that blog-ish thingy

ブログ的なアレです。

母親

2008年10月12日 | なんとなくアレなやつ
先日お茶をしている時に父親の話をしていたが、不意にこう聞かれた。

「けんたくん、お母さんとは仲良いの?」

そういえば父親の話はこのブログでもよくするが、母親の話はあまりしない。



先日もチラッと話はしたが、うちの母親は就職して間もなくしてから結婚をした。しばらくしてから私が生まれ、さらにその半年後、単身赴任の父親に合流するためにブラジルに行った。

その頃の話は今でもよく聞かされる。
ポルトガル語が話せなく、肉屋で肉を買えずその場で泣いてしまっただとか、治安が悪いので街中でも神経を尖らせていなければならなかっただとか、私が相当ワガママで困っただとか。



ブラジル生活の後も父親の仕事に付いていく形で、オーストラリア / アメリカなど、慣れない環境での生活に相当苦労をしたそうだ。

そういうこともあってか、もしくはただ単にそういう性格だったのか、かなり厳しく育てられた。鉄拳制裁含めた「厳しい躾」には、子供心ながら相当に辛かった。そして、うちの母親、何よりもそもそもが神経質な性格なので、よくヒステリックになり、正直、父親ですらお手上げな場面が何度となくあったと記憶している。

そういう事もあってか、母親に対する苦手意識みたいなものは多かれ少なかれあった。



そんなこんなで私も高校を卒業。
いよいよ大学に進学。
と、同時に父親のアメリカ転勤が決まる。
母親と弟もアメリカに行くという。
なので、私は日本で独り暮らし。
家族と離れ離れの生活が4年近く続いた。

4年後、家族全員が帰国した。
一番驚いたのは母親が丸くなっていた事。

「なんか昔ほどヒステリックにならなくなったね」

「そうかもしれないわね、あんたたちも手がかからなくなってきたし」

「いやー、正直、今だから言えるけど昔は相当面倒くさかったよ」

「あのね!あんたちょっと聞きなさいよ!私があそこで厳しく躾けてなかったら、あんたチャランポランな人間になってたかもしれなのよ!感謝しなさいよ!」

ヒステリックでは無いけれども、何だか随分と偉そうな口調になっていた。

恐らくなのだが、うちの母親はものすごく真面目で頑固で一徹なので、今までは「子育て」というものに全身全霊をかけていたのだろう。今でもきっとそれは変わってはいないとは思うのだが、その力のかけかたが変わったというか。なので、偉そうというか、ある意味での余裕のある性格に変わったように見えたのだろう。



実はこの手の他愛も無いやりとりは食卓でもよく繰り広げられる。

「もー、テレビばっかり見てないで。ほら、ご飯おいしい?」

「あー、うん。おいしいね」

「それなら『おいしい!』っていう意思表示くらいしなさいよねー」

「いや、うん、ごめん。だからおいしいってば」

「そういう言い方ないでしょー、この家ね、誰で持ってると思ってるのよ、私が病気で倒れたら、あんたたちどうするのよ」

「まー、そうだね。そのー、ありがとう」

「もう、ほらお父さんも、何か言って」

「俺はいつもおいしいって言ってるよ?」

「言ってないじゃないの!」

2日にいっぺんはこの会話だ。



就職してからは、私が神戸やイギリスに行ったりで、なかなか一緒に住む機会は無かった。
で、何だかんだでやっぱり寂しいのだろう。ちょこちょこと連絡を入れてくる。

「ちゃんとご飯食べてるの?」

「うん、大雑把だけど料理とかもしてるよ」

「野菜もしっかり食べてるの?」

「食べてますよ、ご心配なく」

「もう、どうせロクな物食べて無いんでしょう・・・そっちに料理しに行ってあげようか?」

「いいよ!来るなよ!」

「何よ!おいしいご飯食べられるのよ!」

「ハイハイ、そうだね」

「『ハイ』は1回で良い!」

「ハイ、ごめんなさい」



この歳になって不思議に思う事なのだが、つい最近までは「母親みたいな人とは付き合いたくない」と思っていたのが、ここ1年ほどでそれが変わったんじゃないかと思う。

確かに母親は未だにウザイ。
昔は神経質だったから。
今はしっかりし過ぎている上にしつこいから。
でも気丈だし、空回り気味の頑張り方には、何かしらの可愛らしさみたいなものもある。

しかも振り返ってみれば、今まで付き合ってきた人たちはうちの母親と性格が似ていたんじゃないかと今さらながら思う。得てしてみんなしつこかったし、だけれどもしっかりしていたし、可愛らしかったし。当時はそういう母親の要素が付き合っている相手にあるという側面を認めたく無いというか、気付かないフリをしていただけなのかもしれないが、今は「あぁ、何だかんだで似てたんだな」と素直に思える。だから最近は「元気印」だとか「肝っ玉母さん」みたいな人が好みだと言えるようになったんじゃないかと。

というか、その話だけでいくと、神戸時代の彼女は(すぐ別れたけど)ヒステリックな元気印だったなぁ。「逃した魚は」みたいな話かもしれないけど、あの子は本当に良い子だったなぁ。

ま、とは言いつつも Life goes on。
何とか良い人を見つけたいなと思います。

というわけで、神経質で元気印で、2年後に就職する新入社員の方、アレを色々とよろしくお願いします。

コメント
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