【神奈川・小田原市】安土桃山時代の天正十九年(1591)、徳川家康の重臣で小田原城主・大久保忠世が開基で、忠世が帰依していた自徳院日英上人が開山した大久保氏の菩提寺。
慶長十九年(1614)、忠世の嫡男・忠隣が改易(晩年流罪)されると衰退し、寛永十年(1633)、忠隣の次男・忠総が江戸下屋に移転。 貞亨三年(1686)、忠隣の曾孫・忠朝が下総国佐倉城から小田原に移封され、石塔や位牌が戻され、その後大久保新八郎康任が現在地に再建した。 宗派は日蓮宗で、本尊は阿弥陀如来像。
箱根登山鉄道の箱根板橋駅で下車し、沿線にある大久寺に向かう。
建物の間の狭い参道の少し奥に小さな石橋と山門があり、山門をくぐると直ぐ右手に新築のような庫裡と質素な構えの本堂が並んで建つ。 本堂を囲むように墓地が広がり、本堂の左手後方の「大久保一族の墓所」に....数基の石燈籠に守られるように墓石が並び、中央には文禄三年と刻まれた大久保忠世の墓石(宝塔)が立つ。
参道入口から眺めた山門 切妻造桟瓦葺の山門は薬医門
山門前の水路に架かる石橋
山門から眺めた庫裡と本堂
入母屋造銅板葺の本堂
質素な本堂向拝..「寶聚山」の扁額が掛る
本堂
本堂前に鎮座する円光後背の観音像..右手の持物は和平をえる胡瓶か/本堂前の石仏(地蔵尊像)/本堂の横に置かれた「本堂古瓦」
久保一族の墓所
石燈籠越しに眺めた大久保忠世(左)、忠隣(中)、忠常(右)の墓石/大久保忠世の墓石(宝塔)..文禄3年の年号
大久保忠常の墓石には慶長の、大久保忠隣の墓石には寛永の元号がある
本堂前の墓所に立つ墓石(供養塔?)と石碑
庫裡
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