that blog-ish thingy

ブログ的なアレです。

異動しました。

2011年04月14日 | 仕事とか堅苦しい話
もう発表しても良い頃合いだと思うのですが・・・異動しました。

今までは技術職的なことをやっていたのですが、思い切って営業に異動することにしました。
異動理由は色々とあったのですが、一番大きな要素としてはお客と直で話をしながら緊張感を持った仕事をやりたいから、と言ったところでしょうか。



というわけで、今までとは全く異なる環境で仕事をしているわけですが・・・まあ、キツイのなんの。
飛び交う用語は分からないし、どう動いて良いかも分からないので全て手探り。
中でも一番戸惑っているのが、仕事の在り方の違い。

今までは100という決められた枠の中で、いかに100を短納期・高品質で仕上げるか、もしくは100をキープし続けるかというのが命題だったのに対し、今は「100出来たんだ。じゃあ105売ってきて」という世界。

まだそんな厳しいことを言われているわけではないけれども、原理だけを言えばそういう世界。
今まで培ってきた常識だけを頼りにすると、まあ、まずダメなんだろうなと。

全て分かっていたことだし、覚悟もしていたけれども、やっぱり現実はすごく大変です、かなり焦ってます。
ただ、前向きに考えると、毎日新しい発見ばかりだし、そういう意味では異動自体は非常に正しい選択だったのかなと。

いつの日か何か自分の中で何かしらのブレークスルーというか「ハッ!そういうことか!」みたいな手応えを掴める日がやってくるとは思うのですが、その日が来るまではコツコツと頑張っていきたいと思います。


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That's the way life is

2011年04月07日 | なんとなくアレなやつ
何だか最近、色々なことで落ち込むことが多い。
そこで何か前向きになれる曲が無いものかと思っていたところ、こういう曲があることを思い出した。
Pet Shop Boys の "Se A Vida E(That's the way life is)"





さて、この "That's the way life is" とは、「人生ってそういうもんだよ」という、言ってみれば「ありのままを全て受け止める」という「諦め」のニュアンスを多分に含んでいる。"Life goes on" だとか "c'est la vie" なんかも同じニュアンスを含んでいる。そしていずれの表現も、ある種の格言として位置付けられており、その言葉自体が国民性や民族性をそのまま表している場合もある。

ということを踏まえて、日本語でこういう「現実を受け止める+諦め+格言レベル」の表現があるかどうかを探してみたのだが、意外と無いことに気付いた。

近いところで言えば「まあ、そんなもんだよ」という表現はある。
でも、これは口語レベルの表現であって「格言」や「国民性」を表すものではない。

他には「人生山あり谷あり」という表現も諺としてはあるが、これには「諦め」や「ありのままを受け止める」という主観性が欠如している。
どちらかと言うと、人生におけるアップダウンを客観的に表現しているという色合いが濃い。

今のところ一番近い表現としては水戸黄門のオープニングの歌詞が挙げられる。

人生楽ありゃ苦もあるさ
涙の後には虹も出る
歩いてゆくんだしっかりと自分の道をふみしめて


これはニュアンス的にはかなり近い。
ただ、とても前向きだ。
何も諦めていない。



そうやって考えると「ありのままを受け止める」という表現は存在したとしても、「諦める」というニュアンスを含んだ表現は、もしかすると日本語には存在しないのかもしれない。そして、それは同時に日本人が、良い意味で「諦め」が悪く、ありのままを受け止めつつもしっかりと前に進もうとする人種・・・というか、そういう国民性を強く持った国なんだろうなと。

何だかそうやって思うと、日本人でいることにちょっと誇りが持てるというか、日本人で良かったなと思えてくる。

色々と大変な時期だけれども・・・諦めずに頑張ろう。


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企業労働力に関する考察

2011年04月02日 | なんとなくアレなやつ
ここ数日で、弊社のトイレ事情について二例ほど紹介をした。
●トイレの個室で仮眠をとって、アラームが鳴っているのに起きず、トイレ内で不協和音が空しく鳴り響いていた件。
●トイレで用(小の方)を足しながら歯を磨く人がいた件。

この二つの事例を「企業における労働力」という観点で考察をしてみた。

まず前者の「仮眠層」について。
これは会社にとって不利益を産む以外のナニモノでもない。
業務中に惰眠を貪ること自体が論外だし、周りの人たちに「ああ、寝ているやつがいるんだ・・・仕事なめんなよ!」という不快感をもたらすことでも間接的にも損害を生み出している。

一方で後者はどうだろう。
歯を磨きながら用を足す姿は、決して美しくは無い。
むしろ汚いというか、ギリギリアウトな不快感をもたらす。

ただ、企業における労働力という側面で見た場合はどうだろうか。
用を足すならびに歯を磨くという、人として最低限確保しなければならないタスクの処理時間が最小に抑えられている。
これにより捻出された余剰労力を業務に充当することが出来ると考えれば、これは効率性の極みであり、その行為は社会人の鑑と言っても過言ではない。

さて、言わずもがな、企業というのは生産的・非生産的な労働力の集積で成り立っている。
パレートの法則によれば、上位20%のエース層が80%の「その他層」の利益を上げているという。
この観点から先のトイレ事情を考察すると、20%の「歯磨き・用足し効率化層」が、80%の「個室で惰眠を貪る層」の利益を上げているとも言えるのではないだろうか。
それ即ち、歯を磨きながら用を足す人たちにより会社が成り立って・・・いるわけねーよ、アホか。

それよりも、こんなしょうもないことを延々と書き続けていること自体がかなり非生産的なわけで、そういう意味だと個室で惰眠を貪る人たちと自分はあんまり変わらないんだなと思ったり思わなかったり。

仕事、頑張るぞ。


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