
【千葉・船橋市】平安時代の天喜年間(1053~1058)、武将・源頼義と長子の義家が社殿を修復した。 平安後期の仁平年間(1151~1154)には、船橋六郷の地に院司から寄付の院宣を賜り、源義家の玄孫で源頼朝の父である源義朝がこれを奉じて再建した。 鎌倉時代、日蓮宗の開祖・日蓮聖人が宗旨の興隆発展成就の断食祈願を意冨比神社にて修め、曼荼羅本尊と剣とを奉納した。
◆神門を出て、社殿の左側に建ち並ぶ境内社に向かう。 裏参道に立つ神明鳥居までの間に、6棟22の境内社が意冨比神社を向いて鎮座している。 境内社22社の中で最も興味を引いたのは神輿奉安殿で、殿内に2基の神輿(本町八坂神社の神輿と湊町八剱神社の神輿)が安置され、いずれの神輿にも常に祭神・須佐之男命が鎮まっていて神輿そのものが神社となっていて珍しい。 また、その右隣の金刀比羅社は入母屋造桟瓦葺で妻入りの社殿だが、まるで仏堂のようで少し違和感を感じさせる。
突き当りに意冨比神社と同じ南面で、漁業の安全を護る珍しい造りの船玉神社が鎮座している。 社殿が船に乗っているデザインで、賽銭箱の前は舟の舳先をモチーフにした意匠になっていて興味深い。

△神門前に建つ入母屋造桟瓦葺で妻入の船橋大神宮社務所....昭和十八年(1943)の建築


△社務所と手水舎の脇に佇む嘉永五年(1853)造立の石燈籠....家形の笠で軒下に繁垂木がある

△社殿に向かって左側の境内に鎮座する境内社と神輿庫


△切妻造銅板葺で妻入の水天宮 流造銅板葺の稲荷神社


△流造銅板葺の秋葉神社・古峯神社/殿内の左に本町八坂神社の神輿、右に湊町八剱神社の神輿を安置した神輿奉安殿....神輿そのものが神社で,常に神輿にいずれも祭神・共に須佐之男命が鎮まっている

△奥から切妻造屋根の水天宮、真ん中と右は流造屋根の稲荷神社と秋葉神社&古峯神社

△切妻造銅板葺で背の高い神輿奉安殿....両神社に軒唐破風を設けている

△入母屋造桟瓦葺で妻入の金刀比羅社....金刀比羅社の右手に寄宮2社が並んで鎮座

△軒廻りは一軒繁垂木、正面は左右の引き戸で連子入り桟唐戸、大棟端に鬼板、拝に猪目懸魚、妻飾は豕扠首

△左の寄宮....左から八幡神社、竈神社、龍神社、道祖神社、多賀神社&客人神社

△右の寄宮....左から住吉神社&岩島神社、春日神社&祓神社、鹿島神社&香取神社、安房神社&玉前神社、天神社天満宮

△船玉神社が鎮座する傍の参道入り口に立つ神明鳥居

△木製の瑞垣に囲まれて南面で鎮座する船玉神社とその右に境内社

△船玉神社には元々船魂を祀っていたといわれているので、社殿も船の形を模している

△流造銅板葺の船玉神社....平成十八年(2006)築で、漁業の安全を護る祭神弟橘比売命を祀る


△社殿が船に乗ったデザインで、賽銭箱前は舟の舳先をモチーフにしている....大棟に内削ぎの千木と4本の堅魚木が乗る/向拝は千鳥破風

△寄宮....右から産霊神社&水神神社、大国主神社&事代主神社、大山祇神社&阿夫利神社、岩長姫神社&祈念穀神社、根神社&粟島神社


△切妻造銅板葺の社....神社名を失念した 楥田比古神社
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