桜満開の頃、ベランダで洗濯物を干していた時です。
散歩をしていた一組の年老いた男女がわが家の前で足を止めました。
「まあ!この家のお庭の背景が桜並木なんて、いいわねぇ。うらやましいわぁ。」
と女性が夫と思われる連れの男性に言いました。
やがて、2階のベランダの私に気づき、
「奥様、居ながらにしてお花見が楽しめるなんて、本当にお幸せですね。」とおっしゃられました。
わが家の庭は猫の額ほどの狭いものですが、奥のフェンスの向こうには見事な桜並木が広がっています。
でも、それが「うらやましい」と思われるような特別なこととは思っていませんでした。
それどころか、狭い土地に建つ小さな家であることに恥ずかしさすら感じていたのです。
ここに住めることが幸せだとはそれほど思っていないのに、「お幸せですね。うらやましいです。」と言われると、素直に受け取れない気もしたのですが、あの女性の言葉にはお世辞も嘘もないことは分かります。
ここは、素直に「ありがとうございます」とお礼を申し上げました。
そうなんです、私たち日本人は、相手から褒められても
「いえいえ!」
と否定しがちです。
中には、褒められたのに不快感を表す人すらいます。
自分自身が否定している部分を褒められても、自分が認められないのだから、相手の言葉を受け止めきれないのです。
否定している自分を否定されたように感じるからです。
でも、他者から好評価されたものは、いくら自分が評価していなくても、「それもありかも~」と認めてみることをお勧めします。
褒め言葉に特別な抵抗感がない時は、「いえいえ」と謙遜せずに、とにかく
「ありがとうございます!」
と口に出して返しましょう。
「素敵なスカーフ。よく似合っているわ。」
「いい仕事をしてくれた。」
「ピアノ、とてもお上手ですね。」・・・
恥ずかしくて否定したくなっても、そんなことはないと思っていても、
どんな時も褒められたら、素直に受け取ること、そして、ちょっと誇らしい気持ちを持ちましょう。
褒められたところをあらためて意識し、その部分に感謝しましょう。
やがて、少しずつ、自分が好きになり自分に自信が持てるようになるはずです。
それは、自信過剰になることとは違います。
根拠のない自信とは違います。
自分が「ここに居る」ことの自信となっていきます。
まさに、存在の肯定感です。
そこから、感謝を感じる気持ちが湧き出るのです。
否定の中から感謝は生まれませんから。
そうそう、私も、あの日老婦人から褒められたことにより、この家に住めることの幸せをしみじみと感じ始めました。
来年は、ここから見える桜ももっと美しく感じるだろうし、こんな環境にあることに心から感謝するだろうことは間違いないでしょうね
散歩をしていた一組の年老いた男女がわが家の前で足を止めました。
「まあ!この家のお庭の背景が桜並木なんて、いいわねぇ。うらやましいわぁ。」
と女性が夫と思われる連れの男性に言いました。
やがて、2階のベランダの私に気づき、
「奥様、居ながらにしてお花見が楽しめるなんて、本当にお幸せですね。」とおっしゃられました。
わが家の庭は猫の額ほどの狭いものですが、奥のフェンスの向こうには見事な桜並木が広がっています。
でも、それが「うらやましい」と思われるような特別なこととは思っていませんでした。
それどころか、狭い土地に建つ小さな家であることに恥ずかしさすら感じていたのです。
ここに住めることが幸せだとはそれほど思っていないのに、「お幸せですね。うらやましいです。」と言われると、素直に受け取れない気もしたのですが、あの女性の言葉にはお世辞も嘘もないことは分かります。
ここは、素直に「ありがとうございます」とお礼を申し上げました。
そうなんです、私たち日本人は、相手から褒められても
「いえいえ!」
と否定しがちです。
中には、褒められたのに不快感を表す人すらいます。
自分自身が否定している部分を褒められても、自分が認められないのだから、相手の言葉を受け止めきれないのです。
否定している自分を否定されたように感じるからです。
でも、他者から好評価されたものは、いくら自分が評価していなくても、「それもありかも~」と認めてみることをお勧めします。
褒め言葉に特別な抵抗感がない時は、「いえいえ」と謙遜せずに、とにかく
「ありがとうございます!」
と口に出して返しましょう。
「素敵なスカーフ。よく似合っているわ。」
「いい仕事をしてくれた。」
「ピアノ、とてもお上手ですね。」・・・
恥ずかしくて否定したくなっても、そんなことはないと思っていても、
どんな時も褒められたら、素直に受け取ること、そして、ちょっと誇らしい気持ちを持ちましょう。
褒められたところをあらためて意識し、その部分に感謝しましょう。
やがて、少しずつ、自分が好きになり自分に自信が持てるようになるはずです。
それは、自信過剰になることとは違います。
根拠のない自信とは違います。
自分が「ここに居る」ことの自信となっていきます。
まさに、存在の肯定感です。
そこから、感謝を感じる気持ちが湧き出るのです。
否定の中から感謝は生まれませんから。
そうそう、私も、あの日老婦人から褒められたことにより、この家に住めることの幸せをしみじみと感じ始めました。
来年は、ここから見える桜ももっと美しく感じるだろうし、こんな環境にあることに心から感謝するだろうことは間違いないでしょうね