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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

二梅書屋 (中国)

2011年12月09日 | 史跡探訪-中国編
              
【中国・福建省・福州】歴史がある三坊七巷の塔巷にある清代の林星章(1797~1841)の旧居。
最近大々的に修復が行われ蘇った建物で、現在、福建民族博物館として公開されている。
明代後半から清代にかけて建築された福州における典型的な民清民居の代表の建物で、「二梅書屋」とは林星章の書斎のこと。
中庭には築山、雪洞、六角半辺亭など当時の姿のまま再現されている。
また、庭には樹齢百年といわれるレイシの古木が立ち、毎年花を咲かせ実をつけるとのこと。
 
二梅書屋は2つの路地の間に建てられ、正門が郎官巷、裏門が塔巷に面している

入口を入って直ぐの部屋
 
入口に近いので客間かな?                    客間の正面の金ピカの飾りもの....何かな?

承啓堂という部屋
 
承啓堂の内部と正面
 
仏間と「漆金佛ガン」(清代制作)...高価そうな仏壇

古そうな家具....左側はベッドかな?

ここが主人だった林星章の書斎「二梅書屋」

二梅書屋の内部....意外にこじんまりしている
  
「漆金佛ガン」(清代制作の仏壇)   往時がしのばれる古い額の絵

文魁とあるが何の部屋かな?
 
敦福堂とその内部....いずれの部屋(堂)も似たような造りになっているようだ!

後庭の築山....樹齢百年のレイシの木が立つ
 
壁にへばりついて建つ?六角半辺亭/築山石の雪洞     
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養源院 (京都)

2011年12月09日 | 寺社巡り-京都

【京都・東山区】安土桃山時代の文禄三年(1594)、豊臣秀吉の側室・淀殿(茶々)が、父・浅井長政の菩提を弔うため、比叡山の天台僧だった成伯法印(長政の従弟)を開山として創建、長政の院号から「養源院」と命名された。 その後、江戸時代の元和五年(1619)に焼失したが、2年後の元和七年(1621)、淀殿の妹である徳川秀忠の正室・崇源院(江)が秀忠に懇願して伏見城の遺構「中の御殿」を移して再興。
以降、徳川家の菩提所となり、歴代将軍(2代秀忠~15代慶喜)の位牌が祀られ、さらには皇室の祈願所に。浄土真宗遣迎院派の寺院。

三十三間堂(蓮華王院)を出て、東向かいに建つ養源院に向かった。
両側に築地塀を構えた格式が感じられる山門をくぐると、直ぐ右手に、「辨財天女」の額が掲げられた石造明神鳥居と古そうな狛犬が鎮座。 小さなお社の天井には「白衣辨財天」と書かれた沢山の赤い提灯が....。 参道を奥へと進むと入口が....どうやら庫裡の玄関らしい。 聞けば建物内は全て撮影禁止とのこと、また、時間の関係もあって拝観は止めて建物の周囲と境内を散策した....が、寺院の建物構造がよく分からず閉口。
本堂の廊下には「血天井」という血痕が染み込んだ板間の板を使用した天井があるとのことで期待していたが....。 それにしても、豊臣家が建立したお寺が政敵であった徳川家の菩提寺になったとは....数奇な運命と歴史を経てきた寺院だな~と思いながらお寺を後にした。

山門
 
山門の蛙股のようなところに「卍」の彫りものが....  山門から眺めた境内

山門をくぐって直ぐ右手に建つ辨財天女
 
意外に立派な石燈籠と狛犬を従えた辨財天女         額に「白衣辨財天」とある
 
境内の参道脇に建つ毘沙門天

濃い緑に覆われた参道....奥に養源院の建物が見える

築地塀が切れた先の正面に見えるのは庫裡の玄関か?

「養源院」と書かれた高札から眺めた庫裡玄関
 
陽を浴びて眩しいい唐破風屋根を持つ庫裡玄関....後ろが本堂か?

庫裡玄関の全景

右が本堂で繋がるのは書院か?

庫裡か?
 
鐘楼                    本堂南にある堂宇は護摩堂か?
 
表門?                              緑が鮮やかな境内の塀際

境内に佇む上部が壊れた宝篋印塔

玄関前の左手に立つシンプルな手水舎
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