that blog-ish thingy

ブログ的なアレです。

すいません、今日はちょいと手抜きで。

2008年09月30日 | Supposedly funny jokes
A sales rep, an administration clerk, and the manager are walking to lunch when they find an antique oil lamp.

They rub it and a Genie comes out.

The Genie says, 'I'll give each of you just one wish.'

'Me first! Me first!' says the admin clerk. 'I want to be in the Bahamas , driving a speedboat, without a care in the world.'

Puff! She's gone.

'Me next! Me next!' says the sales rep. 'I want to be in Hawaii , relaxing on the beach with my personal masseuse, an endless supply of Pina Coladas and the love of my life.'

Puff! He's gone.

'OK, you're up,' the Genie says to the manager.
The manager says, 'I want those two back in the office after lunch.'
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父親

2008年09月29日 | なんとなくアレなやつ
酒の席での話し。

「世の中で一番尊敬してる人って誰よ?」

「んー、うちの親父かな?」

「マジで!」

別にビックリされるような事でも無い(と思う)のだが、私が一番尊敬している人はうちの父親だ。何故か、という明確な理由はあるのだけれども、書くと長くなるから割愛するとして、ただ、思い返してみれば物心ついた頃からそう思っているような気はする。小学校の文集の「しょうらいはなにになりたいですか?」という質問に対しても「サラリーマンになっておとうさんといっしょにはたらきたい」みたいな事を書いた覚えがある。

周りが「やきゅうせんしゅ」とか夢のある事を書いていた中で、堂々と「サラリーマン」と書けた自分もすごいなとは思うけれども。

で、念願叶って(?)サラリーマンにはなれた。
父親と一緒に働く事は出来なかったけれども、グローバルビジネスにおけるベテランとして色々とアドバイスをもらう事もある。特に「ファッキン外人」時代には相当助けられた。

そういう事もあって、未だに「父親」が一番尊敬する人なんだろうし、いつでも父親を越えたいと思うし、絶対に越えられない壁なんだろうなとも思う。



この父親話に関しては、その他に、何か運命めいたものを感じるものがある。

例えば、私が始めて海外赴任をしたのが28歳。
父親の海外赴任も28歳の時。
(父親はブラジルだったけれども)

あとは、ハラケンの家に行った時の事。
ハラケンの親父さんにこう言われた事があった。

「けんたくんのお父さんって、●●で働いてる?」

どうやら、その昔、ハラケンの親父さんとうちの父親が一緒に働いていた事があったらしいのだ。
何というか、ここまで来ると腐れ縁にも程がある。

というわけで、気付いてみれば、何だかんだ言いながらも、父親と似たような道程を歩んでいる気がするし、腐れ縁を含めた、自分の人生にとって大事なものには、何かしら父親が影響しているんじゃないかと改めて思ったり思わなかったり。



ちなみに、ボクが父親と同じような道を歩むと仮定するのであれば、ボクが結婚するのは多分イギリスから帰国して31歳の時。しかも、入社1年目の世間知らずな女の子と結婚するんだと思います。

っていうか、31歳が入社1年目狙いに行くのってぶっちゃけどうなのよ?
別にアリっちゃアリだけど・・・ただ、そう考えたら、父親に対する憧れみたいなのがちょっと冷めた。

まぁ、そういう感じでボクもアレを色々と頑張りたいと思います。

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スタンドプレーから生じるチームワーク

2008年09月28日 | 仕事とか堅苦しい話
先日、イギリス人上司から

「いちいち確認を取らなくて良いからドンドン作業を進めてくれ」

「自分の殻に閉じこもりがちだ。仕事を効率的に進めるためにも、飛び込み営業的に周りの人たちに助けを求めろ」

と指摘されました。
以前のブログでもちょこっと触れた話です。



まぁ、個人的な性格や嗜好の問題もあるわけで、これについては、今後意識的に改善を図っていくしかないわけです。ただ、それとは別に基本的な仕事の進め方についても大きな違いがあるんじゃないかと今回改めて感じたわけです。

以下図は、(分かりやすくするためにある程度誇張された表現にはなっていますが)イギリスと日本の仕事の進め方のイメージ図。赤・青矢印は、企業・グループとしての方針やゴール、黒矢印は個人の動き方です。



端的に言えば、日本では「報・連・相」という言葉にもあるように、比較的小まめに上司との確認を取りながら仕事を進める傾向がある。結果として、グループ内での統制がしっかりと取りながら成果を出していくというスタイルが確立されている。なので、自由人はあまりいないのかなと(あくまでもUKと比べて、という意味で)。

ところが、日本と比べると、UKでは個々人が「プロ」として自立をしており、個人に与えられている裁量権が大きく、またそれが当たり前のものとして捉えられているわけで、「いちいち報告せずとも勝手に動くから邪魔するな」という傾向があるんじゃないかと。悪く言えば放任主義。



それで思い出すのが攻殻機動隊の公安9課。

『我々の間にチームプレイなどという都合のよい言い訳は存在せん。あるとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけだ。』

大袈裟な事を言うつもりはありませんが、感覚的にはこれに近いような気はしています。



まぁ、いずれにしても、このスタイルでの仕事が日本で行われれば、間違いなく「『報・連・相』が足りない」と指摘されるレベルでしょうし、そういう意味では私が「いちいち確認を取らなくて良い」と指摘されたのも、多かれ少なかれこういった事が背景にあるからなんじゃないかと。

別に、ボク個人の足りない部分を棚に上げるつもりではないんですが、ただ、こういう側面も多分にあるんだろうなと。

そんな事をふと思いました。

何か仕事の進め方とか、本当に細かいところで微妙にペースが崩れたりする事が未だに多いんですが、まぁ、アレをナニしながら頑張りたいと思います。

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詰まるところただの一般人だよね、って話ですが

2008年09月27日 | なんとなくアレなやつ
先日、髪を切りましてですね。
かなりバッサリいきまして、イメージ的には中村獅童みたいな感じになりました。

でも結局のところ、古田敦也とか安住伸一郎から抜け出せないっていうのが現実。



というわけで、(古田敦也+安住伸一郎+中村獅童)÷5 くらいで考えて頂ければ間違いないと思いますので、アレを色々とよろしくお願いします。

コメント (4)
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エクセトラでも全然OK

2008年09月26日 | なんとなくアレなやつ
仕事のドキュメントであれ、日常生活であれ、よく "etc" という言葉を目にします。
例えば、"Our business coverage is x, y, z, etc." など。
要するに「・・・などなど」という意味です。

イギリスでは(自分の勝手な統計によると)半数以上の人がこの "etc" を「エクセトラ」と発音しています。
これは実は間違いで、正しい発音は「エトセトラ」。
ラテン語の "et cetera" が語源。
Wikipedia - Et cetera

厳密に言えば「エトセラ」でもなく「エトセラ」なんですけど。

まぁ、それはさておき、問題は何故「エクセトラ」になったのか。
多分、歴史的な何かがあって「エクセトラ(Ex cetera)」と呼ばれるようになったのだとは思うのだけれども、調べてみてもそれっぽい情報は見つかりませんでした。

ただ、よくよく考えてみれば、日本語の「全然出来る」みたいに、いつしか自然発生し、それが根付いたとかそんな感じなんじゃないかと。
(「全然●●ない」というのが正しい表現・・・という前フリ)

ただ、「全然出来る」もついでに調べてみたところ、どうやら「全然+肯定」も歴史的に見れば用法として正しかったらしいです。

(「新明解国語辞典を読む」より抜粋)


新潮現代国語辞典 ぜんぜん【全然】(副)
(一)打消を強める語。まるで。「―色気のない平気な顔では〔草枕〕」
(ニ)まったく。完全に。「一体生徒が―悪るいです〔坊つ〕」「妻を迎へて一家団欒の楽を得ようとして、―失敗した博士も、此城丈は落されまいと〔半日〕」「こうやって演壇に立つのは、―諸君のために立つのである、唯諸君のために立つのである、と救世軍のようなことを言ったって〔漱石・大阪講演〕」「―監督者の口吻(コウフン)である〔続悪魔〕」


 なんと、「全然」の肯定表現は、明治時代には夏目漱石も使っていた伝統的で「正しい」表現だったのです! 「全然」の後に否定表現がこなければならないという方が、最近の人が言い出した新しい「常識」だったのです。

 もっとも『岩国』によれば、肯定表現にも2種類あって、「非常に」「断然」の意に使うのは俗用だそうですが、「全然OK」に関していえば、これは「すっかりOK」「全面的にOK」という意味ともとれるので、伝統的な用法に沿った使い方であるともいえましょう。

 「全然OK」という言い方は、全然OKです。

(中略)

いったいいつ誰が「全然という言葉は否定表現を伴う」などと言い出したのでしょうか?

実は私も最近まで「全然」は必ず否定表現を伴うと信じ込んでいました。学校でそう教えられたからです。
おそらく昭和40年代~昭和50年代ごろの国語教育の世界で何かが起こったものと思われます。
言葉というものは長い時間をかけて自然に変化していくのが通常でしょうが、人工的に変化させられることもあるのです。

「正しい日本語とは何か」という問題は、意外と難しい問題です。


同様に「正しい英語とは何か」も難しかったりするわけです。
ただ、話を戻すと、「エクセトラ」もかなりの市民権を得ているし、「エトセトラ」じゃなくても全然OKなんじゃないかと思ったわけです。
前置きが大分長かったですけど。

以上、本当はエトセトラだけど、エクセトラでも全然OKという事でアレを色々とよろしくお願いします。

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