that blog-ish thingy

ブログ的なアレです。

Thongs

2010年09月16日 | なんとなくアレなやつ
先日お会いした女性がオーストラリアにしばらく住んでいたことがあるということで、オーストラリア談義に華を咲かせてきた。
(ボクも小学校・中学校とオーストラリアにいたので)

そこで話題になったのが、オーストラリア特有の言葉。

例えば林とか森。
通常であれば、"Woods" とか "Forest" とか言われるけれども、オーストラリアでは "Bush" と呼ばれている。
多分、これはオーストラリアだけだと思う。

あとは "Barbie" とか。
これは "BBQ" のこと。

ついでに "Snakes" とか "Frogs" もオーストラリア以外で見たことが無い。
ヘビやカエルの形をしたグミのことなのだけれども。



そういう様々なオーストラリア特有の用語の中でも際立って変なのが、ビーチサンダル。
これは "Thongs" と呼ばれていた(分かる人にはこの時点でネタバレしてると思いますが)。
その「ビーチサンダル=Thongs」がインプットされたまま時は経ち15年、イギリスへと転勤になった。

ロンドンでのある夏の日、イギリス人たちと与太話をしている時に(イギリス人が大好きな)天気の話になった。

「いやー、今日は暑いね」

「そうだね、こんな暑いはThongsでも履いて会社に来たいよね」

「・・・は?」

「えっと、ほら、Thongsだよ。ビーチサンダル。Thongsって言わない?」

「いや、Thongsってビーチサンダルじゃないよ、Tバックのことだよ。お前、会社にTバック履いて来たいの?」

とんだ赤っ恥をかいた。



で、なんでオーストラリア人がアレを "Thongs" と呼んでいたかを考えていた。
ビーチサンダルを履いたときに、足の親指と人差し指の間に鼻緒が入った感じがTバックに見えるからじゃないかと。

すごく低俗でユーモアのセンス抜群のネーミング。
ただ、オーストラリア以外だと赤っ恥かくことになるので、そういう変な用語を定着化させるのはホントやめて欲しいなと改めて思った次第です。


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お独りさま

2010年09月13日 | なんとなくアレなやつ
「独りで飯を食っていると、本当に寂しくなってくる」みたいな話をとある女性にしたところ、それは独りで映画を見るのと似ているかもしれないねと言われた。

その女性、独りで映画に行くのは寂しくて嫌だったのだけれども、どうしても見たい映画があったらしく、ある日、思い切って行ったらしい。
ただ、独りで寂しく座っているところを誰かに見られるのが嫌で、上映開始直前の照明が落ちるあたりまで外で待機し、係員がそろそろ扉を閉めるか閉めないかぐらいのタイミングで中に入ったそうな。

何か、そういうのって、ただのおバカな笑い話でしか無いのだけれども、なんとなく健気というかいじらしいというか。
ちょっとだけ父性本能がくすぐられました。

・・・とか言っている自分が一番おバカなんでしょうけど。



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オデュッセイア

2010年09月12日 | 本・映画・音楽レビュー
そういえば、ここ最近、本のレビューとか書いてなかったなあ、と思ったのですが、最近読んだ本は「オデュッセイア」ぐらいなものでして。
オデュッセウスというギリシアの男の人の波乱万丈な人生を描いた作品なんですがね。

そもそも何でこんな本を読もうかと思ったかと言うとですね「ヒストリエ」という漫画があるんですね。
マケドニアのアレクサンドロスに仕えていた、エウメネスという書記官の話。で、このエウメネスが幼少時代に「オデュッセイア」を読みながらワクワクしたみたいな件があったんですね。
で、「そこまで面白いのなら、一度読んでみなければ」と思ったことが発端です。
動機がかなりどうでも良い。



で、読み終わりました。
だいぶ時間かかりました。

どういう話だったかを掻い摘んで話すと、戦争が終わって故郷に帰ろうとするオデュッセウスに、アレやコレやの災難が降りかかり、なかなか帰国することが出来ない。で、艱難辛苦を乗り越えて帰国してみると、雑多な男たちがオデュッセウスの奥さんのペネロペイアに求婚をしていることが発覚。そこで、オデュッセウスがアレやコレやして、この男たちをアレするという話です。

大して面白くなさそうな話に聞こえるかもしれませんが、まあ、でもそういうことです。

ただ、ストーリー以前に何が辛かったかと言うと、作品内のイチイチの表現。
例えばこういうの。

さて、この時現れてテレマコスの傍らに立ったのが、このポリュペイデスの息子で、名をテオクリュメノスといった。快速の黒船の傍らで、テレマコスが神に献酒し祈願しているところに行き会うと、彼に翼ある言葉をかけていうには、

「もし、そこのお方、わたしはたまたまこの場所で、あなたが神を祀っておられるところに出会ったので、そのお供物、あなたが祈っておられる神様、さらにはあなた御自身と、あなたの連れの方々の命にかけてお願いいたすが、ありのままに包み隠さず、わたしのお訊ねすることに答えて下さらぬか。あなたはどなたで、何処からおいでになったのか、あなたのお国は何処で、親御たちは何処においでか。」


ひたすらまどろっこしい。
まあ、そもそもが物語というか「詩」なので、要らぬ美辞麗句が散りばめられていてアレなわけです。

読むの疲れました。
しばらくギリシア系の本は読まん。

ただ、当時のギリシアの風習・考え方や、ギリシアの神々がどういう立ち位置にいたのかなどを理解するにはうってつけの教材。
歴史に興味ある方は是非。


コメント (2)
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蕎麦屋の出前

2010年09月10日 | なんとなくアレなやつ
どうも「蕎麦屋の出前」という表現はあまり一般的ではないらしい。
先日、この表現を使ったところ、意外と多くの人がその表現を知らなくてビックリした。

蕎麦屋の出前とは「作業に遅延が発生しているときの安易な言い訳」のこと。
蕎麦屋が出前の料理を作るのを忘れていて、客から催促されたときに「あ、今出ました!」と、とりあえずの言い訳をして慌てて作り始めるという一種の「出前あるある」。



という話をしていて思い出したのだが、最近の出前事情ってどうなっているのだろうか。

昔は蕎麦屋だとかラーメン屋の出前だとかはよくあった。
食べ終わったら、食器を洗って玄関口に出しておいて回収してもらって。

ただ、最近はセキュリティの厳しい集合住宅が多いのかもしれない。
仮にそうだとすると、玄関前での回収も難しいだろうし、共用口(玄関とか郵便受けの下だとか)に置いた日には杓子定規な住民から「景観が損なわれる」だとかクレームが入りそうだ。
出前業界も色々と厳しそうだ。

ただ一方で、「昔ながらの出前」だとか「玄関先に置いてある食器」というのは、あれはあれで「昭和の古き良き景観」だった気がする。
岡持ちを片手にチャリンコやらバイクやらで出前をする風景は、何とも平和でホノボノしていた。

あとは、岡持ちから料理が出てくるときに「あの蓋、中華包丁っぽいな・・・手とか挟んだら指切れるのかな・・・」と毎度のように思ったことだとか、水滴が付きまくったサランラップをはがしたときに立ち込める独特の香りだとか。

・・・昭和だなあ、懐かしいなあ。

そうやって考えると、こういう懐かしい思い出って、「蕎麦屋の出前」という古き良き日本語と共に、今後は影をひそめていくのかもな、なんてことを思ったり思わなかったり。
ちょっと寂しいですね。


コメント (5)
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Wave under the sun

2010年09月06日 | なんとなくアレなやつ
最近、腹回りがヤバイので泳ぎに行くことに。

と、その前にどこかで腹ごしらえをしようとウロウロとしていると、管楽器の音が聞こえてきた。
音源の方に足を向けてみると、某コーヒー会社の本社前でビッグバンド(甲南大学のバンドがツアーをしているらしい)が演奏をしていた。

ついでなので、ここで昼飯を済ますことに。



昼飯は不味くも無ければ美味くも無い。
ザ・フツー。

ただ、演奏は素晴らしかった。
若々しくて、ハツラツとしていて、こう・・・何とも言えない軽やかな気分にさせてくれた。
プロが奏でる洗練された音楽とはまた違う良さがある。

あとは、やはり生の音であるということ。
音の波に、耳だけじゃなくて、体全体で包まれるあの感じがたまらなく気持ち良い。



それにしても話は変わるのだけれども、三ノ宮に人がいない。
この暑さのせいだろうか、いつもの活気が全く無い。
軽いゴーストタウン。

そろそろ気温が落ち着いてはくれないものだろうか・・・。


コメント (2)
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