何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

豪徳寺-(1) (東京)

2017年04月01日 | 寺社巡り-東京

【東京・世田谷区】室町時代の文明十二年(1480)、世田谷城主であった吉良政忠が伯母弘徳院の菩提を弔うために「弘徳院」と称する小さなお堂(祠)を建てたのが始まり。 
世田谷城主吉良氏は、室町時代初期には第3位(鎌倉公方の足利氏、関東管領の上杉氏に次ぐ)の高い地位であったが、小田原の北条氏の台頭により、吉良頼康が北条氏から妻を、また、頼康の死後は北条氏を養子にするなどして世田谷城は北条氏の出城に.....。
安土桃山時代の天正十八年(1590)、豊臣秀吉によって北条氏が滅亡されると世田谷城が廃城となり、「弘徳院」も衰退していった。 創建当時は臨済宗だったが天正十二年(1584)に曹洞宗に転じた。 本尊は釈迦如来像。 東京三十三観音霊場11番札所。

まるで合掌してるかのような松並木を抜けると、通用門のある大きな屋根の袖塀を設けた四脚門に着く。
山門をくぐって境内に入ると、豊かな木々の緑に覆われていて静寂が漂う。 境内参道の真ん中に大きな黒い常香炉が置かれ、香炉上に鎮座する獅子像がこちらを睨みつけている。
参道からはよく見えないが、正面の木立の奥に身舎に裳腰を設けた中国禅寺の大雄宝殿のような仏殿が....そして、左手に三重塔、右手には江戸初期鋳造の梵鐘が下がる鐘楼が建つ。 三世仏を祀る仏殿の側面に「選仏場」の額が掛っているので、仏殿は雲水が座禅をする道場(禅堂)を兼ねているようだ。

参道の見事な松並木と奥に建つ山門
切妻造銅板葺で大きな通用門のある袖塀を設けた山門(四脚門)

袖塀は5本の筋があるので筋塀か..門前に「井伊直弼墓」の標石が立つ
 
たくさんの千社札が貼られた山門を通して眺めた境内/山門から眺めた境内..緑の木々に覆われていて堂宇が見えない

参道の真ん中に大きな黒い香炉が置かれ、香炉上の獅子像が参詣者を睨んでいる

入母屋造銅版葺の仏殿..中国禅寺の大雄宝殿のようだ

仏殿は江戸時代の延宝五年(1677)建立..彦根藩3代井伊直澄の菩提を弔うため、直澄の母・春光院と姉の掃雲院が建立
 
仏殿は身舎に裳腰を設け、裳階の下は吹き放しの回廊に/仏殿前の両側に佇む石燈籠..中台の下は竿と基礎、基壇を一体化した珍しい形

仏殿には過去・現在・未来を象徴する釈迦如来・阿弥陀如来・弥勒菩薩の三世仏坐像を祀る
 
「弎世仏」と「大谿山」の青字の扁額が掲げられている/前面は一面が腰高の格子戸になっている
 
三重塔と仏殿..仏殿の右側面の入口に「選仏場」の額が掛る(座禅道場を兼ねているようだ)

平成十八年(2006)建立の三重塔
 
和様式建築で、板唐戸、連子窓、柱間は蟇股と間斗束、組物は三手先

寄棟造本瓦葺風で銅板葺の鐘楼..区内現存最古の梵鐘が下がる
 
梵鐘..江戸時代初期延宝七年(1679)鋳造..工芸的に優れ、完成度が高い梵鐘とされる

鐘楼越しに眺めた仏殿の屋根

仏殿から眺めた書院

唐破風の大玄関と書院前に立つ5重層塔..右手は庫裏かな
 
大玄関がある寄棟造桟瓦葺の書院/大玄関の左手の小さな松の庭園に佇む石燈籠

仏殿の後方に建つ大きな屋根の本堂

コメント
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