何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

長谷寺-(1) (桜井)

2017年04月08日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・桜井市】草創は諸説あるが、寺伝では、白鳳時代の朱鳥元年(686)に川原寺の僧道明が、天武天皇の病気平癒を祈って初瀬山の西の岡(現在の五重塔近く)に三重塔を建て、「銅板法華説相図」を祀ったことに始まる。 これを本長谷寺という。
奈良時代の神亀四年(727)、徳道上人が聖武天皇の勅によって寺院の建立を発願し、いまの本堂がある東の岡に十一面観音菩薩を祀って行基が開眼したのが今の長谷寺の始まり。 真言宗豊山派総本山で、本尊は室町時代作の十一面観音菩薩像。

近鉄長谷寺駅から階段を下って初瀬川に架かる参急橋を渡ると、初瀬川に沿って古い門前町の趣きが漂う参道が続いている。 門前町の一角に徳道上人廟がある法起院が鎮座し、山門前で合掌してから長谷寺に向かう。 L字に曲がる門前町を進むと、参道奥の先に何か四角状のテントが見えてきて嫌な予感が....案の定、保存修理中の仁王門がすっぽり覆われていた。
門前町を抜けると、鮮やかな朱色の高欄を設けた石段の傍に石燈籠と自然石を舟形に彫り窪めた中に薄肉彫りされた「石観音」が佇む。 長谷寺の寺号標石が立つ参道を少し進むと右手に普門院....普門院不動堂に立ち寄って不動明王に参拝して仁王門に向かった。
テントにすっぽりと覆われた仁王門の石段を上って両側に鎮座する仁王像を拝観....拝観後、仁王門から扁平した球形の釣燈籠が等間隔で吊り下げられた下登廊を見上げる。
下登廊を上り始めて直ぐ右手に苔生した七重石塔が佇み、「道明上人の御廟」の標石が立つ。 左右に宗宝蔵や六坊の内の4つの坊が建つ下登廊を上り詰めると繋屋に着く。
繫屋の少し高い所の木立の中に長谷寺の鎮守である三部権現社が鎮座。 登廊は上中下の3つの回廊に分かれて折れ曲がって延び、399段(全長約200メートル)の石段が山腹に建つ国宝の本堂まで続く。

初瀬川沿いに延びる参道..古い門前町の趣きがある
 
総受付の建物の前から眺めた境内参道..「総本山長谷寺」の寺号標石、正面奥は保存修理中の仁王門/総受付の建物内に鎮座する秋葉山三尺坊大権現像
 
朱色の高欄がある石段横に佇む石燈籠と「石観音」..石燈籠は文化十三年(1816)造立/自然石を舟形に彫り窪めた中に薄肉彫りされた観音菩薩像

境内参道の脇に建つ普門院..入母屋造桟瓦葺の普門院不動堂
 
大きな唐破風の向拝..向拝の虹梁上の大きな蟇股に「大聖不動明王」の扁額/左右に分かれた昇高欄
 
不動堂境内に佇む石造物..塔身に種子が刻まれた宝篋印塔、苔生した五輪塔、板碑など/不動堂前の休憩所傍に立つ「百度石」
 
不動堂境内にある露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の御堂/御堂内に安置されている不動明王像と五鈷杵を持つ空海像
 
仁王門前の左手に立つ中台と笠が円形の大きな石燈籠..前に「輪廻塔」が立つ/明治十八年(1885)再建の楼造りの仁王門(重文)は保存修理中で全容は拝観できず!
 
左側の仁王像(蜜迹金剛)            右側の仁王像(那羅延金剛)

仁王門から眺めた登廊(重文)....最初に造られたのは平安時代長暦三年(1039)、百八間で三九九段の回廊は上中下の三廊からなる
 
仁王門近くの登廊右脇にある道明上人御廟塔..苔生した七重石塔(上層部が破損した九重石塔の説も)
 
長谷型燈籠よ呼ばれる扁平な球形の釣燈籠が下がる一番長い下登廊は明治時代の再建/下登廊脇から登廊越しに眺めた本堂..登廊右手は宗宝蔵

下登廊途中の右側に建つ宗宝蔵..長谷寺六坊の一つで天和二年(1682)建立の慈心院が明治に清淨院と改称され、その跡地に建つ

宗宝蔵の上に建つ月輪院

下登廊途中の左側に建つ梅心院..長谷寺六坊の一つで慶長初期(1603年頃)徳川家康命で建立

下登廊途中の左側に建つ慈眼院..長谷寺六坊の一つで寛文五年(1665)建立
 
下登廊から中登廊への途中にある繋屋/繋屋近くに聳える天狗杉
  
繋屋から眺めた下登廊/繋屋の傍に建つ切妻造本瓦葺の手水舎/繋屋の傍に立つ宝篋印塔と下登廊に向かって合掌する地蔵尊像

三部権現社境内から眺めた切妻造桟瓦葺の繋屋..右が下登廊、左が中登廊で上に蔵王堂が建つ

三部権現社..鎮守として寛永六年(1666)に勧請され建立
 
三部権現社境に立つ丸形の笠の石燈籠と「忠霊塔参道」と刻まれた石柱/三部権現社境内の左手に建つ金蓮院..長谷寺六坊の一つで承応二年(1653)建立
コメント
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