that blog-ish thingy

ブログ的なアレです。

え?ボヤキじゃなくてつぶやき?どっちも似たようなもんですよ。

2010年04月29日 | なんとなくアレなやつ
特に書くことが無いので、適当にボヤキます。
こういうの何て言うんでしたっけ、ツイット?

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イギリスでは、アイスランドの灰が未だに降り注いでいるらしいのです、飛行機は飛んでいますが。
目に見えない微粒レベルの灰を吸っているのかと思うと何だか嫌な気もしますが、タバコを吸っている身分でそんなことは言えないよなと反省。

タバコと言えば、日本でタバコ値上げするらしいですね。
マイセンで410円でしたっけ?
喫煙家のボクが言うのも変な話ですが、値上げ、別に良いんじゃないかと思います。
嗜好品と考えれば、まぁ、そんなもんじゃないかと。
ただなー、タバコ、そろそろやめるかなー。
なんてことを考えています、やめてないけど。

そういえばイギリスでは、夜の19時になっても日が出ています。
20時でようやく日暮れといったところ。
サマータイムが無かったら、日の入りは21時だってことだよなー。
やっぱりサマータイムって必要なんだなとシミジミ思ったり思わなかったり。

で、そういうこともあってかなくてか、イギリスもそろそろ暖かくなってきました。
コートを始めとする冬物をようやく片付けることが出来ました。
ちなみに先日、リスボンの同僚に電話をしたら「こっちは気温30度よ。暑いったらありゃしない!」と言っていました。

と、そんな感じで過ごしやすくなってきたイギリスなのですが・・・なのですが!

まだちょっと出し惜しみしておきますかね。
後日、改めて色々と報告します。


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イタリア旅行記(17)フィレンツェの残り

2010年04月29日 | 旅行とか出張とかアレとか
というわけで、残りのフィレンツェを書きたいと思います。
例によって長くてすいません。

さて、この日は朝の6:30から行動を開始したわけです。
というのも、昼過ぎにはフィレンツェを出発して、イギリスに戻らなければならなかったので。

というわけで、まずはサンタ・トリニタ橋を通り、南へ。



左手にポンテ・ヴェッキオが見えます。



そして、薄暗い通りを抜けながら、ピッティ宮を目指します。



どうでも良いんですが、こういう青って、何だか人を遠ざけるような色だよなーと。
暗澹たる陰鬱な青というか、ヨーロッパ映画とかに出てきそうな青というか。
少なくともイギリスだと、こういう何者をも寄せ付けない青っていうのは無い気がするな・・・なんてことを思っていました。

そんな話はさておいて、ピッティ宮。
この中には膨大なアレが色々とあるのですが、朝の7:00に開いているわけもなく。



ただ、ホントはものすごく行きたかった。
残念。



なので、ピッティ宮の雰囲気だけ味わって、今度はグィッチャルディーニ通りを北へ上がります。



なお、この時点では「わが友マキアヴェッリ」を読み終わっていなかったので知らなかったのですが、どうやらその昔、塩野七生女史の友、マキャヴェッリがここらへんに住んでいたらしいです。

ついでにこの「グィッチャルディーニ通り」について。
イタリア語で書くと "Via de'Guicciardini" になるんですが、この "Via" というのは英語でも使われます。
「○○行き」だとか「○○経由で」といった形で。
なので、この通りの名前も、本来は「グィッチャルディーニ通り」じゃなくて「グィッチャルディーニ家(フィレンツェの名家)の屋敷に向かう道」という意味だったんだろうなと。

加えて、ジェノヴァでも見かけた "Via Roma" という通り。
これは、ジェノヴァに限らず色々な町で見かけるわけですが、要するに「ローマ行きの道」と。
全ての道はローマに続いていたわけです。

さらに、"Via" が未だに英語で使われているというのも面白いなと。
その昔、イギリスはローマ帝国に占領されていた時期があって、ロンドンなんかも単にローマ帝国の駐屯地でしか無かったわけです。
そういう何世紀も前に使われていたラテン語が("Via" に限らず、"concentrate" とかもそうですが)未だにずーっと使われ続けているというのは、何だか悠久の時代を感じるというか、ロマンが詰まっているというか・・・個人的には大興奮ファクターです。

そこらへんを書き始めるとマジで長くなりそうなのでここらでやめておきますが、いやー、ホント面白いですよね。




というわけで、グィッチャルディーニ通りを、ポンテ・ヴェッキオ手前でクイッと右手に曲がり、今度はベルヴェデーレ要塞を目指します。
高台から早朝のフィレンツェを眺めたいと思います。



こういう、そこそこの勾配のある坂を延々と登っていくわけです。
なかなかの重労働です。



で、かれこれ15分ぐらい登ったでしょうか。
坂の上に辿りつくと・・・



閉まっております。

何これ?
自由に入れる公園みたいなところがあって、そこに展望台があるんじゃなかったの?

ちょっと別の入口試してみるか・・・。



閉まっております。

なんだよ!閉まってるじゃねーかよ!
「地球の歩き方」にそんなこと書いてなかったぞ!多分。

ベルヴェデーレ要塞
催事のみ開場
'09年5月現在、閉鎖中
要塞内部に入らないと、町を見下ろす風景は楽しめないが・・・(以下略)


ほほー。
じゃあ・・・次のところへ行きますかね。



というわけで、再び坂を下り、





アルノ河まで戻ります。



ベルヴェデーレ要塞に行ったがために30分ほどのロスを強いられましたが、まぁ、これも旅のアレだということで。



で、ナントカグラッツィエ橋。






ここから見る朝日は何とも穏やかで儚くて、このまま風景に溶け込んでしまいそうになりました。






塩野七生女史はアルノ河沿い(ここよりもっと下流のところ)に住んでいらっしゃったみたいですが、



俺も、いつかは!

と心に固く誓ってはいないですが、まぁ、でもフワッとは誓いました。

ちなみに河がこんなに穏やかなのは、上流の方で堰き止めをしているからです。
下流の方でも堰き止めしています。



さて、そんな心地よい風景を後にし、足を向けたのがサンタ・クローチェ教会。



マキャヴェッリの墓が中にあるので入りたかったのですが、復活祭につき閉館。
中に入りたかったなー。



ちなみに、教会のファサードに六芒星があったのですが、



何故これがあるのかが謎。
あんまり他の教会とかでは見かけないので。

フランチェスコ派が何かのシンボルで使ってたとか、そういう感じかなー。
まだ調べていないので今後の課題ということで。



続いて、進路を西にとり、バルジェッロ国立美術館。



再び中には入れず。

ここ、今は国立美術館ですが、元は行政長官の館で、牢屋なんかもあったらしいです。
そこらへんは塩野七生「銀色のフィレンツェ」で生々しく描かれているのでご存知の方も多いはず。



で、そこから南へちょいと行くと、再びヴェッキオ宮に戻ってくるわけです。



さて、このヴェッキオ宮について、1498年6月19日当時の描写を、塩野七生「わが友マキアヴェッリ」から引用したいと思います。
マキャヴェッリという人は、フィレンツェ政府の官僚を経て、自称歴史家・喜劇作家・悲劇作家となった人であり、塩野七生女史の友です。
1498年6月19日は、マキャヴェッリが官僚として初登庁した日です。

パラッツォ・ヴェッキオ(政庁)前のシニョリーア広場は、ほぼ現代と同じ広さであったはずである。しかし、舗装は、石ではなくて赤いレンガの時代だった。政庁を正面にすれば左側に立つブロンズの騎馬像は、フィレンツェ共和国崩壊後のトスカーナ大公国初代大公コシモ・ディ・メディチの像だから、共和国健在の当時はまだない。





政庁に近接して水を噴きあげる海神ネプチューンとニンフたちの群像も、マキアヴェッリの時代にはまだない。





政庁の正面を飾るミケランジェロ作のダヴィデの虚像は、一五〇四の完成だから、初登庁の当時は眼にしなかったにしろ、その後は毎日いやでも眼に入る存在だっただろう。





これ以外は、ドナテッロ作のジュデッタの像をのぞいて、ロッジアと呼ばれる屋根つきの集会所の中に現在置かれている像の多くの像は、マキアヴェッリの時代にはなかった。



ロッジアは、雨が降っても市民の集いに支障をきたさないためという当初の目的を、当時はまだもちつづけていたのである。フィレンツェが、都市国家の中心であった時代が過ぎ、君主国家トスカーナ大公国の首都に変る十六世紀半ば以降からは、ロッジアも広場も、市民の集いの場から、君主の権勢を示す展覧会の場所に変わってしまったことになる。

だが、マキアヴェッリの時代の政庁の主は、まだ共和国ゴンファロニエレ(大統領)だった。だから政庁の正面入口のすぐわきには、政庁を守るかのように、赤いあやめを描いた盾に前脚をかけた獅子の石像が立っていた。



野生の赤あやめは、都市国家フィレンツェの紋章である。この獅子は、場所は少し移動させられたにしても、現在でも政庁の前にある。



パラッツォ・ヴェッキオを、正面からではなく、横から眺めると、不釣合に増築されたことが誰にもわかるが、この二分の一弱におよぶ増築部分も、大公国時代になってからの産物である。



(中略)わずか半世紀のちがいにすぎなくても、二つの時代の美的想像力のちがいを見せつけられる想いがする。




さ、無駄に長くなってきたので、残りをサクッと。

ウッフィツィ美術館。



元々政庁の一部です。



開館15分前に並んだのですが、既に行列が。
長蛇の列、という程ではなかったものの、うーん、どれくらい待ったのかな?それでも20分くらいは待ったような気がします。



ちなみに、右側のベニヤ板っぽいアレのちょい先が入口。

で、ウッフィツィ、面白かったです、かなり。
詳細は今日は割愛します。



で、最後。
Pineiderという革製品の店。



散財しました。

で、ここからダッシュでサンタ・マリア・ノッヴェラ駅へ。
そこからピサへ向かい、なんちゃら空港から飛行機でイギリスに戻ってきたという次第です。



それにしてもフィレンツェ面白かったなー。
復活祭とかぶったせいで行けないところも多かったのだけれども、まぁ、それは次回フィレンツェ・ローマ旅行で挽回ということで。
あと、これは強がりじゃなくて、一人旅、すげー楽しいです(飯の時間以外は)。

というわけで、旅行記は一応これで終了です。
後日、気が向いたらサヴォナローラ、コジモ1世、ウッフィツィ美術館あたりを書こうかなー、なんて思ってますが、まぁ、気分次第ということでアレを色々とよろしくお願いいたします。



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曇りなき眼が見た世界

2010年04月27日 | なんとなくアレなやつ
先日、会社の上席(ナナミーの上司)の自宅に呼ばれご飯をご馳走になってきました。
奥様のおいしい手料理をつまみながら酒飲んで、仕事の話もしながら・・・となかなか有意義な時間を過ごしてきました。
で、その上席の息子さん(3歳だったかな?)とも久々に遊んできました。

この子、半年前に会ったときはまだ言葉もおぼつかなかったのに、急に色々と喋れるようになっていてビックリしました。
ただ、もう、なんというか、良い意味でヤンチャでして。

例えば、ソフビのウルトラマンとかで遊ぶわけですよ。
で、得てして息子さんがウルトラマンやセブンを持って、ボクがレッドキングやらメフィラス星人を持って対決、というパターンになっていくわけなんですね。
最初は向こうも「スペシウム光線!」とかやるわけなので、こっちは「グワーッ!」とかやっているわけなんですが、やられているばかりじゃこっちもつまらないので「バリアー!スペシウム光線なんて効かないぜ!」とかやるわけです。
・・・3歳児に対してちょっとムキになっている30歳がいるわけですが、まぁ、それは置いといて。

するとですね、スペシウム光線がバリアーで防がれてしまうので、代替手段として今度はボクの怪獣たちを直で叩き始めるわけです、もう今までの必殺技云々とか関係無しに。
すると、こっちも負けじと、今度は立ち上がって子供の手が届かないところに怪獣たちを避難させるわけです。
「攻撃届かないだろー!グハハー!」と。

で、どうするのかなーと思っていたら、今度はその子、ボクに直接攻撃を仕掛けてくるわけです。
もう腹やら足やら、本気でバシバシと叩くわけです。

そうか、怪獣への攻撃が届かないなら、怪獣を持っている本体に直接攻撃を仕掛ければ良いってことか、何という柔軟な発想。
その機転の利いた行動に感服しながら、殴る蹴るの暴行に耐えていたわけです。



そういう中で「あぁ、子供っていうのはホントに素直だよな」と思う場面が多々ありまして。

息子「あはは、けんたしゃんて何か変!」

け「へ、変じゃないよ!お兄ちゃんは普通だよ!」

息子「変だよ、頭が変!きゃははー!」

なんだそれは、頭髪のことか。
それとも、普通に頭がおかしいということか。

いずれにしても、純粋無垢な子供の曇りなき素直な発言により、少々傷ついたというか、もう30歳なんだし色々と改めなくちゃいけないんだろうなと・・・予想外の反省をさせられた次第でございます。


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なんとなくアレなやつ(999個目)

2010年04月25日 | なんとなくアレなやつ
さて、今日はですね・・・何を書こうかで迷ってます。

本当はウッフィツィ美術館のことだとか、サヴォナローラのことだとか、コジモ1世の台座に書いてあるイタリア語を解読するだとか、そういうことを書きたいのですが、ちょいとイタリア話、食傷気味になってきたのでやめておきます。

というか、ここ数日、イタリアのことばかり書いてて我ながらどうかと思うわけです。
皆様におかれましては、お前、そろそろ違うこと書けよな!とだいぶ前から思われていたことと存じます。
大変申し訳ございません。
Tante pardon。

ただですねー、イタリアがねー、ホントにねー、面白いんですよねー。
激熱というか、鉄板というか、設定⑥確のドル箱カチ盛りなんですねー。

そういえばですね、先日、会社の帰りに本屋寄ったんですよ。
で、買った本というのがこんな感じでして。

◎ 塩野七生「黄金のローマ」
◎ 秦野るり子「バチカン」
◎ 浅野和生「ヨーロッパの中世美術」
◎ 梅田修「地名で読むヨーロッパ」
◎ 浜本隆志「紋章が語るヨーロッパ史」

我ながら何をやっているんだ、と。

おっと、気付けばまだイタリアの話してる。
というわけで、ここらでやめておきます。
ちなみに、来月、フィレンツェとバチカンに行ってきます。



さて、他に何か書くことがあるかと言われればですね・・・まぁ、特に無いんですよね。

あ、そうだ。
このブログ、申し訳ない程度に「カテゴリー」ってやつがあるんですよ。
「仕事とか堅苦しい話」とか「旅行とか出張とかアレとか」とか。
「とか」ばっかりだな、今さらだけど。

そう考えると「とか」ってどういう意味なんだろ。
多分、あんまり正しく無い日本語なんだろうなー。

・・・どうでもいいや。
一瞬「『とか』ってどうなんだろう!」と思ったんですが、その次の瞬間に興味が失せました。

そうそう、で、「カテゴリー」の話なんですがね、そのうちの一つで「なんとなくアレなやつ」というカテゴリーがあるんですよ。
これが今日の投稿を持って999個目となりました。
何もやってないけど、やったー!

ただ、正確には、ものすごい過去の記事は分類するのが面倒くさくて「なんとなくアレなやつ」も「なんとなくアレなやつ」じゃないやつも、全部「なんとなくアレなやつ」のままにしているので、そういう意味では実際に「なんとなくアレなやつ」が999個あるわけじゃないんですよ。
回りくどい。

いや、それにしても、999個って。
The Galaxy Express 999 か。

銀河鉄道999(オープニング) ゴダイゴ


一人で歌ってると、最後の方の "A journey to the stars" から "The Galaxy Express 999" に移る部分が歌えないんですよねー。
というか、出来るけど、やると窒息する。

そういうこともあって、そこの繋ぎの部分、誰か歌ってよ!とか思うんですけど、意外と誰もその曲歌えなくて、しまいには「何だか頑張って歌ってるねー」みたいな軽い哀れみ込みの視線を投げかけられたりだとかしてちょいとばかしツライんですよねー。

あと、ゴダイゴと言えば、やはり西遊記が面白いですよね。

ドラマ「西遊記」OP&ED


そういえば、小学生と中学生の頃、オーストラリアにいたんですがね、西遊記の再放送(英語吹き替え版)放送されていました。
堺正章が髪の毛をブチッとやって「シュシュッ!シュシュシュシュー!」みたいなの見てました。

何だこれ。
何故、俺は西遊記の話なんかをしている。
そんな話、全くしたくないぞ。

というわけで話題を変えましょうかね。
そうですね・・・仕事の話とか?

そういえば最近仕事の話あんまりしてないですよね、昔ほどは。
いや、話せることはあるんですよ。
ただ、書いてもどうにもならないというか。

というのも、結局、何を書いても一面的になっちゃうんですよ。
状況、人、立場、タイミング、お金、政治。
そういうって、多かれ少なかれ、イチイチが「変数」なわけじゃないですか。
仕事って、そういう変数を複合的に考えて、その時々でベストに組み合わせていくことが多くて、そういう意味では何を書いても、一面的な説明に留まってしまうんですね、全てを書かない限りは。

というか、そこまで本腰入れずに、フワリと書けば済む話なんですが、それじゃあ嫌なんです、書くならちゃんと書きたいんです。
でも、今日はフワリと書けそうな気がするので書いてみるとですね、まぁ、例えばなんですけどね、日系企業が海外展開をするにあたってこういう壁があるよねだとか、海外でガバナンス効かすためには本質的に何々を見直さないとそもそもダメだよねだとか、そういうのを踏まえながらいかに自分のキャリアに幅を持たせていこうかね、だとか。

あとは・・・株式会社という実質上の寡頭政治体系を見直して、ヴェネツィアの共和制を導入したら面白いんじゃないか、だとか。
十人委員会を設置して火急の判断を下せるようにするだとか、1年 or 2年任期で役員・幹部社員を交代して権力の集中化を防ぐだとか、あとは、念には念を入れ過ぎたくじ引き制度を導入して公平性を保とうだとか。

まぁ、この話はナナミーと冗談半分で話してたんですが、でも、意外と面白いんじゃないかと個人的には思ってます。
デメリットもたくさんありますが、今の色々な状況を鑑みるとメリットは大分あるので。

ねー。
結局、気付けばイタリアの話に戻ってしまうんですよ。
絶対そうなると思ってた。

というか、もういいや、開き直ります。
イタリアのこと書きます。
だって、もう、それしか興味無いんですもん、今は。

というわけで、また明日からイタリアの話を・・・多分、すると思います。

でもなー。
あんまり書きたくないなー。
誰も興味ないであろうことをガリガリと書いても仕方ないしなー。

あーもー、どっちだよ。
さっさと決めろよ、俺。
しらねーよ、俺。

まぁ、いいや。
考えても仕方が無いので明日の気分で決めることにします。
またイタリアの話だったら予めすいません。

という、極めて締まりの無い文章ですが、アレを色々とよろしくお願いします。


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KOI-GOKORO

2010年04月24日 | なんとなくアレなやつ
その昔に淡い恋心を抱いていた女の子と、久々にサシで飯を食ったのですが、



色々とカマをかけてみたところ、どこかの男と二人で旅行に行ってきたという事実を探り当て、ちょいとブルーになりました。
その子のことを諦めてからかれこれ1年以上が経つというのに、なに、この軽い衝撃。

忘れない KOI-GOKORO
いつまでも KOI-GOKORO

彼女はいつもミルクッティー、イェッエーイ!って話ですよ、ホント。

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