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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

泉橋寺の地蔵石仏

2018年12月29日 | 最古・唯一などの遺構

【京都・木津川市】日本最大の大きさとされる地蔵石仏。
鎌倉時代徳治三年(1308)の造立で、地蔵堂の上棟と同時期に完成した。 奈良時代の天平十二年(740)に高僧・行基によって創建された泉橋寺の門前に露座する坐像の地蔵石仏。
泉橋寺は、泉川(現木津川)に架けられた泉大橋の橋守寺院で、平城京と恭仁宮とを繋ぐ交通の便を図るため泉大橋が架けられた時に建立された。
鎌倉後期造立の地蔵石仏は、泉大橋が度重なる洪水で流され、その度に渡し船で渡河する人々を守護するため般若寺の僧・真円上人により発願され、13年の歳月を掛けて造られた。 「山城大仏」と呼ばれる丈六の地蔵石仏は、像高約4.6mで、礎石の遺構から荘厳な地蔵堂に鎮座していたとみられる。
室町時代の「応仁の乱」の戦火(大内政弘の軍勢により)によって地蔵堂が焼失し、地蔵石仏も大きく損傷して露座となったが、約200年後の江戸時代元禄年間に頭部と両腕が補われて現在に至る。

雨が降る中、JR木津駅から傘を差して泉橋寺に向かったが、長い泉大橋の上で強い横風を受けながら歩くのに難儀した。 泉橋寺の門前に立ち止まり、壇上積の基壇にどっしりと露座する地蔵石仏を眺める。 遠目には分からないが、近づくと体躯に焼け爛れた痕跡がはっきり見て取れ、凄まじい戦火に遭ったことが窺える。 雨中での拝観だったが、穏やかなお顔で露座する最大の地蔵石仏を参拝していて心が和んだ。

壇上積の基壇上に露座する大きな坐像の地蔵石仏

地蔵石仏は鎌倉時代徳治三年(1308)の造立....永仁三年(1295)から石材の切り出しが始まり、13年後の地蔵堂上棟の時期に完成した

室町時代の文明三年(1471)、応仁の乱の戦火で地蔵堂が焼かれ、石仏も損傷を受けて露座に

約200年後の元禄時代に頭部と両腕が補われた....右手に錫杖、左手に宝珠を持つ
 
丈六の地蔵石仏の像高は4.56mで、体躯に焼け爛れた痕跡があり、凄まじい戦火を受けたことを伝えている

蓮華座に整然と並べられた小さな薄肉彫りの石仏群....二尊石龕仏や舟形光背地蔵石仏などが鎮座

基壇上の地蔵堂跡に礎石の遺構が並ぶ
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海住山寺の五重塔

2018年11月21日 | 最古・唯一などの遺構

【京都・木津川市】鎌倉時代に建立された唯一の五重塔。
鎌倉時代の建保二年(1214)に建立された。 寺伝で奈良時代の天平七年(735)、聖武天皇の勅願により創建されたとされる海住山寺に建つ五重塔で、国宝に指定されている。
鎌倉時代に建てられたの唯一の五重塔であること、また、心柱が初重天井の上から立つ珍しい塔として貴重な遺構。 総高17.7mで、室生寺の五重塔に次いで2番目に小さい。 初重の屋根下に吹き放しの裳腰を設けているが、裳腰付き五重塔があるのは海住山寺と斑鳩の法隆寺だけとか。

長い急坂を登っていき、急峻な石段を上りつめると、本堂を挟んで文殊堂と向き合うように丹塗りの五重塔が建つ。 全体に細身の塔だが、初重に吹き放しの裳腰を設けていて安定感があり、華麗で美しい。
軒廻りは二軒平行垂木、組物は二手先で二手目は尾垂木、中備は二重の中央間のみに間斗束、各重に軒支輪を設けている。 初重の軒廻りは裳腰の屋根が接近していて見え難いが、平三斗と支輪が僅かに確認できる。
初重内部の四天柱の間は、四方に両開扉を設けた厨子構造になっていて珍しく、8枚の扉一体ずつに彩色された天部や僧形などの仏画が描かれているそうだ。

本堂の左手(南側)に建つ五重塔

本瓦葺で丹塗りの五重塔....鎌倉時代建保二年(1214)の建立で、総高は17.7m
 
石基壇上に立つ端正な五重塔は、初重に吹き放しの銅板葺屋根の裳腰を設けていて安定感がある/軒四隅の棟端に左三つ巴の文様が入った鳥衾が乗った鬼瓦、軒下に風鐸が下がる....二重目以上に組高欄がある

三間四方は中央間に板唐戸、両脇間に連子窓、裳腰は柱上に舟肘木を乗せた大面取角柱で支えている

軒周りは二軒繁垂木、組物は二手目が尾垂木の二手先、各重に軒支輪がある

二重目のみに中備を設け、中央間に間斗束....初重軒下に平三斗と支輪が僅かに見える

側面(西側)から眺めた五重塔....心柱が初重の天井から上に立っている五重塔では最古
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安楽寺の八角三重塔

2018年10月29日 | 最古・唯一などの遺構

【長野・上田市】我が国に現存する唯一の八角三重塔。
鎌倉時代の1290年代に建立された。 初重の海老虹梁材が鎌倉時代正應二年(1289)に伐採された木材であることから13世紀末の建立と裏付けられ、日本最古の禅宗様建築である可能性が高いとされる。
平安時天長年間(824~834)創建とされる信州最古の禅寺・安楽寺に建つ杮葺の八角三重塔で、長野県内の建造物として最初に国宝の指定を受けた。
八角三重塔は、中国宋時代(960~1279)の禅宗様(唐様)という様式で建築されている。 八角塔は奈良・京都などに記録として残されているが失われ、我が国に唯一残されたのが安楽寺の八角塔。

本堂から杉の樹林の間を上がっていくと、山腹に建つ八角三重塔が見えてくる。
自然豊かで清浄な空気に包まれた墓所にひっそりと建つ八角三重塔....静謐な空間に優美な佇まいを見せ、まるで8枚の羽根が羽ばたいて天に舞い上がるかのように見えて、実に魅力的な塔だ。
初重に裳腰を設けているので四重塔に見える。 軒廻りは各重いずれも禅宗様の定法通り二軒扇垂木だが、裳腰も扇垂木になっているのは驚きだ。 窓は花頭窓ではなく和様の連子窓が設けられ、また、二重と三重に縁・高欄がない禅宗様式で貴重な仏塔といえる。 また、古代の仏塔のように四方に入口がなく、桟唐戸を裳腰の正面のみに設けているだけだ。
墓所のほぼ中心に建つ八角塔には禅宗寺院に珍しい金剛界大日如来像が安置され、周りに眠る人々を見守っている....この光景は、無数の石仏・石塔の墓碑が立ち並ぶ墓所の真ん中に立っている京都化野念仏寺の十三重石塔を思い起こさせる。

本堂裏の山腹の墓所内に建つ八角三重塔....塔内に金剛界大日如来像を安置

杮葺の八角三重塔(国宝)....鎌倉時代末期(1920年代)建立で、わが国最古の禅宗様建築である可能性が高いとされる
 
八角三重塔は高さ18.7mm(礎石上端~頂上)で、初重に裳腰を設けている/各重の軒廻りは二軒扇垂木で組物は二手目と三手目が尾垂木の三手先、柱間に台輪上に詰組を配す

裳腰も二軒扇垂木だが、組物は出組、柱間の台輪上に詰組....裳腰の正面のみに桟唐戸を設け、側面は板壁、各面に波連子欄間を配す

二重と三重に縁がなく、全面に花頭窓ではなく和様の連子窓が設けられている

構造形式は「八角三重塔婆」で、中国宋時代の禅宗様(唐様)という様式で建築されている/木造の八角搭としてはわが国に残された唯一のもので貴重な遺構
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石山寺の多宝塔

2018年10月01日 | 最古・唯一などの遺構

【滋賀・大津市】現存する我が国最古の多宝塔。
鎌倉時代の建久五年(1194)、鎌倉幕府初代将軍で武家政治の創始者・源頼朝の寄進により建立された。 奈良時代の天平十九年(747)、第45代聖武天皇の発願によって良弁僧正が創建した石山寺に建つ多宝塔で、国宝に指定されている。
多宝塔は、寺号の由来となった硅灰石(天然記念物)の後方高台に建ち、塔内には鎌倉前期の仏師・快慶作の木造大日如来坐像(重文)を安置している。 上・下重いずれも軒廻りは二軒繁垂木で、組物は深い軒の上重が四手先、下重は出組で中備は間斗束だ。 周囲に擬宝珠高欄付き切目縁を巡らし、四方の中央間に板唐戸、両脇間に連子窓を設けている。
石山寺多宝塔は三大多宝塔の一つとされ、堂前の説明版に「多宝塔の中でも、最も優れて美しい姿をしており、上下左右の広がりがきわめて美しく洗練され、均斉のよくとれた建築」とある。 ゆったりとした深い軒反りで、かつ上重と下重(裳腰)の大きさのバランスが絶妙で安定感があり、確かに洗練された優美な姿だ。 朱塗りの多宝塔は見慣れているが、組物・柱・扉・板壁などが檜皮葺と同系色という気品を感じさせる多宝塔にすっかり魅了され、時のたつのを忘れるくらいじっくりと拝観した。

観音堂境内の正面の奇岩・硅灰石群の後方の高台に建つ多宝塔

現存最古の檜皮葺の多宝塔(国宝)....源頼朝の寄進で建久五年(1194)に建立され、多宝塔と同時期の造立とされる本尊大日如来坐像を祀る

石段から見上げた多宝塔....軒廻りは下重上重いずれも二軒平行(繁)垂木

ゆったりと流れるような深い軒反りの檜皮葺屋根..上重と下重(裳腰)の大きさのバランスが素晴らしい
 
組物は下重(裳腰)は出組で、中備は台輪上に間斗束、上重は四手先/上重に高欄を設け、軒四隅に軒風鐸が下がる

擬宝珠高欄付き切目縁を巡らし、中央間に板唐戸で内側に格子戸、脇間に連子窓を配す

石山寺多宝塔は、多宝塔の中でも最も優れた美しい姿で「三大多宝塔」の一つとされる
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長岳寺の鐘楼門

2018年09月13日 | 最古・唯一などの遺構

【奈良・天理市】日本最古の鐘楼門。
平安時代の天長元年(824)、弘法大師・空海によって建立された。 平安時代天長元年(824)、淳和天皇の勅願により、弘法大師が大和神社の神宮寺として創建した長岳寺に建つ鐘楼門で、国の重要文化財に指定されている(かつては国宝だったようだ)。
一間一戸の下層に対して上層は三間二間の吹き放しの造りで、上層に梵鐘を吊った遺構が遺っている。 また、下層は室町時代~安土桃山時代の間に改築されたようだ。 組物は出三斗で、下層の中備には間斗束、その両側に詰組が設けられている。
正面からはよく見えないが、本堂境内から眺めると、杮葺屋根の深い軒と軒反の曲線が美しく、気品が感じられる。 弘法大師空海がこの鐘楼門を何度かくぐったかと思うと、感慨深いものを感じる。

境内参道の石段上に建つ日本で最古の鐘楼門

入母屋造杮葺の鐘楼門(重文)....平安時代の建立で、吹き放ちの上層に梵鐘を吊った遺構がある
 
下層は一間四方一戸、上層は三間二間....下層は室町時代~安土桃山時代の間に改築されたようで様式が残る

軒廻りは二軒繁垂木、組物は出三斗で中備無し、上層に組高欄付廻縁を設けている

組高欄付廻縁を支える腰組は出三斗で、中備には2つの詰組と中央に間斗束を設けている

本堂境内から眺めた鐘楼門....大棟端に鬼瓦が乗る杮葺屋根の深い軒と軒反が美しい

境内の放生池越しに眺めた鐘楼門....水面に映る逆さ鐘楼門が美しい
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富貴寺の大堂

2018年08月29日 | 最古・唯一などの遺構

【大分・豊後高田市】九州に現存する最古の木造建造物で、九州唯一の国宝和様建造物。
平安時代後期(12世紀頃)の建築とされる。 奈良時代の養老二年(718)、宇佐八幡神の化身とされる仁聞菩薩により開創されたとされる富貴寺に建つ大堂で、平安時代に盛行した「阿弥陀堂」の典型的な遺構。 九州に残る平安期作の和様建築として、また、六郷山の寺院群の最盛期を忍ばせる遺構として歴史的価値が高い。
石段の上に聳える榧と銀杏の巨木の間の奥の静寂に包まれた境内に大堂(阿弥陀堂)が佇んでいる。 主屋は正面三間、側面四間だが屋根は宝形造りで、奈良でも見られない見事な行基瓦が葺かれている。 瓦当を見ると、蓮華座に乗る仏像(阿弥陀仏か)の文様が軒丸瓦に彫られている。
正面は全て板唐戸、側面は二間板唐戸で二間横羽目板で窓がない。 軒廻りは二軒平行垂木、柱上に舟肘木が乗り、中備なし。 建物の周囲には、石塊を帯状に並列したシッカリした造りの雨落溝が設けられている。
露盤宝珠からゆるやかな曲線を描いて流れる行基瓦葺屋根の阿弥陀堂....約900年もの時が流れる静謐な空間にひっそりと建っている姿は優雅で美しい。

露盤宝珠を乗せた宝形造行基瓦葺の大堂(阿弥陀堂・国宝)....平安時代後期(12世紀頃)の建築で、屋根は古い様式の行基瓦で葺いている

正面三間、側面四間の宝形造り....正面三間と側面左右の手前二間と背面の中央一間に両開の板唐戸....建物の周囲に雨落溝が設けられている

周りの柱は全て方柱で、幅広く面取(大面取)が施されている....軒丸瓦に蓮華座に乗る仏像(阿弥陀仏か)の文様がある
 
軒廻りは二軒平行垂木、柱上に舟肘木が乗る、中備なし....周囲に切目縁を廻らす/隅降棟と稚児棟の先に鳥衾を乗せた鬼瓦....屋根の変遷は瓦葺→草葺(安土桃山時代)→瓦葺(明治四十五年)→行基瓦葺(昭和三十九年)

背面は中央間に板戸、脇間に横羽目板

堂内には藤原時代末期作の像高86cmの阿弥陀如来坐像が鎮座、内陣後壁に阿弥陀浄土変相図、四壁に五十仏、四天柱に胎蔵界曼荼羅の中心部の尊像が描かれている
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圓成寺の春日堂・白山堂

2018年08月07日 | 最古・唯一などの遺構

【奈良・奈良市】現存する最古の春日造の社殿。
鎌倉時代の安貞二年(1228)の再建とされる。 安貞二年に行われた春日大社大造営の際、当時の春日大社の神主・藤原時定が、それまでの旧社殿の一間社春日造の春日社と白山社を圓成寺に寄進したものとも考えられているようだ。
平安時代の寛平元年(889)に創建(諸説あり)されたとされる圓成寺に鎮座する社殿で、国宝に指定されている。
春日堂と白山堂はもともと春日大明神・白山大権現を祀る春日社・白山社と呼ばれていた社殿だが、明治初期の神仏分離令によって起こった廃仏毀釈による破壊の嵐から免れるため、仏堂風に「堂」と称し、現在に至る。 春日堂と白山堂は、表は入母屋造、裏は切妻造の桧皮葺屋根で、大棟に外削ぎの千木と3本の堅魚木が乗る。 軒下は、中備蟇股、猪目懸魚、勾欄、斗栱などは鎌倉初期の社殿の特色を持つ。
白山堂の右隣に鎮座する一間社春日造の宇賀神本殿(重要文化財)は覆屋で保護されているのに、国宝である春日堂と白山堂が何故に露座なのか....凄く気になった。

鎮守社の春日堂・白山堂(いずれも国宝)....安貞二年(1228)の奈良春日大社造営の際、当時の大社神主藤原時定卿から寄進された旧社殿

檜皮葺屋根は切妻造で、妻入り母屋の前面に向拝を設けた形式....いずれも一間社春日造で棟木に外削ぎの反った千木と3本の堅魚木が乗る

拝に猪目懸魚、向拝柱上に平三斗、水引虹梁上に本蟇股が乗る....手前の石燈籠は享保十五年(1730)の造立

主屋と向拝はいずれも一軒繁垂木、正面に擬宝珠親柱の登勾欄と母屋に組勾欄と脇障子

白山堂右隣の覆屋に鎮座する一間社春日造の宇賀神本殿(重文)
 
向拝に鬼板を乗せた軒唐破風を設けて荘厳にしている/向拝柱上に貫のように十字に肘木を乗せ巻斗で水引虹梁と丸桁を支える

本堂前から眺めた鎮守社境内....左に春日堂・白山堂、右手には白壁の拝殿が建つ
 
入母屋造桧皮葺の春日堂・白山堂拝殿....江戸時代延宝三年(1675)建立で正面と側面に槫縁を巡らす
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円融寺の釈迦堂

2018年07月24日 | 最古・唯一などの遺構

【東京・目黒区】東京都区内で現存する最古の木造建造物。
室町時代初期の建立とされる。 平安時代仁寿三年(853)に慈覚大師円仁により創建された天台宗の古刹・円融寺に建つ釈迦堂で、国の重要文化財に指定されている。 東京都下では正福寺の地蔵堂に次いで2番目に古い建造物で、唐様(禅宗様)に和様を多く取り入れた建築。 元は茅葺屋根だったが、昭和二十五年(1950)に銅板に葺き替えられた。

山門(四脚門)をくぐって境内に....真っ直ぐ延びている参道の先に室町末期建立の仁王門が建つ。
堂々たる禅宗様の仁王門を通して優美な姿の釈迦堂が見える。 美しく緑青が浮き出た銅板葺はみやびな趣があり、大きな軒反りの優美な屋根に目を奪われる。 周囲に禅宗様高欄付き切目縁を廻らしているが、逆蓮頭を乗せた親柱の高欄は珍しい。 正面三間はいずれも上部に連子を入れた桟唐戸。 軒廻りは二軒平行垂木、組物は出三斗で中備は台輪上に詰組、柱は丸柱で上部のみに粽がある。

唐様と和様を取り入れた建築の仁王門越しに眺めた釈迦堂....室町末期建立の仁王門には、永禄二年(1559)造立の木造金剛力士像が鎮座

広い境内の正面に建つ釈迦堂....後方に昭和五十年(1975)建立の阿弥陀堂(本堂)が建つ

入母屋造堂板葺の釈迦堂....室町時代応永年間(1394~1428)の建築

逆蓮頭を乗せた親柱の禅宗様高欄付き切目縁を周囲に廻らす

正面三間はいずれも上部に連子を入れた桟唐戸....賽銭箱に菊紋がある

軒廻は二軒平行垂木、柱上に台輪を置き組物は出三斗、組物間に詰組、柱は上部のみに粽がある丸柱
 
逆蓮頭を乗せた親柱、勾欄の横木(地覆・平桁・架木)の間に斗束と栭束

側面四間で正面側一間が桟唐戸、後の三間は羽目板....大棟端に鳥衾を乗せた鬼板、拝に三ツ花懸魚、妻飾は虹梁大瓶束

釈迦堂は東京23区内で最古の木造建造物 (東京都下では正福寺地蔵堂の次に古い)
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正福寺の地蔵堂

2018年07月01日 | 最古・唯一などの遺構

【東京・東村山市】東京都下で最古の国宝建造物かつ唯一国宝の地蔵堂。
室町時代の応永十四年(1407)に建立(再建?)された。 寺伝では、鎌倉時代弘安元年(1278)の建立とされていたが、昭和の改修時に発見された墨書銘から建立年が判明した。
鎌倉時代文永年間(1264~1275)以前の創建と伝えられる正福寺(鎌倉建長寺の末寺)に建つ典型的な禅宗様式の建物(平成二十一年(2009)に旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)が国宝に指定されるまでは、正福寺地蔵堂が都下唯一の国宝建造物だった)。 堂内に奉納された多くの小地蔵尊像にちなんで「千体地蔵堂」と呼ばれている。
禅宗様建築として鎌倉円覚寺の国宝舎利殿が知られているが、非公開のようで拝観したことはないが、写真等で見る限り正福寺地蔵堂と瓜二つの姿をしている。

元禄時代建立の禅宗様の山門を通して、大きな石燈籠が導くように入母屋造杮葺の地蔵堂が見える。 最初、長刀反りといわれる大きな軒反りの屋根に目を奪われる。 大きな角度で反り上がった美しい曲線は格調の高さを感じさせ、小さな軒反りの裳腰とのバランスも絶妙で荘厳だ。
流石に「禅宗様建築の代表的遺構」とされるだけあって、外観の細部意匠は禅宗様の特徴が随所にみられる。 杮葺屋根、裳腰付では上層が扇垂木で裳腰は平行垂木、組物は三手先で、尾垂木は2本、中備は台輪上に詰組(中央間に2組、脇間に1組)、柱は主屋と裳腰いずれも粽付き丸柱、桟唐戸そして花頭窓など。 訪問時は堂内を拝観できなかったが、床は土間で天井は化粧屋根裏天井、本尊と地蔵菩薩像が鎮座する上だけは板張りの鏡天井になっているようだ。

元禄十四年(1701)建立の禅宗様の山門を通して眺めた地蔵堂

広い境内に建つ「千体地蔵堂」と呼ばれる地蔵堂...右奥に本堂がある

室町時代応永十四4年(1407)建立....鎌倉円覚寺の舎利殿と共に禅宗様建築の代表的遺構とされる

上層の柿葺の軒反りは長刀反りの美しい曲線で格調が高い....裳腰は銅板葺で軒反りが僅かだ

上層の組物は三手先で尾垂木2本は禅宗様特有、台輪上に詰組(幅広い中央間に2組、脇間に1組)....裳腰の組物は出三斗で詰組は平三斗
 
上層は二軒扇垂木で、裳腰は二軒平行垂木/入口中央は上部に花狭間を入れた桟唐戸で内側に腰高格子戸....「國寶千體地蔵堂」の扁額が掲げられている

正面の中央間に両折両開の桟唐戸、両脇間に花頭曲線の桟唐戸と花頭窓....全面に弓欄間また中央の弓欄間に宝珠のシンボルがある

基壇上に建つ地蔵堂は、粽付きの柱で、柱と礎石の間に木製の礎盤がある

大棟は屋根付箱棟で端に鬼板、拝みに蕪懸魚、見え難いが妻飾は虹梁大瓶束
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室生寺の五重塔

2018年06月13日 | 最古・唯一などの遺構

【奈良・弥陀市】我が国で屋外に立つ最小の五重塔。
平安時代初期(800年頃)の建立とされる。 天武天皇九年(680)に修験道の開祖・役行者(役小角)が創建したとされる室生寺の灌頂堂(本堂)後方の杉の樹林の中に建つ五重塔で、国宝に指定されている。
五重塔は和様建築で、法隆寺五重塔(推古天皇十五年(607)建立)に次いで国内で2番目に古く、室生寺の最古の建造物で本尊を祀る本堂より古いとされる。
基壇上に建つ五重塔は総高は16.2mで、通例の五重塔の約三分の一の高さで建てられ、古代の塔としては逓減率が極端に小さい。 部材や銘板から鎌倉時代・江戸時代(明和)・明治時代に修築されたことが確認されているが、優美な姿は古の風格を感じさせる。 屋根は檜皮葺で、柱・軒廻・組物(斗栱)・高欄付縁など木部は全て鮮やかな丹塗り、また相輪の九輪の先には水煙の代わりに八角の天蓋を設けた宝瓶を配している。
平成十年(1998)の秋、台風7号の強風で倒れた杉が塔を直撃し、西北側の各重の屋根と軒が壊れたが、心柱を含めた根幹部は無事で、2000年7月に復旧された。
深い樹林に包まれてひっそりと建つ五重塔.....以前、JRのTVコマーシャルで観たまんまの優美な姿で、小ぶりながらも気品に溢れていて大いに魅了される。

本堂後方の樹林の中に建つ五重塔

平安時代初期(800年頃)の建立で、国内で2番目に古い

基壇上に建つ五重塔の総高は16.2mで、通例の五重塔の約三分の一の高さしかない、また古代の塔にしては逓減率が極端に少ない
 
檜皮葺の屋根で、二軒繁垂木、組物は三手目が尾垂木の三手先、蛇腹支輪

初重は板扉と脇間は白壁で窓がない
 
初重に縁がなく、二重以上に組高欄付き縁を設けている...相輪の九輪の先に水煙の代わりに八角の天蓋を設けた宝瓶を置いている

奥之院参道から眺めた五重塔、右奥は灌頂堂(本堂)の屋根
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談山神社の十三重塔

2018年05月25日 | 最古・唯一などの遺構

【奈良・桜井市】日本で唯一の木造十三重塔。
現在の塔は室町時代享禄五年(1532)に再建された。 創建は白鳳時代の天武天皇六年(678)で、藤原鎌足の長男・定慧和尚が、父の遺骨の一部を多武峰に会葬した際に建立したとされる。
白鳳時代の天武天皇六年(678)創建とされる藤原鎌足の菩提寺だった妙楽寺が改称されて談山神社となった境内に聳える十三重塔で、国の重要文化財に指定されている。
明治初期の神仏分離令による廃仏稀釈の嵐によって妙楽寺は廃寺となったが、仏教建築はそのまま神社境内に残った。
この仏塔は多檐塔といわれる構造のため、十三重の塔であるが高さは約17mと低く、高さ約32mの現存最古の法隆寺五重塔の約半分しかない。 初重の軒は高いが二重以上は低く、桧皮葺の屋根を積み重ねたようにみえる。 大きな屋根の初重は、軒下は二軒繁垂木、四方は中央間板唐戸で脇間は連子窓。 また、相輪の輪(傘蓋)は本来九輪なのだが七輪しかなく異例とされる。
ほとんど日が当たらない後方の屋根は苔に覆われているそうだが、失念した。
談山神社の十三重塔は、日本だけでなく世界でも唯一の木造多檐塔であり、「世界に一つ」の塔を目前にして、古建築鑑賞がますます楽しくなった。

檜皮葺の木造十三重塔(重文)....室町時代享禄五年(1532)の再建だが、創建は白鳳時代の天武天皇六年(678)....藤原鎌足の長男・定慧が父の追善のため建立
 
塔高は17m、相輪の輪は本来九輪なのだが七輪しかない....初重は板扉と緑色の連子窓....軒の四隅に宝鐸が下がる

十三重塔は唐の清涼山宝池院の塔を模して建立されたとされる

初層は二軒繁垂木、二層以上には小さな板扉(と思う)と小壁があるのみ

世界で唯一の木造多檐塔....深緑の季節にはさらに趣がある姿を見せるのだろう!
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當麻寺の石燈籠

2018年05月05日 | 最古・唯一などの遺構

【奈良・葛城市】日本最古の石燈籠。
白鳳時代(奈良時代前期)の造立とされる。 伝推古天皇二十年(612)創建の當麻寺の金堂の南側(双塔側)正面に佇む八角石燈籠で、国の重要文化財に指定されている。 百済から伝わった仏に燈明を献ずるための石燈籠....八角形の石燈籠は平安時代以前に多く造られ、鎌倉時代以降は六角形が主流になったようだ。
八角石燈籠は、金剛山地の北部に位置する二上山から切り出された凝灰岩で造られていて、高さは2.27m。 基礎部がかなり風化しており、笠・宝珠いずれも破損している。 火袋は木製の後補で、竿は銅張り太い円柱で中央に二筋の節(珠紋帯)を巻いている。 八角形の中台下面には力強い蓮弁が上に向かって彫られている。
お椀を伏せたような笠に蕨手がないが、蕨手がないのは新羅に見られる様式から古様を示していて、白鳳時代の遺構であることを裏付けている。
日本最古の官道「竹内街道」沿いに位置している當麻寺で、約1300年前から佇み続けている八角石燈籠....重厚にして素朴な造形に魅了される。

金堂南側の切妻造銅板葺の覆屋に佇む現存最古の石燈籠(国の重要文化財)
 
最古の石燈籠は基礎部がかなり風化&磨滅....笠・宝珠とも破損、火袋は木製の後補、八角中台の下面に請花、笠に蕨手がない/伏せ椀形の笠の径は、下部に古代形蓮弁が彫られた中台より小さい
 
入母屋造本瓦葺の金堂(鎌倉時代再建)の前に立つ石燈籠は白鳳時代(650~710年)の造立
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