さて、再びジェノヴァ。
今日は、ごく一部の方のみ待望のガレー船についてです。
生ガレー船はここ、ガラタ海洋博物館にあります。
「地球の歩き方」では、「ガレー船が海洋博物館の外にある」みたいなことが書かれていますが、外にあるのは「ガレオーネ」です。
「ガレー船」は博物館内にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/49/85c9c5a5733bdcd2aba68069f0f85412.png)
ちなみに「ガラタ」とは、コンスタンティノープルにあったジェノヴァの居住区、「ガラタ地区」を指していると思われます。
ここらへんは塩野七生作品愛読者の方々には堪らないポイントかと思われます。
さて、ガレー船。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/73/f9349533a8f98994e1979fe6aeac70de.png)
あんまり込み入った話をすると要点を得ずに空中分解する可能性が高いので、例によって出来るだけ掻い摘んで説明をしていきたいと思います。
ものすごく簡単に言うと、中世における貿易手段は「船での運搬」がメジャーだったわけですが、どういう船があったのかと言うと、「帆船」というデカイ船と、「ガレー船」という小回りの効く船の2種類があったわけです。
「帆船」は三角もしくは四角の帆を張り、風に乗ってガンガン進むやつです。
これは積載量も多いし、風が吹いている限りはスピードも出るのですが、風が止むと海の上で立ち往生してしまうわけです。
その点、地中海の風というのはかなり気まぐれだったらしく、故に帆船での移動というのは使い勝手がかなり悪かったのです。
ちなみに、一瞬話は逸れますが、せっかく風の話が出たので、以下、塩野七生「海の都の物語(1)」からの抜粋を紹介。
この部分、個人的に結構好きなので。
風は、日本などで使われている東西南北よりも、よほどおもむきのある名で呼ばれていた(アドリア海を出て、地中海の真ん中まで来たあたりを基点としてのことらしい)。
北は、トラモンターナ。トランス・モンターナの略で、山の彼方からの風、という意味である。
北東は、グレコ。言わずもがな、ギリシアのことだ。
東は、レヴァンテ。太陽の昇る方角を意味している。東地中海は、レヴァンテの海、と呼ぶのが普通だった。
東南は、シロッコ。シリアの方角から吹く風を意味している。
南は、アウストロ。オーストラリアの国名は、ここから来ている。
南西は、リベッチオ。リヴィアの方角からの風という意味である。
西は、太陽の沈む方角という意味で、ポネンテと呼ばれた。
北西は、マエストラーレ。フランス語ならばミストラルだが、もともとは、ローマの方角からの風、という意味である。「全民族の師」と言えば古代ローマ人のことを指すのは中世人にとっての常識であったので「マエストロ・ディ・ポポリ」が略されて、師のいた方角からの風というわけで、マエストラーレとなったのである。
現代でも、漁夫たちはもとより、天気予報から文学まで、この名称が使われている。
なんというか、いちいちが「ヘー!なるほどね!」なわけです。
ちなみに、だいぶ前にも書きましたが、シロッコはパプテマスじゃないです。
ジュピトリスとかジ・Oとか全然関係無いです。
さて、話を戻して「ガレー船」。
風の動きが読みにくい地中海では、「帆船」ではなく主に「ガレー船」が使われていたわけです。
基本的にはこのように三角帆で風を受けて進むのですが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/4a/30f07bf8edab50a63643aa1213033bdb.png)
風が止んだ場合に備えて「櫂」が用意されているわけです。風が止んだら、船員たちが櫂を使ってエッチラオッチラ進むわけです。
そういう意味では、地中海においては帆船よりもガレー船の方が重要視されていたわけです。
再び塩野七生「海の都の物語(1)」からの抜粋。
これらの利点と欠点を考え合わせても、ガレー船は、この確実さにおいて、帆船よりまさっていた。ヴェネツィア商人は、交易相手と持続的な関係を維持することを第一としていたから、、航海の予定のたてられるガレー船は、商船としても存在価値があったのである。なによりも、複雑な風と地勢の地中海を航行するのに適した船であった。しばしば補給のための寄港が必要であるという欠点も、簡単な海図と
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/20/f45cbc5096d1f30134757b896aa4880d.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/ac/f1e8abd2a966509e6bab0cec78cb4d5d.png)
コンパスと、人間の眼に頼るしかなかった当時では、大型帆船といえども夜間航行はできるだけ避けたのだから、それほど決定的な不利ではなかったろう。羅針盤が一般的になるのは十四世紀に入ってからである。
ちなみにガレー船の全長は約40m。
仮に自分の歩幅が1m弱ぐらいあるとして、大股で歩いたらホントに40歩ぐらいなのだろうか、と検証をしてみたところ、52歩でした。
要するに自分の歩幅が短い(短足)ということだけが実証されたわけです。
さて、今度は後ろから見たガレー船。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/02/171941f425f7fb270490cae7b15de41e.png)
一見、そこそこ高さがあるようにも見えますが、積荷や漕ぎ手を乗せると、船の大部分が水に浸かってしまうのです。
こういう具合に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/5a/412a65408fc7f7528f2251104f211cb7.png)
実際に水面ギリギリのところで漕いでいたらしいです。
じゃあ、具体的にどう漕いでいたのかという話になるわけですが、まずはこういったところに人をズラッと座らせるわけです。
これは船首から撮った写真。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/03/078fd1f6b621de4fa00185edc70087fe.png)
一つの腰掛あたりに2人ないし3人が乗っていたらしいのですが、漕ぎ手だけで100人強はいたらしいです。
そこに、その他船員やら、戦闘専門要員やらを含めると150人前後。
かなり大所帯です。
ちなみに、腰掛部分を近くで見るとこういう感じです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/a2/2e15a9f2e50e2c17e596b6b2d85db7c5.png)
こういうデカイ櫂をグルングルン回すわけです。
実際、ナナミーとこれを回してみたのですが、いやはや、スーパー重労働。
腕力のあるやつの隣にいかに陣取れるかがポイントになってきそうです。
あと、奴隷用の鎖っぽいアレがありますが、これって何であるんだろう?という一抹の疑問が。というのも、奴隷たちを漕ぎ手として使っていたのはイスラム圏だけであって、ジェノヴァ含めたヨーロッパ圏では自由市民が漕ぎ手をしていたはず。
自由市民たちは、自分の若干の商品を積ませてもらって、漕いで、戦闘して、暇なときはみんなで博打なんかして。で、着いたら商売して、それを元手に現地商品を色々と仕入れて、本国に戻って再び商売をして・・・の繰り返しだったわけなので、そういう意味では「奴隷が漕ぐ」ということは無かったはずなのです。
ま、いっか。
それにしても、漕ぎ手たちは雨が降ろうと、槍が降ろうと、こういったところに野ざらしにされていたんだよなー、と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/e6/37fd83bc34fc46e06cb0e2071da1dc87.png)
船倉はただでさえ狭い上に、積荷で溢れ返っていただろうし、戦闘専門の騎士たちもいたりしたわけで、そういう意味では漕ぎ手たちが寝泊りするようなスペースは当然無かったわけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/28/dc2b2f2a2c075ae1820e065b06a2db40.png)
いやー、結構辛いと思いますよ、これ。
さて、そんなガレー船ですが、基本的にはこうやって艦隊を組んで行動をします。なるべくたくさんの積荷を運搬したいという点に加えて、海賊だとかに襲われたときに数にモノを言わせて積荷を守るわけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/18/659c5bb6086d33be9d86e4d60b06177d.png)
ヴェネツィアにおいては、艦隊の組み方だとか護衛船を付ける付けない云々を国が計画的に管理していたわけなんですが、一方のジェノヴァというのは、そういう組織だったものは特に無かったわけです。行きたいやつは行け、艦隊組みたきゃ勝手に組め、といった具合に。
となると、当然、海運におけるリスクが高まるわけですが、ジェノヴァは「トラブルをどうやって防ぐか」はあまり考えずに、むしろ「トラブルが起きたらどうしよう」というところに着目したわけです。その結果として出来たのが「海上保険」。
という話が、塩野七生作品のどこかに書かれていた気がします。
さて、このように地中海で活躍をしたガレー船ですが、時は経ち、16世紀。
海洋技術や造船技術の発展と共に出来たのが「ガレアッツア」。
乱暴に言ってしまえば、大砲をたくさん積んだガレー船。
レパントの海戦あたりで活躍をしたわけです。
そこからさらに時は経ち、大航海時代。
今度は「ガレオーネ」という船がメジャーになってくるわけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/21/c5ae6f20fb34155ad9748807a40a9772.png)
どういう船かと言うと、こんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/77/cd355ca77621adad8cfd1a226faccfdd.png)
完全に「パイレーツ・オブ・カリビアン」の世界です。
この時代になってくると、貿易風という、ある程度、風の向きが保証されている航路を使っての貿易が盛んになってくるので、櫂の必要性は薄れて、単なる大型帆船の需要が高くなってくるわけです。
それに合わせて、船の特徴というものも随分と変わるわけで、船首には無駄に大きなオブジェが設置され、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/e6/51965ba16f6139452ef376e03c0905ce.png)
帆柱も本数が増え、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/bc/f6d5118a526a68a8cc65dbb9f8a5c55d.png)
大砲も、船首、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/ae/c00048bce493d5ea74a14a51c4ff0c59.png)
甲板の上、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/76/2ed542c9bc28cc7e39c7aeed3c211279.png)
甲板の下、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/56/2598cc99b3cd09adba39a9579de6549b.png)
さらには船尾にまで設置される始末。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/41/3ab28d53e5390558cb9a05d91be31673.png)
猫も杓子も大砲な感がします。
船体のサイズ拡張に合わせて、舵も一つから二つになり、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/09/bead0796167aaccf80b7eefc4b69840f.png)
ガレー船時代には無かった、ちゃんとした船室なんかも出来たりしたわけで、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/e8/6469c32bf58fac6dcb33d7dda9b9d32c.png)
もう、ガレー船とは根本的に事情が違うわけです。
以上、船でした。
終わり。
今日の記事、調べ物とかするのを含めて、書くのに3時間ぐらいかかりました。
マジで疲れました。
ちなみに、ジェノヴァ旅行記はこれで終わりです。
明日以降はフィレンツェについて書いていきたいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/7d/f88f0b0bb63e43037a2e039157827e6f.png)
よろしくお願いします。
今日は、ごく一部の方のみ待望のガレー船についてです。
生ガレー船はここ、ガラタ海洋博物館にあります。
「地球の歩き方」では、「ガレー船が海洋博物館の外にある」みたいなことが書かれていますが、外にあるのは「ガレオーネ」です。
「ガレー船」は博物館内にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/49/85c9c5a5733bdcd2aba68069f0f85412.png)
ちなみに「ガラタ」とは、コンスタンティノープルにあったジェノヴァの居住区、「ガラタ地区」を指していると思われます。
ここらへんは塩野七生作品愛読者の方々には堪らないポイントかと思われます。
さて、ガレー船。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/73/f9349533a8f98994e1979fe6aeac70de.png)
あんまり込み入った話をすると要点を得ずに空中分解する可能性が高いので、例によって出来るだけ掻い摘んで説明をしていきたいと思います。
ものすごく簡単に言うと、中世における貿易手段は「船での運搬」がメジャーだったわけですが、どういう船があったのかと言うと、「帆船」というデカイ船と、「ガレー船」という小回りの効く船の2種類があったわけです。
「帆船」は三角もしくは四角の帆を張り、風に乗ってガンガン進むやつです。
これは積載量も多いし、風が吹いている限りはスピードも出るのですが、風が止むと海の上で立ち往生してしまうわけです。
その点、地中海の風というのはかなり気まぐれだったらしく、故に帆船での移動というのは使い勝手がかなり悪かったのです。
ちなみに、一瞬話は逸れますが、せっかく風の話が出たので、以下、塩野七生「海の都の物語(1)」からの抜粋を紹介。
この部分、個人的に結構好きなので。
風は、日本などで使われている東西南北よりも、よほどおもむきのある名で呼ばれていた(アドリア海を出て、地中海の真ん中まで来たあたりを基点としてのことらしい)。
北は、トラモンターナ。トランス・モンターナの略で、山の彼方からの風、という意味である。
北東は、グレコ。言わずもがな、ギリシアのことだ。
東は、レヴァンテ。太陽の昇る方角を意味している。東地中海は、レヴァンテの海、と呼ぶのが普通だった。
東南は、シロッコ。シリアの方角から吹く風を意味している。
南は、アウストロ。オーストラリアの国名は、ここから来ている。
南西は、リベッチオ。リヴィアの方角からの風という意味である。
西は、太陽の沈む方角という意味で、ポネンテと呼ばれた。
北西は、マエストラーレ。フランス語ならばミストラルだが、もともとは、ローマの方角からの風、という意味である。「全民族の師」と言えば古代ローマ人のことを指すのは中世人にとっての常識であったので「マエストロ・ディ・ポポリ」が略されて、師のいた方角からの風というわけで、マエストラーレとなったのである。
現代でも、漁夫たちはもとより、天気予報から文学まで、この名称が使われている。
なんというか、いちいちが「ヘー!なるほどね!」なわけです。
ちなみに、だいぶ前にも書きましたが、シロッコはパプテマスじゃないです。
ジュピトリスとかジ・Oとか全然関係無いです。
さて、話を戻して「ガレー船」。
風の動きが読みにくい地中海では、「帆船」ではなく主に「ガレー船」が使われていたわけです。
基本的にはこのように三角帆で風を受けて進むのですが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/4a/30f07bf8edab50a63643aa1213033bdb.png)
風が止んだ場合に備えて「櫂」が用意されているわけです。風が止んだら、船員たちが櫂を使ってエッチラオッチラ進むわけです。
そういう意味では、地中海においては帆船よりもガレー船の方が重要視されていたわけです。
再び塩野七生「海の都の物語(1)」からの抜粋。
これらの利点と欠点を考え合わせても、ガレー船は、この確実さにおいて、帆船よりまさっていた。ヴェネツィア商人は、交易相手と持続的な関係を維持することを第一としていたから、、航海の予定のたてられるガレー船は、商船としても存在価値があったのである。なによりも、複雑な風と地勢の地中海を航行するのに適した船であった。しばしば補給のための寄港が必要であるという欠点も、簡単な海図と
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/20/f45cbc5096d1f30134757b896aa4880d.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/ac/f1e8abd2a966509e6bab0cec78cb4d5d.png)
コンパスと、人間の眼に頼るしかなかった当時では、大型帆船といえども夜間航行はできるだけ避けたのだから、それほど決定的な不利ではなかったろう。羅針盤が一般的になるのは十四世紀に入ってからである。
ちなみにガレー船の全長は約40m。
仮に自分の歩幅が1m弱ぐらいあるとして、大股で歩いたらホントに40歩ぐらいなのだろうか、と検証をしてみたところ、52歩でした。
要するに自分の歩幅が短い(短足)ということだけが実証されたわけです。
さて、今度は後ろから見たガレー船。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/02/171941f425f7fb270490cae7b15de41e.png)
一見、そこそこ高さがあるようにも見えますが、積荷や漕ぎ手を乗せると、船の大部分が水に浸かってしまうのです。
こういう具合に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/5a/412a65408fc7f7528f2251104f211cb7.png)
実際に水面ギリギリのところで漕いでいたらしいです。
じゃあ、具体的にどう漕いでいたのかという話になるわけですが、まずはこういったところに人をズラッと座らせるわけです。
これは船首から撮った写真。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/03/078fd1f6b621de4fa00185edc70087fe.png)
一つの腰掛あたりに2人ないし3人が乗っていたらしいのですが、漕ぎ手だけで100人強はいたらしいです。
そこに、その他船員やら、戦闘専門要員やらを含めると150人前後。
かなり大所帯です。
ちなみに、腰掛部分を近くで見るとこういう感じです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/a2/2e15a9f2e50e2c17e596b6b2d85db7c5.png)
こういうデカイ櫂をグルングルン回すわけです。
実際、ナナミーとこれを回してみたのですが、いやはや、スーパー重労働。
腕力のあるやつの隣にいかに陣取れるかがポイントになってきそうです。
あと、奴隷用の鎖っぽいアレがありますが、これって何であるんだろう?という一抹の疑問が。というのも、奴隷たちを漕ぎ手として使っていたのはイスラム圏だけであって、ジェノヴァ含めたヨーロッパ圏では自由市民が漕ぎ手をしていたはず。
自由市民たちは、自分の若干の商品を積ませてもらって、漕いで、戦闘して、暇なときはみんなで博打なんかして。で、着いたら商売して、それを元手に現地商品を色々と仕入れて、本国に戻って再び商売をして・・・の繰り返しだったわけなので、そういう意味では「奴隷が漕ぐ」ということは無かったはずなのです。
ま、いっか。
それにしても、漕ぎ手たちは雨が降ろうと、槍が降ろうと、こういったところに野ざらしにされていたんだよなー、と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/e6/37fd83bc34fc46e06cb0e2071da1dc87.png)
船倉はただでさえ狭い上に、積荷で溢れ返っていただろうし、戦闘専門の騎士たちもいたりしたわけで、そういう意味では漕ぎ手たちが寝泊りするようなスペースは当然無かったわけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/28/dc2b2f2a2c075ae1820e065b06a2db40.png)
いやー、結構辛いと思いますよ、これ。
さて、そんなガレー船ですが、基本的にはこうやって艦隊を組んで行動をします。なるべくたくさんの積荷を運搬したいという点に加えて、海賊だとかに襲われたときに数にモノを言わせて積荷を守るわけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/18/659c5bb6086d33be9d86e4d60b06177d.png)
ヴェネツィアにおいては、艦隊の組み方だとか護衛船を付ける付けない云々を国が計画的に管理していたわけなんですが、一方のジェノヴァというのは、そういう組織だったものは特に無かったわけです。行きたいやつは行け、艦隊組みたきゃ勝手に組め、といった具合に。
となると、当然、海運におけるリスクが高まるわけですが、ジェノヴァは「トラブルをどうやって防ぐか」はあまり考えずに、むしろ「トラブルが起きたらどうしよう」というところに着目したわけです。その結果として出来たのが「海上保険」。
という話が、塩野七生作品のどこかに書かれていた気がします。
さて、このように地中海で活躍をしたガレー船ですが、時は経ち、16世紀。
海洋技術や造船技術の発展と共に出来たのが「ガレアッツア」。
乱暴に言ってしまえば、大砲をたくさん積んだガレー船。
レパントの海戦あたりで活躍をしたわけです。
そこからさらに時は経ち、大航海時代。
今度は「ガレオーネ」という船がメジャーになってくるわけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/21/c5ae6f20fb34155ad9748807a40a9772.png)
どういう船かと言うと、こんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/77/cd355ca77621adad8cfd1a226faccfdd.png)
完全に「パイレーツ・オブ・カリビアン」の世界です。
この時代になってくると、貿易風という、ある程度、風の向きが保証されている航路を使っての貿易が盛んになってくるので、櫂の必要性は薄れて、単なる大型帆船の需要が高くなってくるわけです。
それに合わせて、船の特徴というものも随分と変わるわけで、船首には無駄に大きなオブジェが設置され、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/e6/51965ba16f6139452ef376e03c0905ce.png)
帆柱も本数が増え、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/bc/f6d5118a526a68a8cc65dbb9f8a5c55d.png)
大砲も、船首、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/ae/c00048bce493d5ea74a14a51c4ff0c59.png)
甲板の上、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/76/2ed542c9bc28cc7e39c7aeed3c211279.png)
甲板の下、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/56/2598cc99b3cd09adba39a9579de6549b.png)
さらには船尾にまで設置される始末。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/41/3ab28d53e5390558cb9a05d91be31673.png)
猫も杓子も大砲な感がします。
船体のサイズ拡張に合わせて、舵も一つから二つになり、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/09/bead0796167aaccf80b7eefc4b69840f.png)
ガレー船時代には無かった、ちゃんとした船室なんかも出来たりしたわけで、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/e8/6469c32bf58fac6dcb33d7dda9b9d32c.png)
もう、ガレー船とは根本的に事情が違うわけです。
以上、船でした。
終わり。
今日の記事、調べ物とかするのを含めて、書くのに3時間ぐらいかかりました。
マジで疲れました。
ちなみに、ジェノヴァ旅行記はこれで終わりです。
明日以降はフィレンツェについて書いていきたいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/7d/f88f0b0bb63e43037a2e039157827e6f.png)
よろしくお願いします。
>書くのに3時間ぐらいかかりました。
>マジで疲れました。
そりゃすごいな(笑)
ご苦労さま。
僕は昨夜は遊び呆けていたので、blog書けなかったのに、ケンタ、重労働(笑)
偉いなぁ。まるで現代のガレー船漕ぎだな。
昨年、月ノ浦で支倉常長が乗ったガレオン船サン・フアン・バウティスタ号に乗ったんだけど、船室が狭くて、当時を再現している蝋人形がリアルでちょっと気持ち悪かったです。
機会があれば、是非(ジェノバに比べるとかなりしょぼいけど)
けんたさんのブログを見ていると。僕も今月末から2週間ほどかけて中東欧を旅する予定なので、歴史など情報をできるだけ集めなきゃなぁと感じさせてくれます。
ところで、いつも不思議に思っていたのですが、イギリスなどヨーロッパにいても「地球の歩き方」や日本の小説は簡単に手に入るのでしょうか?
このコメントに受けました。 重要ですよね。
>まるで現代のガレー船漕ぎだな。
これからもエッチラオッチラ櫂を漕ぎ続けます(泣)
月ノ浦のガレオン船、面白そうですね。支倉常長も色々と異色の人物ですしね。是非行ってみたいと思います。
*takさん
コメントありがとうございます。中東欧の旅、是非とも楽しんできてください。良いなー、俺も2週間とかの長旅出てみるかなー。
ちなみに、イギリスでは日本語書籍を扱っている店が幾つかあります。インターネットでの購入なども可能なのですが、自分は立ち読みで障りを掴んでからじゃないと購入しないので、毎回本屋に立ち寄ってます。
*マルコポーロ
ありがとう。今回もゼミのレポート書いてるような錯覚に陥ったよ。ガレー船を書き終わって、このままガレオーネについて書くか書かないかで相当迷った。
*すぎちびさん
だいぶ重要。
楽できるところは楽するべき。
とても楽しめました。