何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

笠置寺-(2) (笠置)

2016年06月15日 | 寺社巡り-京都

【京都・相楽郡・笠置町】巨岩を中心とした信仰の笠置寺には天平時代(奈良時代)造立の本尊弥勒菩薩像磨崖仏と平安時代中期造立の虚空蔵磨崖仏などが鎮座する。 平安時代の永承七年(1052)以後、世の末法思想の流行とともに笠置寺の磨崖仏は天人彫刻の仏として非常な信仰を受けた。
鎌倉時代の建久四年(1193)、興福寺の解脱上人僧貞慶(藤原貞慶)が隠棲し、六角堂や十三重塔を建立するなど本格的に寺院を整備し、弥勒信仰を広め隆盛した。 鎌倉時代末期の元弘元年(1331)、倒幕計画を図って失敗した第96代後醍醐天皇を迎え笠置山に行在所を設けたが、このため鎌倉幕府との1か月間の攻防によって笠置山は全山焼亡した。

修行場入口から本堂や磨崖仏がある境内に入って参道を進むと、左脇に参詣者に可愛がられて亡くなった野良猫の「笠やん」の追悼碑がある。 その少し先の左の石段を上って弘法大師空海が祀られている大師堂に。 大師堂参拝後、奥に続く参道を進むと「行在所遺址」の石標が立ち、急峻な石段を登りつめると、石の柵で囲まれた樹木が鬱蒼と茂る後醍醐天皇の行在所跡が....倒幕に失敗した天皇がおられたこの地に自分が立っていることに不思議な感動を覚えた。
行在所跡から大師堂に戻り、巨石が重なり垂直に切り立った崖の傍の参道を進むと本堂である正月堂に着く。 正月堂には小さな礼拝所が設けられ、正面の垂直に切り立った巨岩には挙身光形に彫り窪めた跡があるが、まるで巨岩から仏が浮きでてきたようにみえて神秘的だ。 挙身光形の中に彫られていた弥勒菩薩磨崖仏を想像しながら、衆生を温かく見守っている姿に思いを馳せた。
 
参道脇に参詣者に可愛がられた野良猫「笠やん」の追悼碑と托鉢姿の修行僧像が佇む/追悼碑の直ぐ先の石段の上に大師堂が建つ

露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の大師堂..石仏弘法大師像(室町期造立)を安奉
 
大師堂は天平勝宝三年(751)建立の旧正月堂の跡地に建つ/入口に「大師堂」の額が掲げられている
 
大師堂前右横に建つ切妻造桟瓦葺の手水舎..瓦が壊れて寂れた手水舎/「行在所遺址」への参道の巨岩越しに眺めた大師堂
 
「行在所遺址」の石標が立つ第96代後醍醐天皇の行在所跡への急峻な石段/鎌倉時代元弘元年(1331)、政治改革に失敗して京都御所を出た御醍醐天皇を受け入れた場所..手前の巨石に置かれたプレートには御醍醐天皇が詠まれた和歌が刻印

積重なる巨石群が迫ってくる正月堂境内への参道

本堂の正月堂と垂直な崖の「弥勒石」(本尊の弥勒磨崖仏が彫られていたが焼失)

入母屋造本瓦葺で妻入りの正月堂(本堂)..室町時代再建で笠置寺本尊弥勒磨崖仏の礼拝堂
 
正月堂に設けられた一間の礼拝所..格狭間のある桟唐戸、組高欄を設けた切目縁などで構成/妻入りの入口..板唐戸と上に格子欄間、「正月堂」の扁額が掛る
 
懸造りの正月堂                     虚空蔵菩薩磨崖仏へ向かう参道から見上げた正月堂

正月堂前の前傾した崖の巨石は「弥勒石」と呼ばれ、天平時代(奈良時代)造立で高さ約17m、幅約15m

弥勒石には本尊弥勒菩薩磨崖仏はなく高さ16mの挙身光形の彫り窪みの跡だけが残っている
 
弥勒石に彫られていた本尊弥勒菩薩磨崖仏は日本最大で最古だった/弥勒菩薩磨崖仏は施無畏印と与願印を結ぶ、寺には天人彫刻像と伝わる
 
弥勒石の弥勒菩薩磨崖仏は鎌倉時代元弘元年(1331)の幕府の兵火で焼失/正月堂の礼拝所から眺めた弥勒石

弥勒石前に鎮座する石燈籠2基と重層の宝篋印塔
 
重層の宝篋印塔..基礎に鎌倉時代元応元年(1319)の銘、繰型式反華座に基礎石を据え、隅飾突起付きの最初の笠石を置き、その上に塔身を乗せている



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