【千葉・南房総市】室町時代の文明十九年(1487)の災禍後、当地を支配していた領主丸氏の生まれで比叡山の学頭宗覚法印の弟子・宗海が、丸氏の援助を受け、永正十年(1513)に堂塔を再建した。 室町時代末期、当寺で養育された足利頼氏の幼名石堂丸にちなんで「石堂寺」に改称された。
北条氏と足利・里見連合軍が戦った国府台の戦(天正七年(1579))以後、足利氏の子弟を養育するため里見氏から1千石の寄進を受け、寺域が整備された。 本尊は十一面観世音菩薩立像で、創建以来、安房の霊場として隆盛を極めた南房総で最古の寺院。
本堂に向かって左手に開けた空間があり、周りに閻魔堂、山王堂、袴腰の鐘楼堂などが並んで建つ。
約500年前の安土桃山時代に建立された山王堂はしっかりとした造りの覆屋の中に厳かに鎮座している。 鮮やかな朱塗りの閻魔堂の前に青銅製の重厚な宝篋印塔が立つが、見事な造りだ。 江戸時代建立の鐘楼堂の屋根と擬宝珠高欄の回縁を支える緻密な組物の見事さに関心しながら、境内東側の高台に建つ薬師堂に向かう。
急峻な石段を登り詰めると、静謐な空気が満ちた狭い境内に、古色蒼然とした茅葺の薬師堂がひっそりと佇んでいる。 薬師堂の前に佇むと、安土桃山時代の息吹が聞こえてくるかのようだ。 堂内には今もなお建立当時の釿削りの床がそのまま残っているそうだが、後で知ったので見られなかった(非公開かな?)。 本堂前で風になびく「大河ドラマに里見氏を」の幟を眺めながらお寺を後にした。
本堂の西側の境内には閻魔堂・山王堂・鐘楼堂などが鎮座
入母屋造銅板葺の閻魔堂(三十三観音堂)
閻魔堂の前に立つ宝塔の宝篋印塔/青銅製の宝篋印塔..天保十二年(1841)鋳造
袴腰(羽目)のある立派な鐘楼堂と覆屋に鎮座する山王堂
三間社流れ造りの山王堂..安土桃山時代建立
山王堂には比叡山の鎮守の日吉山王を祀る
山王堂と閻魔堂の間に鎮座する御社 切妻造銅板葺で朱塗りの手水舎
入母屋造銅板葺の鐘楼堂..江戸時代天明三年(1783)建立(市指定有形文化財)
屋根と擬宝珠高欄の回縁を支える見事な組物..梵鐘は元弘元年(1331)初鋳/袴腰(下部の羽目)
境内東側の高台に建つ薬師堂/境内に鎮座する円光を背にした地蔵尊像..左手に錫杖は珍しいかも
寄棟造茅葺の薬師堂..安土桃山様式の仏堂建物
薬師堂は安土桃山時代天正三年(1575)建立..今もなお釿削りの床が残る
薬師堂内には薬師如来と毘沙門天を祀っている
薬師堂が建つ高台から眺めた境内の堂塔
本堂の右後方に立つ地蔵堂..台座に「白寿地蔵菩薩尊」の刻そして「南無延命地蔵菩薩」の幟が立つ
寺務所と庫裏
寺務所..多宝塔の下層左右脇間にあった波の彫刻「波の伊八」を保管
寄棟造三瓦葺の庫裏..向拝のような玄関がある
本堂右後方にある放生池..右の高台に薬師堂がある
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