【兵庫・加西市】江戸時代に入り、姫路城主の池田輝政が酒見寺を姫路城の守護寺に定めて援助した。 姫路藩初代藩主の池田輝政は織田信長・豊臣秀吉に仕えていたが、慶長五年(1600)の「関ヶ原の戦い」では徳川家康に従って功をあげて播磨を領し、8年掛けて姫路城を大改修し、広大な城郭を築いた。
池田家が鳥取藩に転封された後の元和三年(1617)、姫路城主となった徳川四天王のひとり本多忠勝の子・忠政の援助を受け、寛永年間(1624~1644)に江戸幕府の命を受けた実相院隆恵によって再興された。
■地蔵堂と多宝塔と並んで、多宝塔の北隣に観音堂が建つ。 質素な造りの観音堂は、周囲の腰部に縦羽目板を低く張った以外は白壁の小壁で、正面の両脇間そして側面にそれぞれ1つの花頭窓を設けている。 観音堂前に数基の石造物があり、そのひとつの笠塔婆が興味を引く。 笠塔婆は江戸初期の造立で、隅飾突起のある笠を乗せていて趣がある。
△観音堂越しに眺めた多宝塔
△露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の観音堂....寛保二年(1742)創建で、19世紀中期の再建
△三間四方で、正面の中央間は腰高格子戸、脇間に花頭窓
△縁はなく、四方面の腰壁は縦羽目板....側面中央に花頭窓を配し、それ以外は白壁の小壁
△三間四方で、軒廻りは一軒繁垂木、組物は柱上に出三ツ斗で、中備は真ん中のみに平三ツ斗
△観音堂前に石塔婆、地蔵石仏、石碑などが鎮座....石塔婆は明暦年間(1655~1658)の造立
■本堂に向かって右手に羽目板の袴腰を設けた鐘楼が建つ。 朱色の垂木・親柱に逆蓮頭を乗せた高欄付回縁と白壁の小壁以外の全てに、多宝塔と同じように極彩色の装飾文様が施されていて、実に鮮やかだ。 境内北側に築地塀に囲まれた本坊があり庫裡や持仏堂・護摩堂が建つが、手入れが行き届いた本坊内を覗いて吃驚….前庭の低い植栽が実に芸術的に選定されていて目を奪われた。
△入母屋造本瓦葺の袴腰付鐘楼.... 寛文四年(1664)の再建
△大棟端に鳥衾を乗せた鬼瓦、拝は蕪懸魚、妻飾は混成複合式....二間三間いずれにも波形連子窓
△袴腰・垂木・小壁以外のすべてに多宝塔と同じように壮麗な極彩色の装飾文様が施されている....親柱に逆蓮頭を乗せた高欄付高欄付き回縁
△軒廻りは二軒繁垂木、組物は三手目が尾垂木の三手先で、中備は蓑束....腰組も三手先で中備は蓑束
△羽目板張り袴腰の鐘楼はバランスがとれていて安定感がある
△鐘楼奥の境内の北側境内に建つ本坊
△白壁の築地塀に囲まれた中に本坊がある....築地塀の間に唐門(と思う)、塀内奥の建物は本堂と繋がった持仏堂・護摩堂
△切妻造本瓦葺の本坊の山門(表門)
△山門を通して眺めた本坊内の庫裡
△入母屋造桟瓦葺の庫裡....大きな玄関の屋根は入母屋造銅板葺で唐破風を設けている....玄関の大棟と鬼板そして唐破風屋根の鬼板に三つ葉葵紋を配している
△本坊内の西側に建つ入母屋造本瓦葺の持仏堂・護摩堂....18世紀後期の創建、築地塀側に平唐門
△本坊敷地の中央の前庭....植栽や石組が配され見事に整備されている
△本坊前の坪庭に佇む宝篋印塔と石燈籠
△坪庭に立つ宝篋印塔は大正元年(1912)の造立で、塔身が長く、塔身に梵字のような4字が彫られているが....