた広い庭から、4棟の合掌造の古民家が一度に眺められ、その光景は壮観だ。
『旧佐々木家住宅』の入口の傍に何故か開放的な小便所があり、少し違和感を感じた。 庭に古井戸があり、建物の周りに石祠・石塔・道祖神が点在している。
『旧佐々木家住宅』の西側にある農家(組頭の家)の『旧江向家住宅』は、屋根の茅がまるで波を打っているかのようだ。 中を覗くと囲炉裏の上にシッカリした造りの火棚が吊り下げられている。
3つ目は『旧山田家住宅』(農家)で、片側妻面の一階部分の壁に竹が密に張られているが、この住宅は雪国の富山県からの移築なので、多分、雪囲いを施した状態なのだと思う。 土間から座敷の奥を見ると、仏間に大きな金ピカの仏壇が納められている。 建物の左手に合掌造茅葺の外便所があるが、屋根の骨組みは現地の物を再用して再現されたもの。
4つ目は農家(組頭の家)の『旧野原家住宅』で、広間に二つの囲炉裏があるが、火棚を吊るした一つに火を入れての床上公開を行っていた。 また、土間には「渡し籠」が展示されているが、明治初めまで越中五箇山の庄川筋で実際に使用されていたもので、谷から谷へ人を乗せて渡す光景が浮かんでくる。
最後は入口に手洗石が置かれた『旧山下家住宅』(農家)。 元々は平入だが移築で妻入りに....正面には石置き板葺の庇が設けられている。 この建物はそば処(食事処)になっているので、外観だけ見学して次の「関東の村」に向かった。

■旧佐々木家住宅(国重文)-農家(名主の家)■ 寄棟造茅葺(一重、一部中二階)、平入で正面に石置き板葺の庇付..享保十六年(1731)建築..旧所在地は長野県南佐久郡
  
見え難いが東妻は屋根が「かぶと造」、中二階の窓がある/石置き板葺の南面庇..格子窓の部屋は風呂場/入り口近くに設けられた小便所
  
庭にある切妻造竹葺の古井戸/住宅後方に鎮座する稲荷伸石祠..旧所在地は長野県南佐久郡/敷地内に鎮座する石祠(稲荷社)..旧所在地は長野県南佐久郡
  
敷地内に佇む2基の五輪塔と屋敷神石塔..石塔は宝永三年(1706)造立..旧所在地は長野県南佐久郡/旧佐々木家住宅傍の園内道脇に佇む道祖神..享和元年(1801)造立..旧所在地は群馬県沼田市

旧佐々木家住宅の西側と南側に建つ合掌造りの旧江向家住宅と旧山田家住宅

■旧江向家住宅(国重文)-農家(組頭の家)■ 切妻造(合掌造)茅葺(一重三階)で妻入..18世紀初期建築..旧所在地は富山県南砺市
  
妻入りの正面は茅葺の庇を付け入母屋造風/屋根の傾斜部に設けられた窓(煙出しかもしれない)
  
囲炉裏の上に吊られた火棚(防火と物の乾燥に)/手前の台所の流し場に石の水舟、奥に石臼と茶箪笥/はた織機

旧山田家住宅越しに眺めた旧江向家住宅

■旧山田家住宅(県重文)-農家■ 切妻造(合掌造)茅葺(一重三階)..18世紀初期建築..旧所在地は富山県南砺市
 
仏間に置かれた大きな金ピカの仏壇               外から水を導いた流しの水舟
 
片側妻面の一階部分の壁に張った竹は雪囲いを施した状態だと思う/切妻造(合掌造)茅葺の外便所(再現したもので屋根の骨組みは現地の物を再用)

外便所の規模や住宅との位置関係は現地にあった時と同じ

■旧野原家住宅(県重文)-農家(組頭の家)■ 切妻造(合掌造)茅葺(一重三階)で各面に庇付..18世紀後期建築..旧所在地は富山県南砺市
  
根元の曲がった材を使用したチョウナ梁..囲炉裏の上に吊られた火棚(防火と物の乾燥に)..囲炉裏に火を入れて床上公開中/谷から谷へと人を渡す「渡し籠」..越中五箇山の庄川筋に明治初めまで使用/左側妻面の庇は半分だけで、この部分に仏間がある

旧野原家住宅の正面

■旧山下家住宅(県重文)-農家■ 切妻造(合掌造)茅葺(一重三階)で妻入り..19世紀前期建築..旧所在地は岐阜県大野郡
 
旧佐々木家住宅から眺めた旧山下家住宅の後面/正面は石置き板葺の庇付..典型的な白川系合掌造

一重四階のように見える..二・三階の広い空間で養蚕が行われた、現在はレストランなので外観のみ見学
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