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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

カッパドキア奇岩群 (トルコ)

2014年02月18日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・カッパドキア】アナトリア高原中央部に南北約50kmにわたって広がるカッパドキア。 火山の噴火により堆積した凝灰岩や溶岩層が長い年月をかけて浸食されてできた奇妙な形をした岩が、見渡す限り無数にある。 奇岩の中にはその形が似ていることから付けられた「ラクダ岩」や「ナポレオン岩」などがあり、訪れる人を楽しませてくれる。 その中でもデヴェレントの「ラクダ岩」と3人の美女を表すエセンテベの「三姉妹の岩」が有名だ。
<参考>ギョレメ野外博物館(2014年2月5日投稿)/ゼルベの谷(2014年2月7日投稿)/ウチヒサール(2014年2月17日投稿)

3人の美女に例えられる「三人姉妹の岩」
 
エセンテベの谷の上にある「三姉妹の岩」..下が凝灰岩で上が玄武岩とのこと

エセンテベ..奥に三人姉妹の岩が小さく見える

デヴェレントの奇岩群..左にラクダ岩が見える
 
まさにラクダの形をした「ラクダ岩」

ラクダ岩の左奥にも奇岩群が..

ナポレオンの帽子のような形をしたナポレオン岩(中央)..右上は「キス岩」とか

いろいろな形の奇岩が広がる

尖った城塞のようだ..散策した場所を失念
  
いろいろな形の巨大な「キノコ岩」が聳える

巨大な「キノコ岩」の林に紛れ込んだようだ

巨大な「キノコ岩」

巨大な「キノコ岩」
コメント (6)
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ウチヒサール (トルコ)

2014年02月17日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・カッパドキア】ウチヒサールは「尖った城塞」の意味で、敵の侵入を防ぐため大きな城砦を築いていたカッパドキア一で最も高い位置にある小さな町。
町の中央にある大きな岩の城砦は、紀元前1600年前後のヒッタイト時代に造られたようで、当時、ここでは修道士が鳩の糞を葡萄畑の肥料にするため鳩を飼っていたので、「ハトの谷」と呼ばれている。
大きな城砦の上部の小さな穴がハトの糞をためる「ハトの家」。

道路から眺めただけだが、町の中央に大きな岩の城砦があり、その周りには奇異な形の岩をくりぬいた住居が....まさに要塞の町だ。 道路を隔てた反対側には、敵の侵入を防ぐ城壁のような美しい砂岩丘が広がり、まさに奇岩の中にある要塞の町のようだ。

ウチヒサールはカッパドキアで最も高い位置にある小さな町

ウチヒサールは「尖った城塞」の意味

ウチヒサールの要塞..高さ約80mある城砦

町の中央に聳える城砦(奇岩)は敵の侵入を防ぐ

奇岩上部の小さな穴は「ハトの家」で葡萄畑の肥料にするための鳩の糞を集める

要塞の反対側のにある砂岩丘

美しい砂岩丘はアートのようだ

沿道の土産物屋さん
 
有名な「神の目」の飾り物
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ゼルベの谷 (トルコ)

2014年02月07日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・カッパドキア】カッパドキアのパシャバー地区で、「キノコ岩」と呼ばれる多くの奇岩が立っている岩石遺跡群のある谷。 柔らかい地層と硬い地層が重なった部分が風雨により浸食されてできた「キノコ岩」....その中には妖精が住んでいると言い伝えられて「妖精の煙突」と呼ばれる。 巨大な「キノコ岩」がいくつも聳え立つ不思議な景観は、まさに見事な自然の芸術だ。

若い時分からカッパドキアの「キノコ岩」の写真を見るたびに、何時かはトルコに行ってみたいと強く思っていたが、遂に実現した。 巨大な「キノコ岩」の間を笠の部分を見上げながら歩く....まるで異国情緒ならぬ異星情緒を誘うような不思議な光景だ。
「キノコ岩」は、中に妖精が住んでいると伝えられて「妖精の煙突」と呼ばれているが、まさに、今にも「キノコ岩」からかわいい妖精が現れてきそうな雰囲気が漂っていて、ロマンチックな夢にひたれる。

奇岩群は不思議な世界に紛れ込んだ感覚になる

「きのこ岩」の上部は硬い玄武岩で帽子のような形
  
「キノコ岩」は何万年もの間、火山灰と強い風や雨に侵食されて造られた自然の芸術

ゼルベの谷の「キノコ岩」

侵食の仕方が違うことで色々な形の「きのこ岩」ができる
 
「きのこ岩」の中に妖精が住んでいると言い伝えられていて「妖精の煙突」と呼ばれる

「キノコ岩」群の中に岩窟の教会がある
 
「キノコ岩」群への入口/「キノコ岩」群手前の左手の岩上に聳える一風変わった小さな「キノコ岩」
 
アナトリア高原の火山によってできた大地であることが感じられる風景

「キノコ岩」群入口を入って直ぐ左側の「キノコ岩」
  
「キノコ岩」に造られた岩窟の教会

岩窟の教会の近景
  
色々な形の奇岩「キノコ岩」が見られる

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地下都市カイマクル (トルコ)

2014年02月06日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・カッパドキア】6~9世紀、キリスト教徒たちがイスラム教徒の迫害から逃れるために地下に身を隠すためにため造った地下都市で、カッパドキアには未発掘を含め約35ヶ所ある。
カイマクルはその代表的な巨大地下都市で、深さ65mで地下8階の規模(地下4階まで公開中)で、地表から地底の貯水槽まで垂直に延びる換気口や退避用のトンネル等が完備され、約1万5千人が暮らしていた。 地下には居室、台所、穀物貯蔵庫、ワイン醸造などの生活環境、また、学校、教会、集会所などの都市機能に必要な施設があった。

地下都市というイメージとは大きくかけ離れ、まるで蟻の巣穴に入り込んだような錯覚に陥る。
迷路のように張り巡らされた通路や階段は、背をかがめて歩かねばならねいほど狭くて窮屈、狭心症の人には無理な史跡だ。 地下都市は地下8階の規模らしく、多くの人々の生活に必要ないろいろな部屋があるが、とても1万五千人の人々が息を潜めて暮らしていたとは思えない狭さだ。
地下都市の見学を終えて地上に出て来た時、空気が凄く美味く感じたことをいまでも覚えている。

地下都市カイマクルへ向かう道に並ぶ土産物屋さん
 
地下都市カイマクルの世界遺産登録の標識/地下都市カイマクルへの入口

ロバを繋いでおくところだったかな
 
地下への狭い石段          リビングルーム

入組んだ地下通路

天井が低い地下通路..少し屈みこんで進む
 
意外に小さい食糧倉庫
  
このような場所が至る所に..倉庫や作業所とみられる、また通気孔も完備

何かの作業所かな..まるで蟻の巣穴のようだ
  
ワイン醸造所/生活に必要な施設の他に教会や家族ごとの部屋も完備されていたらしい

ここは家族の部屋かな

台所の近く通路
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ギョレメ野外博物館 (トルコ)

2014年02月05日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・カッパドキア】3世紀半ば、ローマ帝国の弾圧を逃れた多くのキリスト教徒たちがカッパドキアに移住してきた。 9世紀頃から、イスラム教徒の迫害を逃れたキリスト教徒たちがギョレメの谷の岩を削って岩窟教会や修道院などを造り、信仰を守り続けた。
ギョレメの谷には現在30の教会があるが、中でも「りんご教会(エルマル・キリセ)」、「蛇の教会(ユランル・キリセ)」、「闇の教会(カランルク・キリセ)」など11世紀頃に建てられた岩窟教会は保存状態が良く、内部のフレスコ画が素晴らしい。

カッパドキアで最初に訪れたギョレメ野外博物館....とにかく、異様な光景を目の当たりにして吃驚仰天させられた。 まるでキノコのような奇岩がニョキニョキと聳え、岩肌を削って造られた巣のようなたくさんの住居穴....地球上のものとは思えない光景だった。
岩穴の住居に入ってみたが、厳しい環境の中で生きていかざるを得なかった彼らの生活・暮らしに思いを馳せた。

ギョレメ野外博物館に向かう途中の車窓から眺めたギョレメ風景

ギョレメ野外博物館に向かう途中の車窓から眺めたギョレメ風景

にょきにょきと林立するこの世のものと思えない奇岩群
 
野外博物館前のアイスクリーム屋さん/ギョレメ野外博物館の標識
 
ギョレメ野外博物館のエントランスと正面は聖バジル教会

ギョレメ野外博物館の入口付近から眺めた風景

聖バジル教会の奥に広がる岩窟風景

リンゴの教会(左下)と正面は聖バルバラ教会

リンゴ教会の入口(内部は撮影禁止)

生活区域と岩窟教会がある

このような岩窟がたくさんある

暗闇の教会(上)、下の生活区域岩窟に入る
 
石で造られた食堂の長いテーブル 食堂の内部

食堂の炊事場だったか?

食堂の入口から眺めたギョレメ風景
 
食堂の上にある暗闇の教会   祭壇のようだ

天井に残る壁画..キリストを表す十字模様が

巨大奇岩の高い位置に造られた岩窟
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ヤズルカヤ遺跡 (トルコ)

2014年02月03日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・ハットゥシャシュ】紀元前13世紀のハットゥシリ3世時代に造られた「文字のある岩」という意味のヤズルカヤの遺跡。 ヤズルカヤは、ヒッタイト帝国ハットゥシャシュの神々を祭る聖地で、岩場をそのまま利用した露天神殿。
土台だけが残る遺跡だが、大カマルと小カマルに分かれていて、ここで宗教的儀式やヒッタイト王の葬儀が行われた。 ヒッタイトは千の神々をもつ国といわれ、カマルの堅い岩壁には多くの神々や儀式の様子が刻まれている。

岩場に造られた露天神殿....岩に彫られた多くの神々や王の鮮明なレリーフには驚かされた。 神々や王のレリーフを眺めながら、3300年前に造られ、宗教的儀式や王様の葬儀が行われたこの神殿にいま自分が立っていると思うと、何とも言えない興奮を覚えた。
神々や王のレリーフの中でも、特に、トンガリ帽子を被って整列して行進する12人の黄泉の国の神々の姿....微笑ましい感じがして印象的だった。

ヤズルカヤ遺跡..紀元前13世紀頃の岩場を利用した露天神殿

大カマラ..ここで宗教的な儀式が行われていた

ヒッタイトは多神教信仰で、神々が左右の岩に刻まれている
 
岩の神や太陽の神など63の神々の行進
 
神殿建立のトゥトゥハリヤ4世..脚下には剣の神様/女神イシュタルと従者ニナッタ、クリッタ(双子の女神)

ヒッタイトの主神で天気の神様「テシュプ」(左)と太陽の女神「ヘパトゥ」(中央)
 
小カマラへの入口          非常に狭い小カマラ
 
左側岩壁に冥界王ネルガルと剣神シャルマ/右側岩壁には12人の黄泉の国の神々の行進
  
冥界王ネルガル/剣神シャルマと左手に抱かれたトゥトゥハリヤ4世(神殿建立の王らしい)/象形文字らしいがトゥトゥハリヤ4世のレリーフで右手に持っているので儀式に使う道具では?

供物の祭壇
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ハットゥシャシュ遺跡 (トルコ)

2014年02月02日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・ハットゥシャシュ】紀元前20世紀頃から鉄器を使ったヒッタイト人が、紀元前18世紀頃に築いた古代ヒッタイト帝国の都城遺跡。 紀元前13世紀に世界最初の平和条約「不可侵条約」がエジプトとの間で締結された場所。 遺跡から複数の楔形文字が記された2万枚以上の粘土板が発見された。
ハットゥシャシュ遺跡は城壁に囲まれ、神殿や城塞、そして初期に建設された下市と紀元前14世紀頃に建設された上市に分かれているが、現存しているのは幾つかの門や城門の一部だけで、主な出土品はアンカラのアナトリア文明博物館などに収蔵。

山麓の広い平原の中に存在する途方もない大昔に栄えたハットゥシャシュ遺跡....一面に大きな石がゴロゴロと横たわっている。 大きな石が敷き詰められた凹凸の道、また、城壁の一部や城門や水盤など僅かな遺構があるので、石造りの都城の情景を思い浮かべてみた。
城門の一つ「ライオンの門」の左右にはライオンの頭部の彫刻があるが、左側のものは近年に作製(あるいは補修?)されたもののように見えたが、考え過ぎか?

ハットゥシャシュ遺跡の遠景..紀元前18世紀頃の古代ヒッタイト帝国の都城遺跡
 
ライオンの水盤..左右に全部で4つのライオンの頭部像がある

神殿の門跡..最高神「嵐の神」と「太陽の女神」が祀られた神殿跡はまだ発掘中
  
約3800年前の風化した遺跡で現存している遺構は幾つかの門や城門の一部だけ
 
中央にある薄緑色の「石」はソメポタミヤからの戦利品

古井戸だったか?
 
ライオンの門..6カ所ある町の入口の門のひとつでもともとはアーチ状/玄武岩で造られた右側ライオン(左側ライオンは最近補修?されたもの)

ライオンの門を町側から眺めた

突撃門..築いた城壁の下に出撃用のトンネルを造った
 
石積みトンネルの長さは70mで、三角構造のトンネルの奥に小さく出口が見える

上市のスフィンクスの門
 
ゲートの岩は説明図のようなスフィンクス像があったようだ

王の門(戦士のレリーフはレプルカ..本物はアンカラの博物館に)

削られて隙間なく積まれた大きな岩

王の門の町側
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サフランボル (トルコ)

2014年02月01日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・サフランボル】14~19世紀のオスマン帝国時代、シルクロードの通過点でもあった隊商都市として繁栄した町。 町は黒海から約50km内陸に入った険しい山間に位置し、昔この地に香料のサフラン(クロッカス)の花が群生していたことからこの名がついた。 トルコで最も昔の民家が多く残され、土壁、木枠の窓、赤い屋根を持つ木造の家々の古い町並みが美しく、まさに、トルコの小京都のようだ。
オスマン帝国時代の古民家が当時のまま残り、トルコ独自の木と土壁で造られた町は1994年に世界遺産に登録されたが、街中の古民家の大半は今でも普通の生活が営まれ、一部の民家を博物館として公開、生活用品や衣装が展示されている。

フドゥルルックの丘から眺めたサフランボルの街は、一面に赤い煉瓦屋根の家々が広がり、ところどころに尖鋭なミナレットが聳えるドーム屋根のモスクが見える。
閑散としたバザールを散策した後、木造の古民家博物館を見学....オスマン帝国時代の生活風景が生き生きと再現されていて面白かった。
   
街が世界遺産になっている                    「歓迎フドゥルルックの丘」と書かれた案内板

フドゥルルックの丘から眺めた赤い屋根の家の街並みが美しい
 
フドゥルルックの丘の茶屋からの眺め              ドーム屋根とミナレットのモスク
 
フドゥルルックの丘にあるお墓と石棺か?

約400年前に造られた風呂...現在も使われている
 
風呂の隣にある1776年建立のモスク              トルコ式の手水舎(但、足も清める?)

正面の壁(メッカの方向)の中央に向かって参拝する

バザールの賑やか構えの店
 
平日の昼間だったこともあって閑散としていたバザール

バザールのある路地に忽然と現れたモスク
 
アーチ型の入口から覗いたモスク..荘厳さが漂う
 
狭い路地の右奥が訪問したKAYMAKAMLARという木造の古民家博物館
 
2階の展示部屋..オスマン帝国時代の生活風景が生き生きと再現されている
 
確かここは風呂だったはず    床やソファーに絨毯が敷かれ部屋が並ぶ
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